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第40話:名もなき感情の萌芽

雲の上の、とある穏やかな朝。


執務室の窓から差し込む光が、やわらかく室内を包んでいました。

ガブリエル嬢は今日もいつものように雲クッションに身を預けています。

規則正しい寝息が、静かな空間に心地よいリズムを刻んでいました。


ノエルは書類の整理をしながら、時々その様子に目を向けます。

昨日から「ガブリエル嬢」と呼ぶようになって、なんだか変な感じでした。


「おはようございます、ガブリエル嬢」


朝の挨拶も、自然に新しい呼び方で口をついて出ます。

ガブリエル嬢は穏やかに微笑みを返しました。


「おはよう、ノエル」


いつもの声、いつもの表情。

でも、ノエルはなんだかソワソワしています。


なんでだろう、と首をひねりました。


書類を手に取りながら、ノエルは考えていました。

最初に抱いていた憧れや尊敬とは、明らかに違うもの。

「尊い」という言葉で表現していた想いとも、また少し違います。


朝の業務が始まりました。

ガブリエル嬢は半分眠りながらも、いつものように完璧に仕事をこなします。

その姿を見るノエルは、なんだか妙に気になって仕方がありません。


「うーん……?」


心の中で首をかしげます。

よくわからないけれど、変な気分でした。


お茶の時間になりました。

ノエルが淹れた光蜜水を、ガブリエル嬢が嬉しそうに受け取ります。


「ありがとう」


その一言に、なぜかノエルは変に嬉しくなりました。

いつもより嬉しい気がします。


「どういたしまして、ガブリエル嬢」


答えながら、ノエルは自分の声が妙に優しくなっていることに気づきました。

なんでだろう、と思います。


お茶を飲むガブリエル嬢の横顔を見ていると、時間が止まったみたいでした。

なんだかぼうっとしてしまいます。


「ノエル?」


呼びかけられて、はっとします。


「はい!」

「何か考え事?」


ガブリエル嬢の優しい問いかけに、ノエルは慌てました。


「いえ、その……」


何と答えて良いかわかりません。

自分でも何を考えていたのかよくわからないのです。


「きっと疲れているのね。無理をしちゃダメよ」


ガブリエル嬢の気遣いに、ノエルはなんだかほっこりしました。

優しいなあ、と思います。


「ありがとうございます」


素直にそう答えました。

でも、疲れているわけでもない気がします。


午後になって、ガブリエル嬢がいつものように仮眠を始めました。

ノエルはそっと翼カバーをかけます。

触れそうで触れない距離で、翼の美しさをぼんやり見つめていました。


この時間が、最近やけに気になるようになったのはなぜでしょう。


静かな寝息を聞きながら、ノエルは考えました。

以前なら「お役に立てて良かった」と思ったはず。

今は「この人を守らなきゃ」という気持ちが強くなっています。


守りたい、支えたい、そばにいたい……。


そんな想いがぼんやりと浮かんできました。


「……なんだこれ?」


またしても首をかしげます。

尊敬や憧れじゃない、別の何かです。


夕方、ガブリエル嬢が目を覚ましました。


「あら、もうこんな時間」

「お疲れさまでした」


翼カバーを片付けながら、ノエルはガブリエル嬢の寝起きの表情を見つめます。

少しぼんやりした様子が、なんだか見ていて飽きません。


というか……。


「あ」


心の中で、ぽつりと声が漏れました。

大天使様に対して思っちゃいけないことかもしれませんが。


髪の毛が少し乱れているのも、眠そうに目をこするのも。

なんだか、可愛い。


可愛い――?


ノエルは自分の考えにびっくりしました。

ガブリエル嬢のことを「可愛い」なんて。


でも、正直な気持ちでした。

変なこと考えてるのかな、と思いながらも、そう感じてしまうのです。


「ノエル、今日もありがとう」


仕事を終えるガブリエル嬢の言葉に、ノエルは素直に嬉しくなりました。


「いえ、こちらこそ」


答えながら、もう少しこの時間が続けば良いのに、と思います。

ガブリエル嬢と過ごす時間が、いつの間にか一日の中で一番楽しみになっていました。


それも不思議でした。


帰り道、雲の廊下を歩きながらぼんやり考えます。

最近の自分について。


憧れから始まった気持ちが、いつの間にか違うものに変わっている。

尊敬は確かにあります。

でも、それだけじゃない何かがある。


「守りたい」という気持ち。

「そばにいたい」という想い。

「可愛い」と感じること。


これらがごちゃまぜになって、よくわからない感情を作っている。


自室に戻って、ノエルは窓の外の星空を見上げました。

雲海に映る星の光が、きれいに見えます。


「ガブリエル嬢も、この星を見てるのかな」


そんなことを考えると、なんだか落ち着きました。

同じ空の下にいるって、なんかいいなあと思います。


ベッドに横になっても、すぐには眠れませんでした。

頭の中で、今日一日のガブリエル嬢のことを思い返しています。


朝の微笑み、お茶を飲む横顔、仮眠中の寝息、目覚めた時の表情……。


全部、なんだか大事な気がしました。

こんなふうに誰かのことをずっと考えているのは、初めてです。


「僕の気持ちは……」


うーん、と唸ってみても、よくわかりません。

まだ名前のない、でも確かにある何かです。


翌朝も同じように、ガブリエル嬢への特別な想いを抱いて目覚めました。

昨日よりも、ちょっとだけその気持ちが大きくなっているような気がします。


「おはようございます、ガブリエル嬢」


今日も自然に、親しみを込めた呼び方で挨拶します。

ガブリエル嬢の返事を聞くと、なんだか気分が良くなりました。


新しい一日の始まりです。

そして、名前のわからない感情も、きっとまた少しずつ大きくなっていくのでしょう。


朝の光の中で、ノエルは思いました。

この気持ちがどうなっていくのか、まだわかりません。

でも、きっと悪いことじゃない気がします。


ガブリエル嬢への想いを胸に、今日も一日頑張ろうと思いました。


雲上の執務室に、やわらかな時間が流れていました。

名前のない感情の種は、確実に芽を出し始めています。


それは春の新芽のように、素朴で確実な変化でした。

ノエル自身も、その成長にぼんやり気づいています。


でも、まだその正体を理解するには時間がかかりそうです。

今はただ、このよくわからないけれど温かな気持ちを、そのまま育てていくことでしょう。


雲の上の物語は、新しい章へと進んでいきます。

## あとがき


心の中に芽生える名前のない感情って、とても不思議なものですね。それが何なのかわからなくても、確実に心の中で育っているのを感じることがあります。ノエルの気持ちも、きっとこれから美しく花開いていくことでしょう。

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