旅と出会いとお稲荷さん
「素晴らしいです。この荘厳な雰囲気。もうこれを拝見しただけで、来てよかったと、思いません?」
「そーかなぁー」
「見てください。この柱の組み立て方、技法。代々語り継がれた技術なのです。これはもう、ロマンという表現を超えた、なにかを感じずには、いられませんよね?」
「そーだねー」
「……あこねさん、ノリが悪いです」
「へいへい。あいにく、紀子と違って、私は神社や材木に萌えられない性質でね。どーせだったら……」
「さっきのカメラの人ですか」
「うっ」
紀子はどこか抜けているようで鋭い。あこねは視線をそらしつつ、「カメラの人」の姿を思い浮かべた。
波田紀子と大泊あこねは、同じ大学に通う一年生である。入学式で出会い、家が一駅違いの近所だったこともあり、仲良くなった。それから一年後。春休みに、二人で旅行に行こうという話になった。
旅行プランは紀子が提案した「伊勢熊野巡礼ツアー」である。あこねが提案した「神戸大阪洋菓子たこ焼き食べ歩きツアー」は、厳選なるじゃんけんの結果却下され、前者に決まったのだ。
そして今日。二人は名古屋から特急を乗り継いで、伊勢に降り立った。早朝に出発したので、まだ時間も早い。二人はまず、外宮へと赴いた。鳥居を前にして、紀子が感激の表情を見せる。
「ここよ。ここに神々がおわすのね。なんて神々しい」
「なんか寂しいところねぇ。まぁいいや、せっかくだから一緒に写真撮ろうか」
「そうですね。あ、すいませーん」
デジカメを持った紀子が、観光客の一人を捕まえた。
「え? 僕ですか」
「はい。あの写真、撮っていただけますか。ここのボタンを押すだけで大丈夫ですので」
あこねは気が抜けたように、紀子と、その相手のやり取りをぼんやりと見つめていた。
紀子が写真を撮ってくださいと頼んでいる相手は、ちょうど鳥居から出てきた、中高生とみられる少年だった。連れの姿はなく荷物も見当たらない。観光客ではなく地元の人かもしれない。やや髪が長めで中世的な顔立ち。一言で表せば、美少年。あこねの好みど真ん中であった。
気付いたときには写真撮影が終わっていた。紀子が、少年とツーショットの写真も撮ってくれたようだけど、どんな表情をしていたか、あこねは覚えていなかった。
「あ、あのっ」
写真を撮り終えて、立ち去ろうとする少年。あこねは、とっさに声を出した。
「もしよかったら、ご一緒に……」
「ごめんなさい。僕、もう帰りなので」
少年は軽く頭を下げ、去っていった。
「でもさぁ、神社での出会いって、なにか感じない? 神様なんだから、縁結びとかしてくれちゃったりして」
「やめといたほうがいいと思いますよ。一人で観光地に来るなんて、彼、きっとオタクです」
「紀子だって、似たようなものじゃない」
「私は、二人組だからいいのです」
そのために連れて来られたんかい?
――まぁ旅先で出会った名前も住所も聞かなかった相手と結ばれる可能性なんて、ほとんどないことくらい、あこねも理解していた。
伊勢観光は、あこねの予想に反して楽しかった。赤福も伊勢うどんも食べることができ満足だった。その後、二人は電車に乗って次の目的地、熊野へ向かった。着くころには日が暮れていた。もっともこれは予定通りであり、ここで紀子が予約していたホテル、シャトなんとか(名前は洒落ているが、小さな建物らしい)に一泊して、翌朝、観光地めぐりをするそうだ。
駅を出ると、あたりは真っ暗だった。駅前だというのに明かりはほとんどない。観光客目当てのタクシーが数台と、聞いたことのない個人経営の居酒屋が一軒のみ。かすかな明かりに照らされ、「ようこそ、マグロの町へ」の看板が見える。
その駅前から、照明の落ちた商店街を歩くこと数分。
「……で、どこにあるの?」
あこねの眼前に広がるのは、車が数台しか止まっていない駐車場だった。暗くて、観光客向けなのか地元住民向けなのかもわからない。ただっ広い空間だった。ホテルのほの字も見当たらない。
「おかしいです。確かに、この場所のはずなのですが」
紀子が携帯電話の画面と駐車場を見比べる。携帯に住所を登録して、そのナビを頼りに歩いてきたのだが、その登録が間違っていたのか、案内されたのは何もない駐車場だった。「目的地に着きました」と携帯から機械音が発せられた。
「もう一度最初から……あ、大変、バッテリーが切れそうです」
「えっ、ちょっと待ってよ」
あこねが詰め寄るが、紀子が差し出したのは、反応しなくなった携帯電話だった。
「……えっと、ホテルの電話番号か住所、分かるよね?」
「えへ。全部データーは携帯に入っています」
「充電器は?」
「持ってきてはいますが、コンセントがないと……」
「もぉっ、なにやってるのよっ。電車の中ずっと携帯で、BL小説読んでいたからバッテリー切れたのよ。神様の罰よ」
「神様とBLは別腹なんですっ」
暗闇に覆われた駐車場で、女二人の不毛ないい争いが始まろうとする。そのとき、誰もいなかった背後から、不意に声がかかった。
「あのぉ。どうしんですか?」
あこねは振り向いて、固まった。
声の主は、片手に買い物のビニール袋を持った、神宮で会った少年だった。
「これはもぉ、運命だよね。伊勢で出会った少年と、遠く離れた地で再会できるなんて。しかも、その子が予約していたホテルのオーナーの子供なのよ」
部屋に戻って、あこねはすっかり浮かれていた。
少年と再会した後、紀子がうろ覚えのホテル名を挙げたら、「あ、予約していたお客様ですね」と彼が案内してくれたのだ。ホテル「シャトワール」は聞いていた通り小さな建物で、三階建て。一階はフロントと軽食が食べられるカフェ。2・3階部分が客室。見た感じ、よくあるアパートと似たような構造だ。あこねたちが泊まっている303号室も狭くて、しかもテレビはブラウン管 (アナログ)だったが、あこねは満足だった。
だって、あの少年(名前はユウ君と聞きだした)とひとつ同じ屋根の下なんだもの。
「いやぁ。さすが伊勢の神様ねー。お参りした日が大吉ってのもうなずけるわ」
「正確にはちょっと違うのですが……」
「どうしたの。紀子。ノリ悪いよ」
昼間、紀子のテンションに引っ張られていたあこねだが、今はその立場が逆になっていた。
「あの。話題のユウ君のことなのですが、少し変ではないでしょうか」
「なにが?」
基本的に人を疑うということをしない紀子が、このような発言するのは珍しいことだった。
「率直に言って、あの方はキツネが化けたものではないかと思うのです」
「キツネっ?」
あこねは思わず腰かけていたベッドから崩れ落ちそうになってしまった。しかし紀子はいたって真面目な表情のまま続ける。
「まずあの方の容姿です。高校生と言われましたが、とてもそうは見えません。まるで女の子のようですし、声変わりもまだです。三次では初めて拝見しました」
「そこがいいんじゃない」
「たしかに、総受けタイプで私も好みですけど、不自然です。キツネが化けていると考えた方が自然かと」
「いや、そっちの方が不自然だって」
「それに、なぜ私たちは当初ホテルを探せなかったのでしょう? 道に迷った旅人を案内する親切な人、と思われて狸かキツネ。昔話の王道です」
「それは、紀子が機械オンチだからでしょ」
現在紀子の携帯は無事コンセントにあるつけて充電中である。復活した画面で地図を確認すると、確かにこの場所を示していた。たぶんどこか操作を間違えていたのだろう。
「外宮で別れるとき、彼はもう帰ると言っていました。彼の向かった先は、隣の稲荷神社のほうでした」
「そっちにも寄っていっただけじゃないの」
駐車場で彼に会って、このホテルに案内してもらう道すがら、多少会話ができた。彼は親戚のうちが伊勢にあり、午前中はそちらにいたようだ。明日部活動の大会があるので、その必勝祈願に神宮に来ていたとのこと。
そしてこっちに戻ってきて、手伝いの買い出しの帰りに、あこねたちと出会ったのだ。
「その買いものなんですけど……」
まるで隣の奥さんの不倫の現場を見たその隣の奥さんのような口調で、紀子が言った。
「……あのとき、彼がもっていたビニール袋、あの中に油揚げが大量に入っていたのです」
つまり、紀子の主張はこうだ。
ユウ君(美少年)は狐が化けた姿で、今私たちがいるこのホテルも実は、別物。朝目覚めたら、なんにもなくなっていて、身包みはがされた馬鹿な女子大生が二人だけ。という昔話展開。
なんてことを主張しつつ、隣のベッドでは、睡魔に勝てず紀子がすやすやと寝息を立てながら眠っていた。その姿をぼんやり眺めながめつつ、あこねは思った。
紀子はアニメとか漫画を見すぎだからそんなこと考えるんだろう、と。アニメと言えば、ここのご主人もアニメ好きらしく、カウンター奥にアニメキャラの等身大ポスターが貼ってあった。狐が化けたものだとしたら、凝りすぎだろう。
それに、美少年のまんまだったら、狐でもいいかなぁ、なんてね。うふふ。
夜が明けた。
確認するまでもなく、就寝したとき同じ、ベッドの中だった。
紀子もすっかり疑いが晴れたようで、「変なこと言ってごめんなさい」と起きた早々に謝られた。
身支度を整え、二人はホテル一階のカフェで朝食をとった。オーナーの手作りと思われる食事は、横文字のしゃれた名前とは裏腹に、和食だった。お味噌汁の具に、油揚げが浮いている。
「さぁいよいよ今日は熊野です。楽しみですね」
「あ、うん」
調子を取り戻した紀子とは裏腹に、あこねは、焦っていた。もうすぐここを出発しなくてはならない。どうすれば美少年(ユウ君)との接点をつなげるかだった。
オーナーがお茶のお代わりを持ってきた。ありがとうございます、と茶碗を差し出したとき、奥から声がかかった。
「お父さん、行ってきまーす」
「おお、頑張ってな」
つられて奥に視線をやると、そこに立っていたのは、ごく自然にセーラー服を着こなした少女だった。肩にテニスラケットの入った大きなカバンをかけている。
あれ、どこかで見たような……
「って、もしかして、ユウ君……?」
「はい。僕がどうかしました?」
あこねのつぶやきに気付いた、ユウ――ちゃんが聞き返した。
「え、で、でも、僕って……」
「あっ、やっぱり気になりますか? 僕は使っていて別に変に思わないし、お父さんも『スポーツ少女はそのままのほうがいい』って言うので、そのままにしているんですけど」
あこねはしばらく無言だった。茫然自失である。
「まぁ、なんと申しましょうか、狐に化かされたほうがよかったですね」
無言のままのあこねを気遣って、紀子が言った。
「別に、女でもいいかも」
「……すみません。百合はちょっとご遠慮していただきたいです」
旅行中の雰囲気を味わっていただければ、幸いです。
携帯電話のバッテリーには注意しましょう。