第25話:「見失った存在の重み」
定期視察の日は、雲海が穏やかに広がる午後から始まりました。
ノエルはガブリエル嬢と共に、天界の各施設を巡回していました。今日は夕方から魔界との定例会議が予定されており、時間厳守が求められる重要な日でした。
「次は...雲の庭園ですね」
「そう...ですね...」
ガブリエル嬢は相変わらず眠そうでしたが、的確に視察を進めていきます。
「会議まで、あと2時間ほどですね」
「ええ...急ぎましょう...」
そう言いながらも、歩みは相変わらずゆったりとしていました。
雲の庭園は天界でも特に広い場所で、様々な雲の花が咲き誇っていました。色とりどりの雲が、ふわふわと漂っています。
「こちらの状態を...確認して...」
ガブリエル嬢がノエルに指示を出しました。
「はい、すぐに」
ノエルは指示された区画へと向かいました。雲の花壇の状態を確認し、記録を取る作業です。
「ここは問題なし...こちらも順調...」
メモを取りながら、次の区画へと移動します。
作業に集中していると、あっという間に時間が過ぎていきました。一通りの確認を終えて、ノエルは元の場所に戻りました。
「ガブリエル様、確認が終わり——」
報告しようとして、ノエルは立ち止まりました。
ガブリエル嬢の姿が、そこにはありませんでした。
「ガブリエル様?」
周囲を見回しますが、どこにも見当たりません。
「(少し先に行かれたのかな)」
ノエルは庭園の先へと歩き始めました。でも、そこにもガブリエル嬢の姿はありません。
時計を確認すると、会議開始まであと1時間半。天界の中心部まで戻るには、最低でも30分はかかります。
「ガブリエル様!」
声を上げて呼びかけますが、返事はありませんでした。
「(まずい...会議に遅れたら...)」
魔界との定例会議は、天魔平和協定の維持において極めて重要でした。遅刻は外交問題に発展しかねません。
庭園の右側を探し、左側を探しましたが、どこにも姿はありません。
焦りが募ってきた時、近くで作業をしている庭園管理の天使を見つけました。
「すみません、ガブリエル様を見かけませんでしたか?」
「ああ、ガブリエル様なら」
管理天使は気軽に答えました。
「30分ほど前、東側の雲ベンチで気持ち良さそうに寝てらっしゃいましたよ」
「30分前!?」
ノエルは急いで東側の休憩所へ向かいました。会議開始まで、あと1時間15分。
息を切らして雲ベンチに到着すると——
誰もいませんでした。
「(もう起きて...移動されたのか...)」
クッションには、まだ微かに温もりが残っています。つい最近まで、確かにここにいたのでしょう。
「でも、どこへ...」
ノエルは再び走り出しました。庭園の出口方向、会議室への道筋、可能性のある場所を次々と探します。
時間は刻々と過ぎていきました。会議開始まで、あと1時間。
「(このままでは...)」
でも、ガブリエル嬢を置いて行くわけにはいきません。
さらに探し続けました。噴水の近く、花壇の裏、雲の木立の中。
見つかりません。
焦りと不安が、胸の中で渦巻いています。でも、その感情は会議への心配だけではありませんでした。
「(いつもそばにいてくれるのに...)」
普段は当たり前のように感じていたガブリエル嬢の存在。その重みを、今になって痛感していました。
会議のことよりも、彼女がいないことの方が、心を乱している自分に気づきます。
「(どこに行ってしまったんだろう...)」
探し続けても見つからない焦りと、会いたいという想いが混ざり合います。
結局、時計は会議開始30分前を指していました。もう探している時間はありません。
「(一旦、会議室に...)」
ノエルは諦めて、急いで天界の中心部へ向かいました。
息を切らして会議室の扉を開けると——
「あら、ノエル。遅かったですね」
穏やかな声が響きました。
そこには、既に完璧な身なりで準備を整えたガブリエル嬢の姿がありました。資料も整理され、魔界側の席の確認も済んでいるようです。
「ガブリエル様!?」
ノエルは目を丸くしました。
「探して...いたのに...」
「まあ、ご心配を...おかけしました」
ガブリエル嬢は申し訳なさそうに微笑みました。
「雲ベンチで少し休んで...目が覚めたら、もう時間でしたので」
「(一人で...起きて...)」
ノエルは驚きを隠せませんでした。あれほど眠そうだったのに、ちゃんと時間通りに起きて、完璧に準備を整えている。
「会議の準備は...全て...整っています」
資料を確認しながら、ガブリエル嬢が告げました。その姿は、いつもの微睡む天使ではなく、外交のプロフェッショナルでした。
「さすがです...」
ノエルの声は、感嘆と安堵で震えていました。
「でも...心配...させてしまいましたね」
ガブリエル嬢がノエルを見つめました。
「すみません...」
「いえ...探してくれて...ありがとう」
その優しい言葉に、ノエルの胸が温かくなりました。
会議が始まるまでの数分間、二人は並んで準備の最終確認をしました。
空回りした心配だったかもしれません。でも、その気持ちは確かに本物でした。
会議が始まり、ガブリエル嬢の完璧な外交手腕を見守りながら、ノエルは思いました。
「(やっぱり...すごい人だ)」
眠そうに見えても、大切な時にはちゃんと完璧にこなす。それがガブリエル嬢でした。
でも同時に、探し回った自分の気持ちも、嘘ではありませんでした。
会議のことよりも、彼女に会えないことの方が、心を乱していた。その事実が、新しい何かを物語っているような気がしました。
会議が無事終了した後、ノエルは改めて思いました。
「尊い...」
いつもの口癖が、今日はいつもより深い意味を持って響きました。
窓から見える夕焼けが、いつもより美しく見えました。
普段は気づかない、当たり前の存在の重み。それを実感した一日でした。
## あとがき
重要会議を前に、ガブリエル嬢を見失ったノエル。必死に探し回った末、会議室で既に完璧な準備を終えた彼女と再会します。「眠そうでも超有能」な彼女への感嘆と、心配した自分の気持ちの本質に気づく、成長の一日となりました。




