神に愛された少女
頭を空っぽにして読んでください。
書きたい所だけ書きました。
(ああムカつく、ムカつく、ムカつく!!)
私、ソフィア・ウィッカムは、イライラした気持ちを抑えられないまま廊下を歩いていた。
ぎりり、と爪を噛んでしまう。いけないと思っているのに止められない。
(それもこれも、全部あの女のせいよ!!)
憎々しいあの面を思い出す。
長ったらしい白髪に桃色の瞳をしたその女は、イヴ・アッシュフィールドと名乗った。
貴族の家の娘だけど、普段は修道院に居て、半年間だけこの学校に通うこととなったらしい。この時点で意味不明だ。
なんでも、イヴとかいう女は熱心なアダムヴィル教徒らしい。ちなみにアダムヴィルとは、この世界に伝わる神話の一つに出てくる最高神のこと。
イヴはそのアダムヴィルを深く信仰している修道女だった。
だから普段は修道院に居たのだけれど、後学のためだとかなんだとか言って……この辺りは深く覚えてない。そんな流れで、少しだけこの学校に通うことになった。
その時点では別に気にも留めてなかった。やたらと美人な転入生が来たという話を聞いて、ちょっとだけイラつきはしたけど。
だけど……その女、イヴは、私がこれまで大事に育ててきた、私の男どもを奪っていったのよ!!
第二王子のアスラン、宰相子息のジェレミー、騎士団長子息のレオン……他にもたくさん。
え? そもそもそいつらには別に婚約者が居る? 知らないわよそんなこと。私をチヤホヤしてくれるなら何だっていいの!
とにかく、そんな私の大切な恋人達を、イヴは瞬く間に盗んでいった。
最初は転入生の話が出てくるだけだった。でも、日に日に皆がイヴの話しかしなくなって……。そこで初めて、奴の顔を拝んでやろうと思ったの。
……正直に言えば、初めて見た時は、その美しさに呑まれた。
私が今まで見てきた中で、一番に美しい女。どんな貴族令嬢だって、舞台女優だって敵わないくらい、神秘的な美しさがあいつにはあった。
でも、そんな気持ちはすぐ憎しみに塗り替えられた。
『あいつが、私からみんなを……!』
奪ったのだ。人のものを勝手に。今までみんなに囲まれて、好きなものを好きなだけ貢がれて、楽しくて幸せだった日々を!
だから、何とか奪い返そうとしたわ。
みんなに直接「イヴに嫌がらせをされた」と泣きついたり、私の魅力をより伝えようと、身体を使ったり。
それでも、皆の心は何故か動かない。
『イヴ嬢は信心深くて、とても清らかな女性だよ』
『イヴ嬢がそんなことをするはずがない』
『そんなことを言う君の方がおかしいよ、ソフィア』
……話にならなかったわ。
だから、本人にも言いに行った。私の皆を盗らないでって。
そしたらあいつ、何て言ったと思う?
『私の心にありますのは、唯一なるアダムヴィル様のみ。
他の皆様はただ私に親切にしてくださっているだけです。ご心配なさらないで』
ですって!
バッカじゃないの?! と思った。そもそも、神なんてこの世界のどこにも、存在してないってのに!!
存在してないもののために身を削るなんて、馬鹿馬鹿しくてたまらないでしょ!!
あんまりにもウザい言い分だったから、ちょっとばかしの嫌がらせもしたりした。服を汚したりちょっとぶつかったり、悪口を言ったり。
でも、こんなの序の口よね? やってないに等しいくらいだと思う。
悔しいことに、本人だってずっとあの真顔で、気にしてない風に振る舞ってたし。
まぁそんなどうでもいいことは置いておいて。
ということで、絶賛今私の心には嵐が吹き荒んでいるのだ。全部イヴとかいう女のせいだということも、理解してもらえたと思う。
「ああ、何かこのイライラを解消できるものは無いかしら……」
一人でに呟く。
最近の彼らと来たら、毎日毎日イヴの元へと侍っているのだ。私が呼んでも誰も応えてくれない。腹立たしくて嫌になる。
そんなことを考えていた、その時だ。
それに出会ったのは。
「……ん?」
廊下の先に、キラリと光る何かが落ちている。
顔を顰めながら、何だろうとそれを手に取った。
赤い色の石がついたチェーンネックレスだった。
「……これ、どこかで見たような……?」
頭の中で記憶を整理する。そして、かしこい私はすぐに思い当たった。
──イヴの物だ。
『アダムヴィル様からの加護を頂いた大事な物」とか言って。首から下げていたのを今思い出した。
あいつ、大事とか言ってる割には落としてるじゃない。馬鹿ねぇ。
「……そうだ」
にやりと口角を上げる。
サイッコーに! 可愛くって頭のいい私、良いことを思いついちゃった!
*
奴の姿は探せばすぐに見つかった。忌々しいけれど、目立つ女だから。あれは。
「イヴさん。お探し物はこちらかしら?」
イヴの背後から声をかける。
長い白髪を翻しながら彼女が振り向くと、桃色の目が大きく見開かれた。
これみよがしにチャラ、と見せているネックレスを凝視している。
「あっ……、ウィッカム様が見つけてくださっていたんですね。ありがとうございます!」
ぱぁ、と明るくなる女の顔。能天気すぎてつい舌打ちしちゃった。
「では……」なんて言って私からネックレスを受け取ろうとするから、腕を横に動かして取れないようにしてやった。
「え?」
困ったように眉を下げるイヴ。その顔すら麗しいのだから、私のイライラ値は限界を突破しようとしていた。
「返して欲しいなら、ここまで取りに来なさいよ」
階段の踊り場から、下へと続く階段の方までふらりと動く。
それに合わせてイヴの身体もこちらに近づいてきた。
「ほーら、ほら」
「あっ……、あの、本当に大事なものなのです。ですから、お返しください……っ」
「どうしようかしらね〜?」
私の考えた作戦はこうだ。
イヴを階段の上まで誘導して、腕をこうやって遊ばせている内に、奴の足を引っ掛けてやる。
そうすればこの女はいとも簡単に階段から転げ落ちるだろう。上手くいけば、その憎々しい顔に消えない傷でもつけられるかもしれない!
「ちゃんと手を伸ばさないと取れないわよ〜?」
「っ……、……!」
イヴの視線は完全に私の手の上にあるネックレスに行っている。
今だ!!
「──あ、っ」
お留守になっている無防備な足を、私の自慢の長い足で引っ掛けてやった。
予想通り、バランスを崩して階段上から飛んでいくイヴの身体。
(やった!! そのまま無様に転べ、転べ──!)
私はこれから聞こえてくるであろう、人が地面にぶつかる鈍い音を予想して、ぎゅっと目を瞑ろうとした。
その瞬間。
視界が反転。
「────あぇ、?」
何が起こっているのかよく分からなかった。
否が応でも感じる浮遊感。
(あれ? 私の身体、飛んでる……??)
何も分からないまま、気が付いた頃には、鋭い衝撃が私の顔、腕、身体中を襲った。
(いた、い?)
痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い!!!!
ぼやける視界の中、辛うじて見えたのは、地面の色だった。
つまり、私が、落ち……。
「あ、ああ゛あ゛あッ!!」
あまりの痛みに何が起こっているのかよく分からなかった。
頭が痛い、顔が痛い、身体が地面にぶつかる音がした!!
「ソフィア?! 大丈夫かい?!」
そこに丁度通りがかっていたらしい、第二王子のアスランが声をかけてくれた。
一気に安心感が広がる。
そして、咄嗟に思った。
(これなら、私がイヴに突き落とされたことにできる……!!)
当初の予定とは少し違ってしまったかもしれないが、これも中々いい案だ。私が上から落ちてきたのは事実なのだから、これ以上の証拠はないはず!!
「い、イヴさんが……っ」
「え?」
「イヴさんが、私を、落としたのぉ……! いたい、痛いよぉっ!!」
ぐすぐすと泣く私の隣で、アスランがイヴに向かって問う。
「イヴ嬢、これは本当に君が……?」
この騒ぎに気付いて、周りにも人が集まってきた。いいぞ、いい調子だ!!
これでお前も終わりよ、イヴ!!
「私……」
しかし、こんな状況の中でも。
イヴの声は高く、透き通っていて。
「私は、何もしていません」
だんだんとはっきりしてきた視界の中で、イヴがいつものあの、美しい顔で。眉を下げながら、そう答えるのが見えた。
「──そうだよね!」
(え?)
アスランの明るい声が聞こえる。耳を疑った。
「イヴ嬢がそんなことをするわけがないってことは、僕が一番よく分かっているよ。
おおかた、ソフィアが足を滑らせて落ちてしまったんだろう。さ、ソフィア。僕が運ぶから……」
「──なんでよッ!!」
「え?」
思わず痛みも忘れて叫んだ。
どうして、何でそうなるの?! おかしいでしょう、どう考えても!!
「あの女がっ!! イヴが私を上から突き落としたの!! 倒れてる私が言うんだから、間違いないに決まってるでしょ?!」
「ソフィア……どうしてそんな勘違いをしているんだい? 心清らかなイヴ嬢がそんなことをするわけがないだろう」
アスランは困った顔をしながら、諭すように私に言う。
それを見れば私の怒りも限界だった。
「だからッ!! 私の言ってることが正しいって言っ……!!」
「……ん?」
すると。
アスランが私の手の中にある物に気付き、その瞬間、顔を大きく歪めた。
「ソフィア! これは何だ。イヴ嬢が大事に持っていたルビーのネックレスじゃないか?!」
「えっ……」
「まさか……、盗んだのか?」
アスランのその声を皮切りに、周りが一斉にどよめき、ひそひそと話し声が聞こえてくるようになった。
「そういえば、イヴ様が大事なネックレスを探しているという話が……」
「まぁ! では、あの娘がやはり盗んだの?!」
「なんてことだ……」
「ちょ、ちょっと、待ってよ……」
私がそう呟いても周囲の声は止まず。
それどころか、いつの間にか傍に来ていたジェレミーが「貸せ!」と言って私の手からネックレスを奪い取る。
そして、丁寧な足どりと丁寧な手つきで、イヴに渡しているのが見えた。
「災難でしたね、イヴ嬢……。もう大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます……。
あの、それで、ソフィアさんを早く保健室に……」
「ああ、ソフィアに大切なネックレスを奪われていたと言うのに、あなたは何て美しい心をお持ちなのか……!」
私には、もう何も分からなかった。
明らかに怪我をしている筈の私を、未だに誰も保健室へと運ぼうとしないこと。
私の言い分を全く信じず、逆に私の手にあったというだけで、イヴ本人が何か言う前に「盗んだ」と断定し蔑んだこと。
この場に居る、誰も彼もが、イヴの方を見つめていること──。
「ね、ねぇ……、い、痛いの、動けない……」
「ああ……、今人を呼んでくるから」
どうして、あなたが運んでくれないの?
どうして、蔑んだ目で私を見ているの?
どうして皆、怖いくらいに、あの女に夢中なの。
「うあ、ああああ……」
この恐ろしい空間の中。ろくに動くこともできない私は、ただそうやって声にならない声を上げることしかできなかった。
*
「今日のことは、アダム様の仕業ですね?」
私、イヴ・アッシュフィールドは、自室の中でアダム様にそう問いかけた。
ふよふよと空中に浮かび上がっている、最高神アダムヴィル様は笑いながら、「そうだが、それが何か?」と返す。
不敬かもしれないが、はぁ、とため息をついた。
「俺のものに手を出そうとしたんだ。当然の報いだろう?」
「……あなた様のなさることに、間違いはありません。
ですが、ウィッカム様は、お顔に消えない傷が残ると……」
「だから?」
そう言われてしまえば、返す言葉は何もなかった。
彼は神だ。この世界を支配する最高神。
彼の行うことに、間違いなどありはしない。
無論、彼の意見に逆らったり、異議を唱えるつもりなども毛頭無い。
だが……。
「あれは、少々やりすぎなのではないかと……」
「ああ、人心操作のことか? それならイヴ、お前にだって責任の一部はあるんだぞ」
「え……」
「お前が普段から周りの人間達を魅了しているから、いとも簡単にあの空気を作り出せたんだ。ほら、お前のせいにもなってる」
「…………さようで」
そう言われても、自分にはピンと来ない。
いつも皆に言っている通り、私の心を占めるのはいつだって、唯一なる彼、アダムヴィル様だけなのだから。
そして、彼は楽しそうにけらけらと笑う。
「それにしても、あー、面白かった!
人間はやはり観察し甲斐がある! 良き醜さを見せてもらったぞ!」
……彼が楽しそうにしていることは、何より喜ばしいことだ。
この世界は、彼を愉しませるために存在している。
「あなた様のお心を楽しませることが出来たのであれば、光栄に存じます」
「うむうむ。ここを選んで正解だったな。いい材料が揃っていると思っていたのだ」
……そもそも、彼に仕える身である私が何故この学園に通っているのか。
それは、もうすぐ18になる私の我儘を、アダム様が叶えてくださったからである。
彼と正式に婚姻……夫婦となる契りを結び、神の一員として名を連ねることになる前に、何か人間界でしておきたいことは無いのか。
ある日、そう尋ねてきた彼に、私はこう返したのだ。
『それならば、学園と呼ばれるものに通ってみたいです』と。
今まで物語の中でしか体験することができなかったもの。
私の、小さな憧れ。
学園に通って、普通の女の子みたいに、友達を作ったり勉強したり……、一度でいいから、そんなことをしてみたかったのだ。
彼はその願いを快く受け入れてくれた。
そして、通うべき場所も指し示してくださったのだ。それがここ、王立学園だった。
『今、この学園には美味そうな人間の感情共が詰まりに詰まっている。ここにお前が通えば、さぞかし楽しげな人間模様を見せてくれることだろうよ』
そのアダム様の言葉に従い、私はこの学園に半年間だけ通うようになった折、今日のような事件が起きた。
……彼は様々な人間の「感情」を見ることを愉しみにしているから。よい演目を届けられたなら、それに越したことはないのだが。
「それにしても。お前の美しさは相変わらず罪よな。
居るだけで周りの人間達を狂わせるのだから」
アダム様が笑いながら言う。
「……私のお心はあなた様だけのものです。決して、殿方を誘惑したりなどは……」
私自身は何もしていない。ただ、お友達を作って、楽しく過ごしていただけ。
なのに、人間というのはいつもいつも、アダム様だけを想う私の所に踏み込んでくる。
アダム様はそれを「お前が美しいからだ」と仰った。でも、やっぱり少しは納得いかない。
私はいつもいつも、口に出して、私の心を皆に話しているはずなのに。
「分かっている。俺もずっとお前の行動を見させてもらっていたのだから、知っているに決まっているだろう?
そうでなくとも、お前が俺以外の存在に心動かされることなど無いと、きちんと理解しているさ」
……それなら、良いのだけれど。
「だから、そうふてくされるな」
「ふてくされてなど……、!」
微笑みを浮かべているアダム様が、私の顎下に指を置く。
美しいかんばせが、とろりとした赤の瞳が、私を見つめる。
「…………」
ああ、その瞳に私が映るのが分かると。
「私の存在はこの人のために在るのだ」と、深く深く思わされる。
それが、私には喜ばしい。
「美しいイヴよ。お前は俺の妻だ」
「はい」
「ならばこれからも、俺を愛し、俺に愛され──、そして、面白いものを共に見よう」
その言葉に、私は心からの笑みを浮かべた。
「ええ。私の全ては、あなた様のために」
最高神アダムヴィルの寵愛を受けた、世にも美しい少女、イヴ。
彼女に一度手を出したならば、神による罰は避けられぬであろう。
そういう風に、世界は成り立っているのだ。
イヴ→メッチャクチャに美人な人間の少女。神域に長く居るせいか神秘性を帯びている。
昔からアダムヴィルに仕えていたからか、まず何よりも優先するのは彼への信仰となっている。
アダムヴィル→最高神。幼い頃から美しいイヴを見初めて自らの妻にするよう契約した。
長く生きているので退屈が多い。そのせいか、人の感情の動きを一種の演目として見て楽しむ節がある。
でもイヴのことはちゃんと大好き。何かあったら神罰下るよ。