第13話:眠りと覚醒の調和
光が差し込む頃、天界では月に一度の定期点検が行われる日でした。
各部署の業務状況を確認し、設備の安全性をチェックする重要な行事です。
ノエルは早朝から点検資料の準備に追われていました。
チェックリストの確認、必要書類の整理、測定器具の準備。初めての定期点検参加で、何をどう準備すべきか分からず、手間取ってばかりです。
「これでよろしいでしょうか……」
不安げに資料を確認していると、執務室の奥からゆっくりとした足音が聞こえてきました。
ガブリエル嬢が現れましたが、その様子は普段にも増してうとうとしていました。
目がほとんど開いておらず、歩く足取りもふわふわとして頼りありません。
「おはようございます、ガブリエル嬢」
「……おはよう……ございます」
返事も眠そうで、今にも立ったまま眠りに落ちてしまいそうです。
(大丈夫だろうか……)
ノエルは心配になりました。
定期点検は天界でも重要な業務です。これほど眠そうな状態で、きちんと対応できるのでしょうか。
やがて点検官たちが到着しました。
厳格な表情をした三名の天使が、分厚いチェックリストを手に執務室に入ってきます。
「本日はよろしくお願いいたします」
点検官の挨拶に、ガブリエル嬢は静かに頷きました。
しかし、その頷き方すらゆっくりで、まるでスローモーションのようです。
「それでは、業務記録の確認から始めさせていただきます」
点検が開始されました。
最初は簡単な質疑応答から始まります。
「先月の神託受信件数は?」
ガブリエル嬢は目を閉じたまま、ほとんど聞こえないような小さな声で答えました。
「……千二百三十七件」
点検官が記録を確認すると、数字はぴったり合っていました。
「処理完了率は?」
「……九十九・八パーセント」
これも正確でした。
点検が進むにつれて、ノエルは驚きを隠せませんでした。
ガブリエル嬢は終始うとうとしているにも関わらず、すべての質問に即座に、そして完璧に答えているのです。
「設備の安全確認に移ります」
次の段階では、神託受信装置の動作チェックが必要でした。
複雑な操作手順があり、ノエルは準備していた手順書を取り出そうとしました。
その時でした。
ガブリエル嬢が、まるで夢遊病者のようにふらふらと装置の前に立ちました。
目はほとんど閉じており、意識があるのかも分からない状態です。
しかし次の瞬間、彼女の手が装置のパネルを滑らかに操作し始めました。
目を閉じたままでありながら、迷いのない正確な動き。
まるで装置と一体化しているかのような、流れるような操作です。
装置が起動し、各種数値が正常範囲内であることを示すランプが次々と点灯していきます。
「完璧ですね」
点検官たちも感嘆の声を上げました。
通常なら十分以上かかる安全確認作業を、ガブリエル嬢はわずか三分で完了させてしまったのです。
「書類整理の確認をお願いします」
次は事務処理能力のチェックでした。
山積みになった書類を、重要度と緊急度に応じて分類する作業です。通常は一時間程度かかる作業量でした。
ガブリエル嬢は相変わらずうとうとしながら、書類の山の前に座りました。
目を閉じたまま、一枚一枚を手に取っていきます。
すると、信じられないことが起こりました。
書類を手に取った瞬間、まるで中身を透視しているかのように、適切な分類箱に次々と振り分けていくのです。一枚につき平均二秒程度。読んでいる時間など全くありません。
しかし、分類は完璧でした。
点検官が抜き打ちで確認しても、一件の間違いもありませんでした。
「素晴らしい……」
点検官の一人が思わず呟きました。
「これほど効率的で正確な業務処理は見たことがありません」
ノエルは目を見開いて、この光景を見つめていました。
眠っているようにしか見えないガブリエル嬢が、なぜこれほど完璧な仕事をこなせるのでしょうか。
「最後に総合評価をお聞かせください」
点検官が最終的な質問をしました。
「今期の業務で、改善点はございますか?」
ガブリエル嬢は少し考えるような仕草を見せました。
目は相変わらず閉じたままですが、何かを深く思案している様子です。
「……おやつの時間を……もう少し長くしていただければ……」
この答えに、点検官たちは苦笑いを浮かべました。
「承知いたしました。検討させていただきます」
すべての点検が完了すると、ガブリエル嬢への評価は最高点でした。
「模範的な業務運営」「他部署の参考にすべき効率性」といった高い評価が並びます。
点検官たちが去った後、ノエルは改めてガブリエル嬢を見つめました。
彼女は椅子に座ったまま、再び深い眠りに入りかけています。
「ガブリエル嬢……」
「……はい?」
「今の点検、本当に素晴らしかったです」
「……そうですか……」
眠そうな返事でしたが、微かに嬉しそうな表情が浮かんだような気がしました。
「どうして、あれほど完璧にお仕事をこなせるのですか?」
ガブリエル嬢は少し考えてから、ゆっくりと答えました。
「……よく分からないのですが……体が覚えているのかもしれません……」
「体が、ですか?」
「……長年同じお仕事をしていると……意識しなくても……手が動くようになるのです……」
なるほど、とノエルは納得しました。
熟練の技術者が、考えるより先に体が動くというのと同じことなのでしょう。
しかし、それにしても今日見た光景は驚異的でした。
眠りながらでも完璧な仕事をこなすなんて、まさに神業としか言いようがありません。
「……おやつの時間ですね……」
ガブリエル嬢のいつもの決まり文句が聞こえました。
見ると、時計はちょうど三時を指しています。
「準備いたします」
ノエルがお茶の用意を始めると、ガブリエル嬢は満足そうに微笑みました。
お茶の時間が始まると、ガブリエル嬢は普段よりも少し話し好きでした。
「……点検は……疲れますが……達成感もあります……」
「お疲れさまでした。完璧なお仕事ぶりでした」
「……ありがとうございます……でも……」
ガブリエル嬢は小さく首をかしげました。
「……眠いのに……なぜうまくいくのか……自分でもよく分からないのです……」
この素直な告白に、ノエルは微笑ましさを感じました。
当の本人も自分の能力を不思議に思っているのです。
「きっと、それがガブリエル嬢の特別な才能なのですね」
「……才能……ですか……」
「はい。眠りと覚醒の境界で発揮される、神秘的な能力だと思います」
ガブリエル嬢は少し考えて、小さく頷きました。
「……そうかもしれません……夢と現実の……間にいる時が……一番集中できる気がします……」
この言葉に、ノエルは深い感動を覚えました。
普通の人が完全に目覚めている時に発揮する集中力を、ガブリエル嬢は眠りの境界で発揮するのです。
「……尊い」
いつものように、心からの感嘆の言葉が口をつきました。
真のプロフェッショナルとは何かを、今日は身をもって学ぶことができました。それは、自分の特性を理解し、それを最大限に活かすことなのかもしれません。
おやつの時間が終わると、ガブリエル嬢は再び眠りの世界へと誘われていきました。
しかし、それも彼女にとっては大切な充電時間なのでしょう。
夕方になり、一日を振り返ったノエルは、改めてガブリエル嬢への尊敬を深めていました。
表面的には眠そうに見えても、その奥には研ぎ澄まされた技術と責任感があるのです。
これからも、このような驚異的な瞬間に立ち会えることを、ノエルは心から楽しみにしていました。眠りと覚醒の境界で発揮される、ガブリエル嬢の美しい技術を見守り続けたいと思いながら。
## あとがき
定期点検という重要な場面で発揮されたガブリエル嬢の神速業務処理を通じて、真のプロフェッショナリズムとは何かを静かに問いかけた物語でした。眠りと覚醒の境界で生まれる集中力の神秘と、熟練が生み出す驚異的な技術をお届けしました。次回は、ガブリエル嬢の無防備な美しさに、ノエルの心がどのような新しい扉を開くのでしょうか。




