冬至(とうじ)
黒田長政は馬で、井伊直政の元に到着した。
すると、井伊直政が見せてくる。
「こういう文が届いていたのだが」
希代の茶人大名、古田織部からの文だ。こんなものが届いていたとは、黒田長政は知らなかった。
すぐさま内容を確認する。
その文によると、福島正則が自分の部下たちを率いて、城を出撃するつもりらしい。止めるのは無理そうなので、何かあった時のために、古田織部自身も同行することにした、そんな内容が書いてある。かなり急いで書いたらしく、字の多くが躍っていた。
黒田長政は事情を察する。
殿(徳川家康)が西軍に捕まった件、古田織部は知っているが、福島正則は知らない。
福島正則から、「味方に加勢するため」と大義名分を主張されては、その出撃を止めることができなかったようだ。
この文が井伊直政の元に届いたのは、黒田長政が騎馬隊とともに潜伏したあとだった。
井伊直政は迷った。「福島正則の援軍が接近中」だと、黒田長政に知らせるべきだろうか。
しかし、黒田長政の部隊はすでに潜伏中だ。味方の足軽たちにも、そのことは秘密にしている。
しかも、そこで関ヶ原の方から、殿(徳川家康)が逃げてきたのだ。
そのあとすぐに、「本多忠勝が現在、西軍の騎馬隊に追撃されている」という情報も入る。
敵が近いとなると、潜伏中の部隊に使者を送ることは避けた方がいい。使者を送ったばかりに、敵に感づかれることもあり得る。
それで、古田織部からの文については、事後報告にしようと決めた。黒田長政なら、その援軍が本物かどうかを最初は疑うかもしれないが、上手く対応してくれるだろう。
「すまんが、そういうわけだ」
「良い判断だったと思います」
黒田長政はうなずいた。おかげで、宇喜多秀家軍の不意を突くことができたのだ。
このあと急に、井伊直政が声を潜める。
他の味方には聞かれたくない話だ。
本多忠勝の少し前に、服部半蔵も帰還した。
だが、殿や本多忠勝とは違い、服部半蔵は瀕死の状態にある。
また、その部下の忍者たちが少なくとも三十人以上、西軍に討たれたらしい。
黒田長政は顔を曇らせる。味方にある程度の被害が出ることは、もともと覚悟していたが・・・・・・。
とはいえ、すでに起きてしまったことは、仕方がない。そういった犠牲があったからこそ、殿が関ヶ原から脱出できた、と考えよう。
服部半蔵や、その配下の忍者軍団を相手にしたのだから、西軍が無傷だとは思えない。それなりに被害が出ているはず。
また、自分たちは先ほど、宇喜多秀家軍の騎馬隊を返り討ちにしている。
つまり、西軍の被害は決して小さくないのだ。その立て直しが急務になるだろう。
(だったら、そこにつけ込むか・・・・・・)
ある考えを頭の中で巡らせながら、黒田長政は井伊直政に尋ねる。
「福島正則殿の兵は、どのくらいの数が出撃してきたのですか?」
「ほぼ全軍だ」
となると、およそ六千。
「また、城にいる他の者たちも、すでに出撃の準備を始めているらしい」
そう言って井伊直政が、意味ありげに笑いかけてくる。
それを見て、黒田長政も微笑んだ。どうやら、同じことを考えているようだ。やはり、この方とは気が合う。
今回の一連の騒動に、西軍は少なからず混乱しているに違いない。
だが、時間が経てば経つほど、混乱は収まってしまう。
だったら、そうなる前に東軍は動くべきだ。
「このまま関ヶ原に向かうぞ」
井伊直政の言葉に、黒田長政もうなずく。
「それが最善ですね」
まずは、殿の許可をいただこう。
そのあとで、後方の城にいる味方にも、出撃を要請するのだ。
今から動くとなると、少し夜にかかると思うが、関ヶ原に東軍を集結させる。混乱から立ち直るための時間を、西軍には与えない。
黒田長政と井伊直政はこれまで、「開戦を明後日の早朝にしたい」と考えていた。
しかし、状況が変わった。
幸いなことに、明日の天気も明後日の天気も同じだ。早朝は「小雨」か「霧」。明日に前倒しすることは可能だ。
鉄砲隊が弱体化している間に、井伊直政軍の騎馬隊で、島左近の陣に突撃する。
そういうわけで、井伊直政と黒田長政はすぐさま、東軍の総大将である徳川家康に意見を具申してみた。
すると、全面的に賛同してくれた。
もともと東軍には、補給の面で不安がある。「短期決戦」に持ち込みたいのは、家康も同じだ。兵糧が寂しくなれば、味方は全力で戦えない。
この時、家康には気がかりなことがあった。
自分の息子の秀忠は中山道を進み、関ヶ原に向かっているはず。
しかし、合流するにはまだ時間がかかるだろう。
それも想定内だ。
実は、秀忠には密命を与えている。
――真田昌幸と真田幸村、あの親子を信州に釘付けにしろ。
父の真田昌幸は、信州の上田城にいるらしい。
問題なのは息子の真田幸村だ。その所在が未だ確認できていない。
上田城にいるという情報もあるが、おそらく影武者だろう。
家康が特に警戒しているのは、真田幸村と、その配下の騎馬隊だ。あれがどう動くかで、東軍は窮地に立たされるかもしれない。
もしも中山道を東進して、江戸を奇襲するとか、江戸周辺で散発的に騒ぎを起こすとか、そんなことをされては非常に困る。
様子見をしている大名たちが、「東軍不利」だと判断して、西軍につくかもしれない。
特に伊達政宗だ。あの男が東軍を裏切り、上杉景勝と手を組めば、最悪なことになる。
それこそ、江戸陥落の危機に直面するのだ。
また、真田幸村とその騎馬隊が信州から南進して、東海道に出てもまずい。東軍の補給は現在、その大部分を東海道に頼っている。
もしも、江戸方面からの補給部隊が、東海道の各地で襲撃されるようなことがあれば、兵糧の輸送計画は破綻する。
真田幸村の配下にいる騎馬隊は、最大でも一千騎だとか。そのように聞いているが、そんな数でも戦況を大きく変えてくるだろう。
そういう男だ。あの真田幸村という奴は。強い上に頭も良く、統率力もある。
だから、祈るしかない。頼むぞ、秀忠。何としても真田幸村の動きを封じてくれ。あいつを信州から外に、絶対に出すな。
それさえ完遂してくれれば、こちらと合流できなくても構わない。
そこまで考えてから、家康は正面を見る。
いつの間にか、頼もしい顔ぶれが集合していた。
本多忠勝、井伊直政、福島正則、黒田長政、古田織部。
彼らを前に、東軍の総大将として徳川家康は力強く宣言する。
「いざ関ヶ原へ!」
こうして東軍が前進を開始した。その日の内に関ヶ原に布陣する。
これが、九月十四日の出来事だ。さまざまなことが起こったものの、それらはあくまでも前哨戦にすぎない。
この翌日に、天下分け目の合戦が始まるのだ。『関ヶ原の戦い』である。




