第29話:「師の人間味ある過去」
治療室での午後の訓練は、いつものようにラファエルの穏やかな指導で進んでいました。
「今日は基礎的な治癒術の復習をしましょう」
師匠の優しい声に、ノエルは真剣に頷きました。でも、どうしても上手くいきません。
「うまくできません...」
光がぼんやりとしか出ず、思うような治癒効果が得られないのです。
「大丈夫、大丈夫」
ラファエルが慰めるように微笑みました。
「焦らず、優しく、着実に。それが大切ですよ」
その言葉にノエルは頷きましたが、心の中では焦っていました。
「師匠のようになれるでしょうか...」
思わず漏れた本音に、ラファエルは少し困ったような表情を見せました。
「そうですね〜...実は、私も最初からできたわけではないんですよ」
「そうなんですか?」
ノエルは驚きました。ラファエルといえば、天界随一の治癒術師。最初から完璧だったのではないでしょうか。
「ええ。実は、とんでもない失敗をしたことがあるんです」
ラファエルがお茶を淹れながら、懐かしそうに語り始めました。
「新人天使の頃、初めて正式な治療を任された時のことです」
その表情には、苦笑いが浮かんでいました。
「どんな失敗だったんですか?」
ノエルが興味深そうに尋ねると、ラファエルは少し恥ずかしそうに答えました。
「翼の小さな傷を治療することになったんですが...」
「はい」
「緊張しすぎて、治癒術を間違えてしまいまして」
ラファエルが手をひらひらと振りながら説明します。
「治すどころか、傷を治療用の光で縁取りしてしまったんです」
「縁取り...?」
ノエルは想像して、思わず噴き出しそうになりました。
「まるで、傷がキラキラ光る装飾のようになってしまって」
ラファエルの説明に、ノエルはついに笑ってしまいました。
「それは...大変でしたね」
「ええ。患者さんは『なんだか素敵ですね』と褒めてくださったんですが」
師匠の天然ぶりが伝わってくる話でした。
「結局、先輩に直してもらったんです」
ラファエルが苦笑いを浮かべました。
「でも、その時に先輩が言ってくれたんです」
お茶を差し出しながら、ラファエルは続けました。
「『失敗も、大切な経験だよ』って」
「素敵な先輩ですね」
「ええ。そして『完璧を目指さなくていい。相手のことを思う気持ちが一番大切だ』と」
その言葉に、ノエルは深く考え込みました。
「それから、別の失敗もありまして」
ラファエルが思い出したように付け加えました。
「あれ?なんの話でしたっけ?」
「治療の失敗談です」
「ああ、そうそう」
相変わらずの天然ぶりに、ノエルは温かい気持ちになりました。
「風邪の治療をしていた時、治癒術を間違えて、患者さんの髪がふわふわになってしまったんです」
「ふわふわに?」
「まるで雲のように、ふわりふわりと」
ラファエルが手でふわふわを表現しながら説明します。
「でも、これも偶然、良い結果になりまして」
「どういうことですか?」
「その方は髪のボリュームが気になっていたそうで、とても喜んでくださったんです」
なんとも師匠らしい、ほのぼのとした失敗談でした。
「失敗が、良い結果につながることもあるんですね」
「そうなんです。だから、失敗を恐れることはないんですよ」
ラファエルの優しい言葉に、ノエルの心が軽くなりました。
「完璧でなくても、相手を思う気持ちがあれば、きっと道は開けます」
師匠の体験から生まれた言葉だからこそ、説得力がありました。
「それに」
ラファエルが少しいたずらっぽく微笑みました。
「私、今でも時々間違えるんですよ」
「今でも?」
「先日も、治癒術を間違えて、治療室の壁を光らせてしまいました」
その告白に、ノエルは驚きました。
「でも、結果的に治療室が明るくなって、患者さんが『気持ちが明るくなりました』と言ってくださって」
「それは...すごいです」
偶然の産物とはいえ、結果オーライなのが師匠らしいところでした。
「だから、ノエルも完璧を目指さなくていいんです」
ラファエルがお茶を一口飲んでから続けました。
「焦らず、優しく、着実に。そして、相手を思う気持ちを忘れずに」
その指導方針の裏に、こんな経験があったのかと、ノエルは感慨深く思いました。
「ありがとうございます。少し、気持ちが楽になりました」
「それは良かった」
ラファエルが優しく微笑みました。
「あ、そういえば」
師匠が何かを思い出したような表情を見せました。
「今日は戦闘訓練でしたっけ?」
「いえ、治癒術の練習です」
「そうでした、そうでした」
この天然ぶりも、師匠の魅力の一つでした。
「では、もう一度練習してみましょうか」
「はい」
今度は、完璧を目指さず、相手を思う気持ちを大切にして治癒術を試してみました。
光は相変わらず小さかったですが、温かみのある、優しい光が出ました。
「素晴らしい」
ラファエルが満足そうに頷きました。
「技術的には未熟でも、その光には確かに愛情が込められています」
「本当ですか?」
「ええ。きっと患者さんにも、その気持ちは伝わります」
師匠の言葉に、ノエルは自信を取り戻しました。
帰り道、ノエルは今日の学びを振り返っていました。
完璧な師匠だと思っていたラファエルにも、失敗の経験があったこと。そして、その失敗から学んだ大切なことを、今度は自分に教えてくれていること。
「(師匠も、人間味がある人なんだな)」
その発見が、師弟関係をより深い信頼関係に変えてくれました。
完璧でなくてもいい。大切なのは、相手を思う気持ち。
師匠の失敗談が教えてくれた真実を、ノエルは胸に刻みました。
窓から見える夕暮れが、今日の学びを優しく照らしていました。
失敗も含めて、師匠のすべてを尊敬できる。そんな関係性が、静かに育まれた一日でした。
## あとがき
ラファエル師匠の意外な失敗談を聞いたノエル。完璧だと思っていた師匠にも人間味ある過去があったことで、完璧でなくても良いという大切な学びを得ます。相手を思う気持ちこそが最も重要だという教えが、二人の信頼関係をさらに深めていきます。




