「ある意味怖い話」部分
「怖いかもしれない」部分、投稿。
「……という話にしようかと思ってさ」
そういって話を締めくくると、俺は目の前にあるグラスをぐいとあおった。
「なるほどな」
目の前に座る友人――野村は、ふんふんとうなずく。
「たまには趣向を変えて、ってことか」
「そうそう。あまり重たい話ばかりだと胃もたれしそうだから、時には軽い話もいいかなと思って」
「短編なら、それができるものな」
「そうそう」
野村は、学生時代からの友人――というより、同志――で、互いに作家デビューを目指し、時に競いあい、励まし合ってきた仲だ。就職して社会人となり、作家という夢がぼやけ、くっきり見えなくなってきた今でも、こうして時々会って酒を飲み、酒を飲んでは好きな作家について語り合い、互いの作品について批評し合ったりする。医者に運動を勧められた俺に、「山歩きはどうだ?」と自然歩道について教えてくれたのも、この男なのである(実のところ俺は、小心者で引っ込み思案、その上人見知りなので、ショットバーなど同僚に連れられ2,3度しか行ったことはない。ましてや常連となってそこで新たな友達を作るなど、俺には到底不可能な所業だ)。
「いやあ、それにしてもびっくりしたよ。まさか山の中の、潰れかけのトイレに自動洗浄装置がついてるなんてさ。いきなりでかい声で話しかけられて、危うく的を外すところだった」
「汚えな!」
「いやだって、本当に体がびくってなって、軌道もそれにつられてじゃばばって乱れてさ」
「だから、汚えって。まあ、状況は想像できるけどな。そりゃ確かに、びっくりしない方がおかしいわ」
「だろ。いやあ、本当に参った。まさか山ん中に、あんな最新型のトイレがあるなんてさ」
「いや最新型って、設備保全トイレなんて10年以上前からあるだろ」
「山ん中だぜ?いつからあるんだこのトイレって感じのとこが普通なのに、自動洗浄だぜ?」
「まあ、他と比べりゃ、確かに最新型といっていいか」
「そうそう。まさかM山のど真ん中に、あんなとこがあるなんて。めったにない体験だったよ。ま、おかげでネタを一つつかめたんで、よかったけど」
飲み会での軽い話題の一つとしては十分に堪能できたし、そろそろ書きかけの長編とか、もう少し重たい話をしようかと、話を打ち切りかけたのだが……。
「……お前今、M山って言ったか?」
難しい顔となった野村が、いぶかしげな声を出した。
「M山って、H県のM山か?」
「そうだよ。俺の家から電車一本でいけるし、気楽に山歩きができるって勧めてくれたの、お前じゃないか」
「いや、まあ、そうだが……」
語尾を濁した野村は、そのまま無言でごそごそと脇の置いてあった鞄をあさり、タブレットを取り出すと、ポチポチイジりはじめた。
野村は、どうして今までデビューできてないのか、と常々不思議に感じるほどに、才能のある男だ。その分、行動がやや奇矯で、突然自分の世界に入ってしまい、話の流れをぶった切るようなことも、よくしでかしてくれる。今回も、その悪癖が出たなと思い、ヤツが無言でタブレットを操作する姿を、じっと眺めていたのだが……。
「なあ、お前が行ったっていうトイレって……ここか?」
差し出されたタブレットを受け取り、画面を一瞥する。と、そこには、切り開かれた森の中に点在するテーブルとベンチ、そして、ややひしゃげたように見える小屋が、頼りなさそうにたたずんでいる。
「そうそう、ここだと思う!小屋の屋根のつぶれ具合とか、覚えがあるし!」
弾んだ声を出す俺とは裏腹に、
「……そうか……」
野村は、疲れ切ったような声音である。
俺は、眉根に皺を寄せた。
「なんだよ。なんか引っかかることでもあるのか?」
「……日付、見てみろ」
言われるがまま、写真の下に表示されている小さな数字に目をやる。と、そこには「撮影日:2009年10月」と表示されている。
15年以上前か。案外、昔からあったんだな、設備保全トイレって。
そんなことを考えているところへ、野村の声が聞こえてくる。
「確か、20年くらい前だったかな。M市の市長が変わったんだ。それまで長く務めてた、毒にも薬にもならない保守派のじいさん市長を破って、若くて、やる気のある市長になった。で、そのやる気に任せて、いろんなことの改革に手をつけたんだが、そのうちの一つに、病院改革ってのがあった。市民病院の数を減らし、医療費を減らそう、その代わり、市民が健康を他の方法で守ろう、ってキャンペーンを打ち出したんだ」
「20年前って言えば、まだ俺たちが大学に入る前だ。それにしちゃ、ずいぶん詳しいんだな」
「当然だ。なにしろそのやる気のある若き市長ってのが、俺の叔父だったからな」
「ああ、なるほど……」
そういえば、親戚に政治家がいるって、前にちょっと、聞いたことがあったっけ。
「ま、とにかくそういうことで、市は、スポーツ施設の充実に力を入れることになってな。その一環として、自然歩道の整備にも乗り出したんだ。ところどころ大穴が空いたり、倒木が塞いでいたりしてたのを、きちんと歩きやすく整え、崩れていた階段をきちんと修繕したりしてな。その時に、途中にある休憩所も、その設備を一新した。ただし、小屋を建て直すには予算が足りなかったらしくて、新しくしたのはベンチとテーブル、それと、トイレ内設備だけだった」
「それが、俺の見た休憩所か」
「……本来なら、もうあと数年かけて、小屋を建て直したり、雨宿りできる四阿を造ったりする予定だったらしいけどな。それが実現する前に、叔父は市長選であっけなく落選し、元のじいさん市長の子飼いだった、保守派のおっさんが市長になった。それで、話はパアさ。医療行政は元の方針に戻され、自然歩道の整備計画は凍結。そのまま、ずっと放っておかれることになった」
「そっか。それであんな、中途半端な感じだったんだな」
話の行く末が見えないまま、無難な返事を返す。
一体いつまで、こんな、政治談義を聞かされるのだろうと思っていたのだが……。
「叔父が落選してから、10年近く後だったかな。その年の冬は、やたら雨が少なく、いつにも増して乾燥しててな。こりゃ、ヤバいんじゃないか、っていわれてたんだけど……案の定、山火事が起こった」
「ああ、そういえばあったな、山火事。うっすら覚えてるよ」
「ひどい山火事で、火は、数日間、燃え続けた。必死の消火活動にも関わらず、H県の山中を広く燃やし尽くした」
「ああ、うん。ニュースで見た見た。消防や自衛隊の人たち、すげー大変そうだった」
「その山火事は、当然M山にも燃え広がり、大きな被害を出した」
「そうだったんだ」
「自然歩道に沿うように燃え広がった火は、あの休憩所をも襲い、小屋を灰にした」
「……え?」
野村は、それまでずっとうつむいたまま、ぼそぼそと話していたのだが、ここで初めて、じっと俺の顔を見つめた。
「ないんだよ、もう。あの小屋は」
俺は大きく目を見開き、なにかを言おうとして口を開いた。が……あまりのことに、頭が回転するのを拒否しているのか、なにを言っていいのか分からなくなり……。
そのまましばらく、気まずい沈黙が続いたところで、ようやくショックから抜け出した俺は、は、はは、と乾いた笑い声を立てた。
「なんだよ、おい。人が悪いな。いくら俺の作品がなんちゃってホラーだからって、そんな、怪談めいた作り話をするって。思わず信じちゃうところだったぞ」
そう言って、再び、はは、と笑い声を立てたのだが……野村は険しい表情を崩さぬまま、ふーっと長いため息を吐き出した。
「……地図の左上に、「最新の日付を見る」って小さく書かれてるだろ。そこ、押してみろ」
言われたとおりクリックすると、画面下にずらっと小さな写真が並ぶ。
2009年10月。2012年1月。2015年7月までは、せいぜい周囲の木々の葉が落ちたり、青々と茂ったり、赤く色づいたりといった変化だけで、代わり映えのしない写真が並ぶ。が……2016年2月の写真になると、様子が一変した。
黒々と焦げた木々。真ん中には崩れ落ち、消し炭の山となり果てた小屋の残骸が、惨めに映し出されている。
俺は急いで、最新の写真を拡大表示させる。
と……自然歩道の本道から休憩所へ向かう小道の入り口に、鉄パイプを組み合わせて造られた横長の三角錐の物体がでんと置かれ、大きく「通行禁止」と書かれた紙が幾枚もベタベタとはられている写真が、目に映る。
息をすることすら忘れ、ただただじっと、表示された写真に見入っている俺の耳に、困惑と疑念にまみれた野村の声が、はるか遠くから響いた。
「……なあ、お前……一体どこに行ってたんだ?」