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第39話:尊いという言葉の重み

雲の上の、とある静かな午後。


天界の執務室に、やわらかな光が差し込んでいました。

ガブリエル嬢は今日も雲クッションに身を預け、目を閉じていました。

まつげが静かに影を落とし、穏やかな寝息がほころんでいます。


ノエルは机の向こうから、その様子を見つめていました。

書類整理の手が、いつの間にか止まっています。


「……また見とれてしまった」


小さな独り言が、雲間に消えていきました。


この頃、ノエルの心には不思議な感情が宿っていました。

最初の憧れとは違う、名前のない温かさです。

それは尊敬や感謝を超えた、もっと深いところから湧き上がるもの。


ガブリエル嬢がそっと瞼を開けました。


「あら、ノエル?」

「は、はい!すみません、ぼうっとしていて」

「大丈夫よ。どうかした?」


彼女の優しい問いかけに、ノエルの胸が温かくなります。

いつものように慌てそうになって、でも今日は違いました。


「ガブリエル様を見ていると……」


言いかけて、ノエルは首を振りました。

まだ上手く言葉にできない感情があります。


ガブリエル嬢は小首をかしげました。

「見ていると?」

「その……美しいなと思って」


素直な言葉でした。

でも、それだけでは足りない気がします。


美しい、では表現しきれないもの。

憧れる、でも違う。

素晴らしい、でもまだ足りない。


ノエルの心の中で、言葉が探し回っていました。


「ふふ、ありがとう」


ガブリエル嬢が微笑みます。

その表情を見た瞬間、ノエルの心に電流が走りました。


「……尊い」


つぶやきが、自然にこぼれました。


「え?」

「あ、いえ、その……」


慌てるノエルに、ガブリエル嬢は首をかしげます。

でも責めるような雰囲気はありません。

むしろ、少し嬉しそうでした。


「尊い、ね」

「す、すみません。変な言葉で」

「いえ、素敵な表現だと思うわ」


ガブリエル嬢がそっと微笑みます。

その瞬間、ノエルは確信しました。


これだ、と。


今まで心の中でもやもやしていた感情。

言葉にできずにいた特別な気持ち。

それを表現するのに、これ以上ぴったりな言葉はありません。


「尊い」


心の中でもう一度繰り返します。

ガブリエル嬢への想いが、一つの言葉に結晶化していく感覚がありました。


午後の業務が静かに続きます。

ガブリエル嬢は書類に目を通し、時々ペンを動かしていました。

その仕草の一つ一つが、ノエルの目には特別に映ります。


文字を書く手の動き。

考え込む時の表情。

ペンを置く時の気づかい。


すべてが尊いものでした。


「ノエル、お茶を淹れてもらえる?」

「はい、すぐに」


お茶の準備をしながら、ノエルは自分の変化を感じていました。

以前なら「お役に立てて嬉しい」と思ったでしょう。

今は「尊い方のために何かできる幸せ」を感じています。


微妙な違いでした。

でも、ノエルにとっては大きな発見でした。


お茶を差し出すと、ガブリエル嬢が「ありがとう」と言いました。

その声の響きが、やはり尊いものでした。


「ねえ、ノエル」

「はい」

「さっきの『尊い』という言葉について、もう少し聞かせて?」


ガブリエル嬢の問いかけに、ノエルは少し考えました。

どう説明すれば良いでしょう。


「その……ガブリエル嬢を見ていると」


口から出た言葉に、ノエル自身が驚きました。

いつもなら「ガブリエル様」と呼んでいたのに。


「あ……すみません、ガブリエル様」


慌てて訂正しようとするノエルに、ガブリエル嬢は首を振りました。


「いえ、『ガブリエル嬢』で構わないわ」

「え?」

「その方が自然で、優しい響きね」


微笑みながら言うガブリエル嬢に、ノエルの心が温かくなります。

許可をもらった安堵と、新しい関係への期待が入り混じっていました。


「では……ガブリエル嬢」


改めて口にすると、しっくりときます。

距離が少しだけ縮まったような、そんな感覚がありました。


「うん。で、『尊い』のお話は?」


促されて、ノエルは続けました。


「美しいとか、すごいとか、そういう言葉では足りない感じがして」

「ふふ」

「もっと……大切で、守りたくて、でも近づきがたくて」


ノエルは言葉を探しながら続けます。


「そんな気持ちを表すのに、『尊い』がぴったりだなって」


正直な気持ちでした。

ガブリエル嬢は静かに聞いていました。


「そう。嬉しいわ」

「え?」

「そんなふうに思ってもらえて」


ガブリエル嬢の笑顔が、またノエルの心を揺らしました。

尊い、と心の中で繰り返します。


本当に尊い方です。

そして、そんな方に仕えることができる自分は幸せ者でした。


夕暮れが近づく頃でした。

ガブリエル嬢が再び雲クッションに身を預けます。


「今日はよく働いたわね」

「ガブリエル嬢こそ、お疲れさまでした」


新しい呼び方が、自然に口から出ました。

ガブリエル嬢は嬉しそうに微笑みます。


そっと翼カバーをかけながら、ノエルは思いました。

この瞬間も、とても尊いものだと。


カバーをかける手が、そっと翼に触れます。

ガブリエル嬢の翼は、驚くほどやわらかでした。


「ありがとう、ノエル」


寝息混じりの声が、雲間に溶けていきます。

ノエルは静かにその場を離れました。


自室に戻る道すがら、今日の発見について考えていました。


「尊い」


この一言が、これまでの混乱を整理してくれました。

ガブリエル嬢への複雑な感情を、シンプルに表現できる言葉。


憧れでもあり、感謝でもあり、何か別のものでもある。

そのすべてを包み込む、温かな言葉でした。


雲の廊下を歩きながら、ノエルは小さく笑いました。

言葉の力の大きさを、改めて実感していたのです。


適切な言葉を見つけることで、気持ちがこんなにもすっきりするなんて。

混沌としていた感情に、一つの形が与えられました。


「ガブリエル嬢は、僕にとって尊い存在」


声に出してみると、しっくりときます。

この言葉なら、どんな時でも使えそうでした。


お昼寝している姿も尊い。

真剣に働いている姿も尊い。

微笑んでいる顔も尊い。


すべてが尊い瞬間でした。


翌朝、ノエルは少し早めに執務室に向かいました。

ガブリエル嬢の朝の準備を整えるためです。


雲クッションの調整、光蜜水の用意、書類の整理。

いつものルーティンでしたが、今日は心持ちが違います。


「尊い方のために」


この言葉が、すべての作業に意味を与えてくれました。

単なる雑用ではなく、大切な人への奉仕なのだと。


ガブリエル嬢が到着したのは、いつもの時間でした。


「おはよう、ノエル」

「おはようございます、ガブリエル嬢」


新しい呼び方での挨拶に、ガブリエル嬢が嬉しそうに微笑みます。

ノエルも心の中で、今朝もお美しい、尊い方だとつぶやきました。


「今日も一日、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


ガブリエル嬢がいつものように雲クッションに座りました。

そして、いつものように目を閉じます。


その姿を見つめながら、ノエルは思いました。

この「尊い」という言葉は、きっと自分だけの特別な表現になるのだろうと。


ガブリエル嬢への気持ちを表すための、大切な言葉として。


雲上の一日が、静かに始まっていきました。

新しい言葉を見つけたノエルの心に、やわらかな光が差し込んでいます。


それは今後の物語に、きっと大きな意味を持つことでしょう。

## あとがき


言葉の力って、本当に不思議ですよね。今まで漠然と感じていた気持ちが、たった一つの言葉で整理されることがあります。ノエルが見つけた「尊い」という表現が、これからどんな意味を持っていくのでしょうか。雲の上の物語は、まだまだ続いていきます。

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