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「本当にあったかもしれない」部分

本当にあったかもしれない部分、投稿

来週辺り、ある意味怖い部分、投稿予定


 その休憩所にたどり着いたのは、日暮れまではまだ時間はあるものの、傾いた太陽が発する陽光が徐々に力を失いつつある頃合いだった。


 その日は、前日まで降り続いた雨のせいで、土と落ち葉が水を吸い込み、一歩歩くたび、じくじくと水がしみ出してくるようなコンディションだった。出かけるかどうか、散々迷ったのだが、抜けるように晴れた空を見て、これならばきっと、歩いているうちに路面状況もよくなっていくだろうと楽観して出かけてきたのだが……残念なことに、それは甘い見通しだった。

 防水仕様の登山靴だから、くつの中にまで水がしみこむことはないものの、すべりやすさまでは防ぐこともできず、常に足元を意識して、注意深く歩いて行かなければならない。

 おかげで、疲労が激しく……いつもなら息さえ上げずに踏破できそうな道だというのに、今日は足腰が固まり、はや悲鳴を上げはじめている。

(参ったな。今日中にこのコース全て踏破してしまうつもりだったけれど、この分じゃ、いいとこ半分、いけるかどうかだな……)

 こんなことなら、山ではなく、気になってた街中華に繰り出して、昼前から酢豚でもアテに生ビールをジョッキでぐいぐいいっておくべきだった……などと後悔しながら、踏み下ろす足に力を入れ、何度もザックを揺すり上げつつ、黙々と足を前に進めていく。

(ルート案内からすると、もう少しで休憩所があるはずだ。もう少し、もう少し頑張れば……)


 自然歩道、というものをご存じだろうか。国と都道府県が整備を進めている、歩行者のための道で、その大部分が未舗装の野道山道になっている。というと、踏破に本格的な準備と周到な計画が必要な、険しい道、という印象だが、実のところ、自然歩道の多くは、その起点が駅やバス停になっており、距離も、1ルート長くて15キロ程度。道も未舗装とはいえ、しっかり踏み固められた、かなり広めのものになっているので、遭難等の心配はほぼない。初心者が気軽にアクセスでき、たいした準備もせずに自然を満喫できる、かなりオススメのハイキングコースなのである。

 独り者の気楽さで、平日は連日連夜飲み歩き、休日には丸1日かけてラーメン食べ歩き、などという生活を送っていたせいか、元はがっしりマッチョ体型だったのが、今では下腹に脂肪をたっぷり蓄えた、典型的オジサン体型。それでもあえて気にしないふりをして暴飲暴食を続けていたのが、先だっての健康診断で、ついにメタボ赤信号、要再検査となってしまったのである。危機感を覚え、なんとかダイエットしなければ、と思ったものの、うまいものをたっぷり食べるのが生きがいなのだから、食事制限はなるべくしたくない、運動も最近はしばしば膝が痛むので、激しいものはヤバい、水泳はカナヅチだから無理、そうかといって、クスリに頼るのは怖い。そんなことをぐずぐずと行きつけのショットバーで愚痴っていたところ、同じ常連の一人から、「だったら、山歩きはどうだ?」と自然歩道の存在を教えられ、だまされたつもりでちょっと歩いてみたところ、豊かな自然の中をぼちぼち歩いて行く楽しさに目覚め……今では休日ごとに新たなコースに挑戦しているのである。


 ああ、やれやれ、ようやくたどり着いたみたいだぞ……。

 半ば朽ちたような案内板に従い本道を右に折れると、深い森がぽっかりと開け、塗装の大部分はげたピクニックテーブルが二つにベンチ数脚と、こちらも半ば朽ち果てているように見える建物が目に入った。

 建物には、入り口が二つあり、それぞれのすぐ脇に昔ながらのデザインのプレート――青い塗料で描かれた男性と、赤い塗料の女性――が貼り付けられている。一目で「トイレだ」と分かるデザインである。

 どうやら、設備はこれだけっぽいな。

 自動販売機もなければ案内板も、地図などがおいてあったりする案内所もなし。休憩所というよりは、単なるちょっとした広場だ。とはいえ、それほど落胆したわけではなかった。人里離れた山の中を走ることの多い自然歩道では、起点や終点はともかく、途中にある休憩所は、たいがいこの程度であることが普通なのである。

 屋根ありのベンチがあれば助かったんだけどな……。

 昨日までの雨に吹きさらされた木製のベンチは、じっとりと水分を含んであり、座ればジーンズの尻がべっとりと濡れてしまいそうだ。この後まだしばらく歩くことを考えると、それは避けたい。

 仕方ない。 

 こちらもじっとり濡れているテーブルの上にザックを下ろすと、中から水筒を取り出し、中身を一口、二口、喉に流し込む。甘酸っぱく冷たい液体が体内を流れ下る感触の心地よさに、ついもっと、もっとと飲み下したくなるが、そこはぐっと我慢する。

 終点まで歩くにしろ、途中でリタイアして山を下るにしろ、この先まだまだ歩かなければならないのだ。

 首に掛けたタオルで頭から首筋までの汗をぬぐい、固まりはじめた足腰を曲げたり伸ばしたり、ぐるぐる回したりして、体を入念にほぐす。

 軽く息が弾んでくる頃には、筋肉の柔らかさも、「前に進もう」という意志も、どうにか戻ってきた。

 よし。さて、じゃあ、最後に……。

 テーブルにザックを置いたまま、トイレへと足を向ける。

 女性と違って、用を足すのにそれほど手間はかからないのだから、大樹の根方を目標に、ちょいとチャックを下ろし、などしてもいいのだが、道ばたからそのままだと、通りかかった他のハイカーに見とがめられるかもしれないし、道から外れて森に踏み込み、となると、密生している下生えが邪魔で、落ち着いて放出できない。それになにより、森で遊ばせてもらっている立場でありながら、その森を汚すような真似をするのは、ナチュラリストもどきとしてどうなのか、という思いがあるので、やむにやまれぬ場合を除き、なるべくきちんとトイレを利用するよう、心がけているのである。

 その「律儀さ」が、とてつもない恐怖体験をもたらすことも、ままあるのだけれど……。


 ……あれ?

 覚悟を決めてトイレの扉をくぐったのだが、逆の意味で拍子抜けした。

 今にも朽ちて屋根が落ちそうな古めかしい建物に設置してあるにしては、便器も洗面も真新しく、きれいだったのである。

 すごいな、ここ。こういう山の中のトイレって、たいがい小汚くて、不潔で、臭くて、大量の虫が湧いているのに。こんなところなのに、よっぽどこまめに掃除されているのかな……。

 臭いに顔をしかめることなく、うぞうぞしゃかしゃかと壁面や床を我が物顔で徘徊している虫や巨大な蜘蛛を気にすることもなく用が足せるのだから、ありがたいことはありがたいのだが……おかしなもので、このような普通あり得ない状況に出くわしてしまうと、逆にこの状況自体が、やや不気味なものとして感じられてしまう。

 高い窓から差し込む白茶けた日光にまでひしひしと違和感を覚えつつ、ひそひそと小便器に近づき、そっとチャックを下ろす。

 ………………ふう。

 無事に欲求を満足させ、チャックを挙げて水を流し、そそくさと出口へ向かおうとした、その時。

 不意に背後から、激しい物音がした。

 いきなり冷水を浴びせられたかのように、背中にぞっとした気配が走り抜け、思わずその場で振り向く。

 が……そこには先ほどと同じく、白茶けた光に照らされた、がらんとした光景が広がるばかり。

 まさかとは思うけど……。

 一応、念のために個室の扉を開けてみる。が、そこには、小便器と同じく、最近入れ替えたばかりのように白く清潔な便座が鎮座ましましているばかり。

 さらに念には念を入れて、便座に登り、仕切りの上から用具入れの方も覗いてみる。が、そこにも自在ホウキやモップ、バケツやぞうきんなどがごちゃごちゃと置かれているだけで、なんの仕掛けもなく、もちろん誰かが隠れていたりすることもない。

 なんだ、やっぱり気のせいか。さっきの音は、きっと、たまたま壁に外の木がぶつかったとか、そういうことだよな……。

 無理矢理自分を納得させると、ややこわばった笑みを浮かべつつ、先ほどよりもやや早足でトイレから脱出しようとした。

 ところが。その足を床に釘付けにするかのように、再び、背後のトイレから轟音が響き……そればかりか、人間の声とは思えないような声が、そっと呼びかけてくる。

 これは……。

 びくびくしながらゆっくりと振り返り、やはり無人のトイレ内を、こわごわと見回す。

 そんな、そんなことが……。

 改めて小便器に近づき、よくよく目をこらすと、なんとそこにも、とても人の手で書いたとは思えない文字が、黒々と浮き出ている。

 これは……これはやはり、メッセージだ。こんな人里離れた森の中でも、待ち受けて、ひそかに伝えようとする……。

 そこへまた、水の流れる轟音が響き、浮き出したメッセージと同じ内容を伝える声が、部屋中に響いた。

「このトイレは、設備保持のために、自動で水が流れることがあります……」



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