第36話:「温もりへの配慮」
午前の執務室は、いつもより少し涼しく感じられました。
季節の変わり目なのか、雲海から流れ込む風が冷たくなっています。ノエルは書類整理をしながら、ガブリエル嬢の様子を気にかけていました。
「(寒くないかな...)」
雲クッションで微睡んでいる彼女は、いつもより少し縮こまっているように見えます。
「ガブリエル様、室温を調整いたしましょうか?」
そっと声をかけてみました。
「いえ...大丈夫...です」
眠そうな声で答えていますが、少し震えているような気がします。
ノエルは窓際の温度調整装置を確認しました。確かに、いつもより2度ほど低くなっています。
「(やっぱり寒いんだ)」
でも、ガブリエル嬢は我慢しているようでした。
そんな時、午後の光が雲の切れ間から差し込んできました。暖かい光が執務室を照らすと、ガブリエル嬢の表情が穏やかになりました。
「あら...温かい...」
小さく呟いて、光の当たる場所に移動します。まるで猫のように、自然に暖かい場所を求めていました。
「(温かい光がお好きなんだ)」
ノエルは重要な発見をした気がしました。
しばらく観察していると、ガブリエル嬢は明らかに光の当たる場所を好むようでした。影になった部分では少し居心地が悪そうにしています。
「(これは...環境を整えてあげなければ)」
ノエルは立ち上がりました。
まず、窓の角度を調整します。光がより室内に入るように、雲の流れを計算して開き具合を変えました。
「あら...明るくなりました」
ガブリエル嬢が気づいて、満足そうに微笑みました。
「はい、午後の光がよく入るようにしました」
ノエルの気遣いに、彼女は嬉しそうに頷きました。
でも、雲の動きによって光は変化します。常に温かい光を保つのは難しそうでした。
「(他に方法はないかな...)」
ノエルは執務室を見回しました。そして、光を反射させる装置があることを思い出します。
「少しお待ちください」
ノエルは天界の設備管理室に向かいました。
「光調整装置を借りたいのですが」
管理担当の天使が、親切に説明してくれました。
「これを使えば、自然光を集めて、柔らかく拡散できますよ」
小さな水晶のような装置を貸してもらいました。
執務室に戻って、装置を窓際に設置します。すると、外からの光が室内全体に、温かく均一に広がりました。
「まあ...」
ガブリエル嬢が驚いたような、でも嬉しそうな声を上げました。
「どこにいても...温かいです」
光調整装置の効果で、執務室全体が柔らかな温もりに包まれています。
「お気に召しましたか?」
「ええ...とても...気持ち良いです」
ガブリエル嬢は雲クッションに深く沈み込んで、満足そうに目を閉じました。
「(良かった...)」
ノエルは安堵の表情を浮かべました。
それから数日間、ノエルはガブリエル嬢の様子を注意深く観察しました。
確かに、温かい光のある環境では、彼女はより穏やかに過ごしています。仕事の集中力も、微妙に向上しているような気がしました。
「温かい光が...好きなんですね」
ある日、ノエルが素直に感想を述べると、ガブリエル嬢は少し照れたような表情を見せました。
「昔から...そうなのです」
「どうしてでしょう?」
「わからないですが...安心するのです」
その答えには、深い理由があるような気がしました。でも、詮索するのは野暮でしょう。
「これからも、温かい光を保つようにしますね」
「ありがとう...ノエル」
彼女の感謝の言葉に、ノエルの胸が温かくなりました。
それからというもの、ノエルは毎朝最初に光の調整をするようになりました。天候や雲の動きに合わせて、常に最適な光環境を維持します。
「今日は少し曇り気味なので...」
装置の設定を微調整しながら、ノエルは独り言を呟きました。
「(ガブリエル様が快適に過ごせるように)」
その努力は、確実に実を結んでいました。ガブリエル嬢は以前より安らかに過ごし、おやつの時間もより楽しそうです。
「最近...とても...居心地が良いです」
ある日の午後、彼女がぽつりと呟きました。
「それは良かったです」
「ノエルが...色々と...気を遣ってくれるから」
その言葉に込められた感謝に、ノエルは少し照れました。
「いえ、当然のことです」
「当然...ではありませんよ」
ガブリエル嬢の優しい訂正に、ノエルは改めて気づきました。
「(そうか...これは特別なことなんだ)」
相手の好みを理解して、環境を整える。それは確かに、誰もがするわけではない気遣いでした。
でも、ノエルにとっては自然なことでした。ガブリエル嬢に快適に過ごしてもらいたい。その気持ちが、行動を促していたのです。
「ガブリエル様が快適なら、僕も嬉しいです」
素直な気持ちを伝えると、彼女は微笑みました。
「そう言って...もらえると...嬉しいです」
午後の光調整装置から、柔らかな光が室内を照らしています。その光の中で、ガブリエル嬢は特に美しく見えました。
「(この人のためなら...)」
ノエルの心に、新しい感情が芽生えていました。それは奉仕の精神を超えた、もっと深い何かでした。
相手の幸せを願う気持ち。そのために努力したいという想い。
「尊い...」
いつもの口癖が、今日は特別な意味を持って響きました。
温かい光に包まれた執務室で、二人の心も少しずつ温まっていました。
小さな気遣いから始まった配慮が、関係をより深いものにしていく。その兆しを、ノエルは確かに感じていました。
窓の外では、午後の雲海がゆったりと流れています。
光調整装置が作り出す温もりの中で、静かで幸せな時間が続いていました。
## あとがき
ガブリエル嬢が温かい光を好むことを発見したノエル。光調整装置で室内環境を整える気遣いが、彼女にとても喜ばれました。相手の好みを理解し、それに応えたいという自然な想いが、二人の関係に新しい温もりをもたらします。




