第32話:「光蜜水に込める想い」
午後の執務室は、いつものように穏やかな空気に包まれていました。
ガブリエル嬢は雲クッションで気持ち良さそうに微睡んでいます。ノエルは書類整理をしながら、ふと彼女の好物について考えていました。
「(そういえば、ガブリエル様の好きな飲み物って...)」
これまで何度かお茶の時間を共にしましたが、彼女が特に好んで飲むものがあったような気がします。
「(光蜜水...だったかな)」
薄っすらと記憶にありました。天界特産の、光る蜂蜜を雲水で薄めた飲み物です。
「(今度、差し入れしてみようかな)」
そんなことを考えながら作業を続けていると、ガブリエル嬢がむくりと起き上がりました。
「ふわぁ...」
小さな欠伸と共に、ゆっくりと身を起こします。
「お疲れさまです」
「ええ...少し...喉が乾きました」
その呟きを聞いて、ノエルは思いつきました。
「何かお持ちしましょうか?」
「そうですね...何か...軽いもので...」
ガブリエル嬢が曖昧に答えたのを見て、ノエルは決心しました。
「少しお待ちください」
そう言って、執務室を出ました。
向かったのは、天界のお茶処です。そこには様々な飲み物が用意されています。
「光蜜水はありますか?」
店番の天使に尋ねると、嬉しそうに頷いてくれました。
「はい。今日は特に良い光蜂蜜が入っています」
「それでお願いします」
丁寧に淹れられた光蜜水は、カップの中でほのかに光っていました。とても美しい金色です。
「温度はいかがいたしましょう?」
「少し温かめで」
ガブリエル嬢は熱すぎるものは苦手そうだったので、飲みやすい温度にしてもらいました。
執務室に戻ると、ガブリエル嬢は窓の外を眺めていました。
「お待たせいたしました」
光蜜水を差し出すと、彼女は少し驚いたような表情を見せました。
「あら...光蜜水...」
「はい。お好きだと思いまして」
ノエルの気遣いに、ガブリエル嬢の表情が和らぎました。
「ありがとう...嬉しいです」
カップを受け取った彼女は、まず香りを楽しんでいるようでした。
「良い香り...ですね」
ほのかに甘い香りが、執務室に広がります。
「温度も...ちょうど良いです」
一口飲んで、ガブリエル嬢は満足そうに微笑みました。
「美味しい...」
その表情を見て、ノエルは嬉しくなりました。喜んでもらえて良かった。
「気に入っていただけて、安心しました」
「覚えていて...くれたのですね」
ガブリエル嬢の言葉に、ノエルは少し照れました。
「はい。以前、美味しそうに飲まれていたので」
「よく見て...くれているのですね」
その言葉に込められた温かさに、ノエルの胸がほんのりと温かくなりました。
「いつも、ガブリエル様のことを...」
途中で言葉が詰まりました。なぜか、素直に「見ています」と言えません。
「気にかけて...くれて...ありがとう」
ガブリエル嬢が優しくフォローしてくれました。
光蜜水を飲みながら、二人は窓の外の雲海を眺めました。いつもより、会話が弾むような気がします。
「この光蜜水は...どちらで?」
「雲通りのお茶処です」
ノエルが答えると、ガブリエル嬢は頷きました。
「あそこは...美味しいお店ですね」
「ご存知だったのですね」
「ええ...時々...買いに行きます」
そんな何気ない会話も、今日は特別に感じられました。
「今度...一緒に...行きませんか?」
ガブリエル嬢の提案に、ノエルは驚きました。
「本当ですか?」
「ええ...ノエルに...お店を紹介したいです」
その誘いが、とても嬉しく感じられました。
「ぜひ、お願いします」
ノエルの返事に、ガブリエル嬢は微笑みました。
光蜜水を半分ほど飲んだところで、彼女はカップを机に置きました。
「ごちそうさま...でした」
「お気に召しましたか?」
「ええ...心も...温まりました」
その言葉には、飲み物以上の意味が込められているような気がしました。
「また...お持ちしますね」
「ありがとう...でも...」
ガブリエル嬢が少し困ったような表情を見せました。
「いつも...気を遣わせて...申し訳ないです」
「いえ、そんなことは」
ノエルは慌てて首を振りました。
「喜んでいただけることが、僕の喜びですから」
その素直な言葉に、ガブリエル嬢の頬がほんのりと色づきました。
「そう...言ってくれると...嬉しいです」
午後のひととき、光蜜水を挟んだ小さな交流が、二人の距離を少しだけ縮めていました。
その後、ガブリエル嬢は機嫌良く午後の業務をこなしていました。光蜜水の効果もあったのかもしれません。
「そろそろ...おやつの時間ですね」
時計を見た彼女が呟きました。
「何かご用意しましょうか?」
「いえ...今日は...十分です」
光蜜水のことを言っているのでしょう。ガブリエル嬢は満足そうでした。
「でも...少し...休みます」
そう言って、いつものように雲クッションに向かいました。
「おやつの時間になったら...起こしてくださいね」
お決まりの言葉でしたが、今日はいつもより嬉しそうに聞こえました。
「はい、承知いたしました」
ガブリエル嬢が眠りに落ちた後、ノエルは今日のことを振り返っていました。
小さな気遣いでしたが、とても喜んでもらえました。そして、お茶処に一緒に行く約束まで取り付けることができました。
「(これからも、いろいろ気を遣えることがあるかな)」
彼女の好みをもっと知りたい。もっと喜んでもらいたい。そんな気持ちが、ノエルの胸に宿っていました。
窓の外では、午後の雲海がゆったりと流れています。
空のカップが机に残されていました。それは、今日の小さな幸せの証でした。
「尊い...」
いつもの口癖が、今日はいつもより温かく響きました。
光蜜水一杯から始まった、小さな心の交流。それは、二人の関係に新しい色を加えてくれました。
気遣いと感謝の気持ちが、静かに響き合った午後でした。
## あとがき
ガブリエル嬢の好物の光蜜水を差し入れしたノエル。小さな気遣いが思わぬ喜びを生み、お茶処への同行まで約束してもらえました。何気ない日常の中で育まれる、優しい心の交流の温かさが印象的なひとときでした。




