小雪(しょうせつ)
「左側に東軍の伏兵! あの赤い具足は、井伊直政軍の騎馬隊です!」
この知らせに、宇喜多秀家軍は動揺した。そのせいで、馬の速度が落ちる。
そこに東軍の伏兵が突撃してきた。こちらの側面に対して攻撃を仕掛けてくる。
そちら側にいた部隊は、迎撃しようと馬の向きを急いで変える。
だが、よりにもよって相手は井伊直政軍の騎馬隊だ。
かつて戦国最強と謳われたのは、「甲斐の武田軍の騎馬隊」である。騎馬隊にとっての最高峰。
そして、井伊直政軍の騎馬隊には、その流れをくむ者たちがいるのだ。
一五七五年、甲斐の武田勝頼が長篠の地で、織田信長・徳川家康連合軍と激突した。
この時、織田信長は大量の鉄砲を用意。迫りくる武田軍の騎馬隊を打ち破っている。
その生き残りがのちに、井伊直政軍に加わった。
かつて鉄砲隊の前に敗れたが、ここに鉄砲隊はいない。井伊直政軍の騎馬隊が怒濤の勢いで突撃してくる。
宇喜多秀家軍の諸将は迷った。
あの伏兵の存在に、まったく気がつかなかった。本多忠勝という最高の獲物を追うのに夢中で、全員の視線が一点に集まっていたのが原因だった。
(ここはどうする?)
自分たちの突撃をこのまま継続するのか、否か。
頭の中で、天秤の両側にそれぞれ載せてみる。自分たちが得ることのできる「手柄」と、自分たちが受けるかもしれない「被害」。
目の前に布陣しているのは、無防備な足軽たちだ。ほとんどの者がスコップを手にしている。
しかも、防衛陣地は未完成。この数の騎兵で突撃するだけで、大きな戦果を上げることができるだろう。
それに、本多忠勝だ。あの男を討つことができれば、ものすごい恩賞が手に入る。
となると、気になるのは伏兵の数だ。
そちら側にいた部隊が現在、敵騎兵との戦闘を開始している。かなり押されてはいるものの、総崩れとまではいかない。何とか踏みとどまって戦っている。
どうやら東軍の伏兵の数は、そこまで多くないようだ。せいぜい五百といったところ。
それに対して、こちらは二千。不意を突かれたとはいえ、騎馬隊だけの比較なら、四倍の兵力がある。
ならば、まだ退却の時ではない。こちらの突撃を続行する。
目の前には、巨大な戦果がぶら下がっているのだ。死ね、本多忠勝!
「突撃ーっ!」
「突撃ーっ!」
「突撃ーっ!」
宇喜多秀家軍の諸将が叫んだ。退却するのはまだ早い。
井伊直政軍の騎馬隊と戦っていない部隊は、前方の敵陣を目指す。
その最前線では今、スコップを持った足軽たちから、槍を持った足軽たちへと交替しつつあった。
しかし、その多くがあわてふためいている。まだ隊形が整っていない。あれでは「はりぼて」も同然。隙だらけだ。
ならば、騎馬の大軍で一気に踏みつぶすまで。どけどけ雑兵ども、本多忠勝までの道を空けやがれ!
だが、ここで宇喜多秀家軍の足を鈍らせる、そんな事態が起こった。
東軍の方からいきなり、雄叫びが上がったのだ。
目の前の陣地からではない。そのもっと後方からだ。
この雄叫びを聞いて、目の前の陣地も呼応する。
「援軍だ! 東軍の援軍が来たぞ!」
宇喜多秀家軍の諸将は迷った。またもや、馬の足が鈍る。
援軍の規模と兵種、誰が指揮をしているのかで、状況は大きく変わってくる。手柄は欲しいが、それ以上の被害を出しては無意味だ。
敵陣への突撃を継続するのか、否か。
そんな中、東軍から次の声が聞こえてくる。
「援軍は福島正則殿だ! 福島正則殿の援軍が来たぞー!」
東軍において、本多忠勝と井伊直政に並ぶ猛将である。




