表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/100

第12話:並び歩く幸福感

雲海に夕方の光が優しく差し込む頃、ガブリエル嬢から予期せぬ提案がありました。

「ノエル、少し散歩でもいかがでしょうか」


一日の業務を終えた安らぎの時間。

執務室で微睡んでいたガブリエル嬢が、ゆっくりと立ち上がりながら言いました。


「はい、ぜひ」

ノエルは喜んで承諾しました。


これまで業務でのやりとりばかりでしたが、こうして一緒に歩く時間をいただけるとは思いもしませんでした。


二人は執務棟を出て、天界の雲上散歩道へと向かいました。

夕陽に染まる雲海が、まるで絵画のように美しく広がっています。そよ風が頬を撫でていく心地よさに、ノエルの心も自然と軽やかになりました。


歩き始めてすぐに、ノエルは気づくことがありました。

ガブリエル嬢の歩くペースが、とてもゆったりとしているのです。


普段の業務での機敏さとは対照的な、のんびりとした足取り。

一歩一歩を大切にするかのように、ゆっくりと雲の道を進んでいきます。


最初、ノエルは自分の歩調で歩いていました。

しかし、気がつくとガブリエル嬢から数歩前に出てしまっています。


「あ、すみません」

慌てて歩調を緩めるノエルに、ガブリエル嬢は穏やかに微笑みました。


「急ぐ必要はありませんよ。散歩は、ゆっくりが一番です」


その言葉に従って、ノエルは意識的にペースを落としました。

すると、今まで気づかなかった景色の美しさが見えてきたのです。


雲の合間から差し込む光の筋。

風に揺れる雲草の繊細な動き。

遠くから聞こえてくる、天使たちの穏やかな話し声。


急いで歩いていては見過ごしてしまうような、小さな美しさがそこにありました。


「良い風ですね」

ガブリエル嬢が静かに言いました。


「はい、とても気持ちが良いです」

ノエルも同じように風を感じながら答えました。


二人の歩調が合ってくると、不思議な一体感が生まれました。

足音も呼吸も、自然と同じリズムになっていきます。まるで昔からずっと一緒に歩いてきたかのような、調和した時間の流れでした。


ガブリエル嬢の横顔を見ると、いつものように穏やかな表情をしています。

歩きながらも、どこかうとうとしているような、まどろみの気配が漂っていました。


その安らかな雰囲気に包まれて、ノエルも次第に心が穏やかになっていきます。

日々の緊張や不安が、雲海の風に吹き飛ばされるような心地よさでした。


「この道は、よく散歩されるのですか?」

ノエルが尋ねると、ガブリエル嬢は小さく頷きました。


「時々。一人で歩くことが多いのですが……」

少し間を置いて、微笑みながら続けました。


「二人だと、より楽しいですね」


その言葉に、ノエルの心は温かい喜びで満たされました。

自分と一緒の時間を楽しんでくださっているという実感。それは何にも代えがたい幸福感でした。


歩き続けるうちに、ガブリエル嬢のゆったりとしたペースに完全に慣れてきました。

もはや意識することなく、自然に彼女の歩調に合わせることができています。


そして、その時初めて理解したのです。

急ぐことなく、目的地を定めることなく、ただ歩くことの美しさを。


散歩とは、どこかに行くためのものではなく、その瞬間瞬間を味わうためのものなのだと。ガブリエル嬢は、そのことを身をもって教えてくださっているのでした。


雲の噴水のほとりで、二人は少し立ち止まりました。

「少し休憩いたしましょうか」


噴水の縁に腰を下ろすと、ガブリエル嬢は心地よさそうに目を細めました。

水音と風の音が調和した、天界ならではの音楽が空間を包んでいます。


「眠くなってきませんか?」

ガブリエル嬢が、いかにも眠そうに言いました。


確かに、ノエルも眠気を感じ始めていました。

しかし、それは疲労による眠気ではありません。深い安らぎがもたらす、心地よい眠気でした。


「少し……でも、気持ちの良い眠気です」

「そうですね。平和な証拠ですわ」


ガブリエル嬢の言葉には、深い智恵が込められていました。

本当に心が安らいでいる時、人は自然と眠気を感じるものなのかもしれません。


休憩を終えて再び歩き始めると、今度はノエルから歩調を合わせることができました。

ガブリエル嬢のペースを完全に理解し、それに寄り添うように歩くことができるのです。


その時の一体感は、言葉では表現しきれないものでした。

二人で歩くことの喜び。歩調を合わせることで生まれる親密さ。そして、時間を共有することの幸福感。


「あら」

ふと、ガブリエル嬢が足を止めました。


「もう随分歩きましたね」

振り返ると、確かに出発点からかなりの距離を歩いていました。


「時間を忘れておりました」

ノエルも驚きました。


これほど長い距離を歩いていたとは思えないほど、時間が短く感じられたのです。楽しい時間は早く過ぎるとは言いますが、今日の散歩はまさにそれでした。


帰り道も、同じようにゆったりとしたペースで歩きました。

行きとは違う道を選んだガブリエル嬢の提案で、新しい景色を楽しみながらの散歩です。


「違う道だと、また違った美しさがありますね」

「はい。天界には、まだまだ知らない美しい場所がたくさんあります」


そんな会話を交わしながら、二人は夕暮れの雲海を歩き続けました。

会話があってもなくても、その時間はかけがえのないものでした。


執務棟が見えてきた頃、ノエルは心から思いました。

これほど幸せな時間を過ごしたのは、久しぶりのことでした。


特別なことをしたわけではありません。

ただ一緒に歩き、同じ景色を見て、同じ風を感じただけです。


しかし、その何気ない時間にこそ、人と人とのつながりの本質があるのかもしれません。歩調を合わせることで生まれる信頼関係。時間を共有することで深まる理解。


「お疲れさまでした」

執務棟の前で、ガブリエル嬢が微笑みながら言いました。


「こちらこそ、ありがとうございました」

ノエルの答えには、心からの感謝が込められていました。


「また、お時間がある時に」

「ぜひ、よろしくお願いいたします」


別れ際の約束に、ノエルの心は温かい期待で満たされました。

またこのような時間を過ごすことができるなんて、なんと幸せなことでしょう。


宿舎に戻る道すがら、ノエルは今日の散歩を振り返りました。

ガブリエル嬢のゆったりとした歩調に合わせることで学んだ、時間の美しさ。急がないことの価値。そして、何気ない瞬間にこそ宿る幸福感。


「……尊い」

いつものように口をついた言葉には、新たな深みがありました。


一緒に歩くだけで、これほど心が満たされるとは。人と時間を共有することの素晴らしさを、身をもって体験した貴重な夕方でした。


夜が更け、雲海に星が瞬く頃、ノエルは今日の幸福感を胸に眠りにつきました。

明日もまた、ガブリエル嬢との穏やかな時間があることを願いながら。


遠くの夜空では、同じ星を見上げているガブリエル嬢がいるかもしれません。今日の散歩を静かに思い返しながら、また一緒に歩ける日を楽しみにしているかもしれません。


並んで歩くことの何気ない幸せ。それは、人生で最も大切なものの一つなのかもしれませんでした。

## あとがき


ガブリエル嬢とのゆったりとした散歩を通じて、急がない時間の美しさと、歩調を合わせることで生まれる親密さを描いた物語でした。何気ない瞬間にこそ宿る真の幸福感と、人と時間を共有することの尊さをお届けしました。次回は、日常業務の中で垣間見える、ガブリエル嬢の驚異的な能力に、ノエルがどのような感嘆を覚えるのでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ