『兼家女、庚申の夜の速記中に頓死のこと』速記談6004
関白太政大臣藤原兼家公の姫君が、庚申待ちついでに速記をしている最中に、脇息に寄りかかった状態でお亡くなりになってしまわれた。兼家公から道長公へと続く御一門が、長く、女房の庚申待ちをしなくなったのは、このことがあったためであるという。
教訓:今では、十干十二支は、年にしか言われなくなったが、実は日にも、十干十二支が割り振られている。庚申の日には、人間の体の中に住んでいる三尸虫が、宿主が寝ているうちに体を抜け出して、天帝に宿主の罪を報告するという信仰があって、貴族たちは、庚申の日は、夜中じゅう寝ないで、三尸虫が体から抜け出さないようにしたという。これを庚申待ちという。絶対、修学旅行の夜みたいになっていたと思う。