第28話:「慈愛に満ちた任務」
雲の上に迷子の報告が入ったのは、午後の訓練時間が終わった直後でした。
「迷子?」
ノエルが首を傾げると、報告に来た天使が説明しました。
「はい、雲の庭園で小さな子犬が迷子になっているようです」
「子犬...ですか」
その言葉を聞いた瞬間、ミカエルの表情が変わりました。
「子犬か」
いつもの厳格な戦士長の顔から、わずかに目元が緩んでいます。
「ミカエル様、どうなさいますか?」
「うむ。すぐに保護に向かう」
その返答の速さに、ノエルは少し驚きました。普段のミカエルなら、もっと慎重に判断するはずです。
「私も同行します」
「そうか。では行こう」
二人は急いで雲の庭園へと向かいました。ミカエルの歩みが、いつもより少し速い気がします。
「(やけに急いでいるような...)」
ノエルは不思議に思いながら、後を追いました。
庭園に到着すると、雲の花壇の陰から小さな鳴き声が聞こえてきました。
「くぅん...」
近づいてみると、そこには白くてふわふわの子犬がいました。大きな目で二人を見上げています。
「こんなところに...」
ノエルが優しく声をかけようとした瞬間、ミカエルが先に動きました。
「よしよし」
厳格な戦士長が、信じられないほど優しい声で話しかけています。その表情は、もはや別人のようでした。
「可愛いな...」
ミカエルが膝をついて、子犬をそっと抱き上げました。普段の威厳ある姿からは想像もできない、優しさに満ちた所作です。
「ミカエル様...?」
ノエルの驚きの声も、ミカエルの耳には届いていないようでした。完全に子犬に夢中になっています。
「迷子になったのか。怖かっただろう」
子犬の頭を優しく撫でながら、ミカエルの声はどんどん柔らかくなっていきます。
「くぅん」
子犬が甘えるように鳴くと、ミカエルの表情がさらに緩みました。
「(これが...あの厳格なミカエル様...?)」
ノエルは目を疑いました。訓練では厳しく、職務では完璧。そんなミカエルが、子犬の前では完全に骨抜きです。
「この子は...まだ小さいな」
ミカエルが子犬を優しく観察しています。その目は、普段の鋭さは影を潜め、慈愛に満ちていました。
「飼い主を探さないと...」
ノエルが提案しましたが、ミカエルの返事はありませんでした。子犬を撫でることに夢中で、完全に職務を忘れているようです。
「ミカエル様?」
「ん?ああ、そうだな」
我に返ったミカエルでしたが、視線は子犬から離れません。
「でも、この子が不安にならないよう、しっかり抱いていなければ」
そう言い訳をしながら、子犬を胸に抱き寄せました。
「(言い訳がすごい...)」
ノエルは苦笑いを浮かべました。でも、その姿は微笑ましくもあります。
「では、私が飼い主を探してきます」
「うむ、頼む」
ミカエルは即座に了承しました。一人で子犬と過ごせることに、内心喜んでいるような気がします。
ノエルが飼い主を探しに行っている間、ミカエルは子犬と戯れていました。
戻ってくると、ミカエルは雲のベンチに座って、子犬を膝の上に乗せていました。
「この子は賢いな。もうすっかり懐いている」
満面の笑みを浮かべるミカエル。普段の厳格さは、完全にどこかへ行ってしまっています。
「飼い主が見つかりました」
ノエルが報告すると、ミカエルの表情が一瞬曇りました。
「そうか...」
明らかに名残惜しそうです。
「もう少し...いや、すぐに返さねばな」
葛藤する姿が、なんとも人間味に溢れていました。
飼い主の天使が駆けつけてくると、子犬は喜んで飛びつきました。
「ありがとうございます、ミカエル様」
飼い主が感謝すると、ミカエルは急に厳格な表情に戻りました。
「うむ。今後は目を離さぬようにな」
でも、その目は子犬から離れません。別れを惜しんでいるのが、手に取るように分かります。
子犬が連れて行かれる時、ミカエルは小さく手を振りました。
「元気でな...」
その呟きは、とても優しいものでした。
飼い主たちが去った後、ミカエルは深いため息をつきました。
「可愛い子犬だった...」
完全に未練たっぷりです。
「ミカエル様、動物がお好きなんですね」
ノエルが声をかけると、ミカエルは慌てて姿勢を正しました。
「いや、そういうわけでは...」
でも、誤魔化しきれていません。その表情には、まだ子犬への未練が残っています。
「職務として保護しただけだ」
「はい」
ノエルは微笑みながら頷きました。ミカエルの言い訳を、そっと受け入れます。
「(こんな一面があったなんて...)」
厳格な戦士長の、意外な優しさ。それは、訓練での厳しさとは違う、もっと自然で温かいものでした。
帰り道、ミカエルは時々後ろを振り返っていました。まだ子犬のことを考えているのでしょう。
「今度、また迷子の動物がいたら...」
ミカエルが小さく呟きました。
「はい?」
「いや、なんでもない」
誤魔化そうとするミカエルでしたが、その目は期待に輝いていました。
「(また保護したいんだろうな...)」
ノエルは心の中で笑いました。
執務室に戻ると、ガブリエル嬢が微睡んでいました。
「お疲れさま...です」
目を開けた彼女に、ノエルは今日の出来事を報告しました。
「ミカエルが...動物に夢中...でしたか」
「はい、完全に職務を忘れるほどでした」
ガブリエル嬢は優しく微笑みました。
「彼は...本当は...とても優しいのです」
その言葉に、ノエルは深く頷きました。
今日見たミカエルの姿は、強さとは違う、もう一つの美しさを教えてくれました。
厳格さと優しさ。強さと慈愛。人は多面的な存在なのだと、ノエルは学びました。
「尊い...」
いつもの口癖が、今日はミカエルの姿にも向けられました。
窓の外では、夕暮れの雲海がゆったりと流れています。
今日の任務は、子犬の保護だけでなく、真の優しさとは何かを学ぶ機会となりました。
強い者ほど、優しくあれる。その真実を、ノエルの心に深く刻んだ一日でした。
## あとがき
迷子の子犬保護任務で見せた、ミカエルの意外な一面。厳格な戦士長が職務を忘れて夢中になる姿から、ノエルは強さと優しさの両立について学びます。動物への無条件の愛情表現が教えてくれた、真の慈愛の形とは。




