小寒(しょうかん)
西軍本陣では、石田三成の部下たちが議論していた。
島津義弘から桶が届いたのだ。
その中には首が一つ。
先刻、この関ヶ原に徳川家康らしき男が一人で現れた。
それに対して、島左近と島津義弘がいち早く騎馬隊を差し向けて、男の捕縛に成功した。
謎の男の出現。どうして、徳川家康の格好をして、一人で関ヶ原に現れたのか。
なんでも、東軍の武将たちが昨夜、酒盛りをしていたらしい。その最中に、ちょっとした賭けを行い、それで負けた者が罰ゲームをすることになったのだとか。
家康公の仮装をして、たった一人で関ヶ原に行ってくる。西軍武将の誰かが駆けつけるまで、絶対に逃げてはならない。一種の度胸試しだ。
無茶苦茶な内容だが、酒が入っていたために、誰も疑問を挟まなかった。
あと、まさか本当に実行しないだろうと、他の者たちは思っていたのだが・・・・・・。
で、その男を奪還するため、東軍が島津軍の陣地に攻め込んできた。東軍最強の本多忠勝もいたと聞いている。かなりの猛攻を仕掛けてきたらしい。
このまま敵に奪われるくらいならと、島津義弘は捕らえていた男を斬った。その証拠が、今ここにある首だ。
よくやったと褒めたいところだが、部下の数人から物言いがついた。
この首は偽物だと。
関ヶ原に現れた男は、徳川家康によく似ていた。しかし、この首はどう見ても、家康とは似ていない。
これに対して、別の部下たちが反論する。
いやいや、関ヶ原に現れた男は、もともと徳川家康ではない。しかも、ここからだとかなりの距離があったので、見間違えも十分にあり得る。
それで議論になっていた。
石田三成は考える。
(さて、どうしたものか)
今のところ、議論は平行線だ。この首は本物なのか、偽物なのか。
どちらの意見にも、うなずける部分はある。その一方で、どちらも決定打には欠けている、そんな風に感じていた。
おそらく情報不足。このまま議論を続けても、結論にはたどり着けない。
となると、必要なのは新たな情報だが・・・・・・。
ここで、一人の部下が注目を浴びる。
この中で唯一、問題の男を至近距離で見ているのだ。
石田三成の指示で、島津軍の陣地に酒を届けた。その時である。
ここまでの議論において、この部下はまったく意見を述べていない。
それだけに、他の者たちは期待した。
「似ていたような、似ていなかったような・・・・・・」
皆に詰め寄られて困惑する当人。
そうなる理由に、石田三成は心当たりがあった。
なにせ、徳川家康らしき男に何を聞いても、「うんこー!」と叫ぶばかりだったとか。
そんな話をしていいものかと、この部下は悩んでいるのだろう。ありのままに話しても、「こんな時にふざけるな!」と怒り出す者がいてもおかしくない。この部下がふざけているわけではないのだが・・・・・・。
(ふむ)
ここまで部下たちの自主性や積極性を尊重して、議論に口を挟まなかったが、そろそろか。
「その件についての報告は受けている」
石田三成は告げた。
閉じた扇子の先を、桶の中に向けると、
「この男はわざと阿呆面をして、口から出るのは下品なことばかりだったとか。そうだな?」
その現場にいた部下に、柔和に声をかける。
「はい。間違いございません」
「そういうわけだ。そんな阿呆面と、この死に顔を比較しても意味はあるまい」
そして、自分の最終判断を告げる。
「この件について、首の真偽はさほど重要ではないと考える。東軍の愚か者を討った。西軍にとって、幸先の良いことだ。また、今の議論、皆の積極的な意見が聞けて、なかなか面白かった。活気がある集団というのは、それだけで強みになる。いいことだ」
部下たちを褒めて、議論を終わらせた。「太閤殿下(豊臣秀吉)」も昔、そうやって自分を褒めてくれたことを思い出す。
今さらかもしれないが、人は叱るよりも、褒める方が伸びるのかもしれない。
「さて、これから皆にやってもらいたいことがある」
東軍の攻撃によって、島津義弘の陣、小西行長の陣、小早川秀秋の陣に被害が出ている。
また、宇喜多秀家殿の騎馬隊も、敵の大軍と遭遇して、勇戦しながら転進してきたとか。
被害状況の確認は、島津義弘や小西行長など、それぞれの大将たちに任せるとして、何か必要な物資があるようなら、それを支援するのが、自分たちの役目になるだろう。
自分の部下たち、その多くは戦上手ではない。だが、後方支援には長けている。
「こういう時こそ、その才を存分に発揮して欲しい。それこそが西軍全体の強さを、底上げすることにもつながる」
部下たちが力強くうなずいた。
石田三成は心の中で笑顔になる。本当に頼もしい者たちだ。この分野の人材で、西軍は東軍に勝っている。
「ただし」
石田三成は部下の一人を見る。この部下だけが、徳川家康らしき男を至近距離で見ていた。
特別な任務を与える。
「この首を大阪に届けてもらいたい。最初の勝利の報告だ」
他の者にやらせるよりも適任だと思う。
「行きは急ぐことになるだろうが、帰りはゆっくりで構わない」
関ヶ原に布陣する西軍、その基本方針は「持久戦」だ。
根拠地が近い西軍に対して、東軍は根拠地が遠い。時間さえかければ、敵は物資の不足で勝手に自滅する。
「だから、急いで戻ってくる必要はない。この戦いは長くかかりそうだ」
しばらくして、その部下が首の入った桶を持って、本陣を出発する。
それから間もなくして、東軍の大部隊が関ヶ原に現れた。
この翌日に、天下分け目の戦いが始まる。
そのことを石田三成はまだ知らない。




