立冬(りっとう)
一方、関ヶ原を脱出して、東の方角へと逃げる本多忠勝。
それを宇喜多秀家軍の騎馬隊が追撃していた。騎兵の数は二千に達している。
さらに、間道を別働隊が進んでいた。こちらは千の騎兵である。
相手は東軍最強の男だ。この機会に確実に仕留めようと思えば、これくらいは当然。
宇喜多秀家軍は着々と勝利への布石を打っていく。
とはいえ、さすがに相手は天下の名将だ。乗っているのは名馬で、風のように走る。なかなか距離が縮まらない。
けれども、少しずつなら接近している。本多忠勝の背中が、先ほどよりも大きくなっていた。いかに名馬であっても、疲れからは逃げきれない。
宇喜多秀家軍の諸将は考えた。この感じなら、たぶん間に合うだろう。
本多忠勝が向かっているのはおそらく、「岐阜城」だ。
そこには現在、東海道を進んできた東軍が集結中らしい。岐阜城まで逃げきることができれば、本多忠勝の勝ちだ。
しかし、その前に追いつけるはず。城の中には逃げ込ませない。
自分たちが出撃する前に、殿(宇喜多秀家)がこんなことを言っていた。
「仲良くやれよ。恩賞はたっぷり用意しておく」
あれは「一人で抜け駆けするな」とか、「恩賞は十分に用意しておくから、みんなで協力して事に当たれ」という意味だ。うちの殿は太っ腹なので、仕えがいがある。
だから、誰かが抜け駆けする、そんな心配は不要だった。手柄を分け合っても、恩賞をたんまりもらえる。
逆に、味方の和を乱して、殿のご不興を買いたくはない。その場合、たとえ今回は恩賞にありつけたとしても、次回は蚊帳の外だ。長い目で見れば損をすることになる。
それがわかっているので、宇喜多秀家軍の騎馬隊は足並みがそろっていた。
相手との距離がさらに縮まってくる。
あとは、あの本多忠勝を仕留めるだけだ。その首、我らがもらい受ける。
この直後、本多忠勝が馬の速度をわずかに緩めた。
そうした理由が、その先にある。
東軍の兵たちがいるのだ。
宇喜多秀家軍は目を見張る。
あの赤い具足、そして、あの旗指物は――
「井伊直政の部隊か!」
東軍最強の男は「本多忠勝」だが、東軍最強の部隊は「井伊直政の部隊」だと聞いている。
ただし、それは騎馬隊の話だ。
目の前で横長に布陣している敵は、足軽ばかり。いわゆる歩兵だ。
防衛用の陣地を築く途中だったらしい。スコップで土を掘ったり、木の柵を立てようとしたり、そんな者が多数いる。
宇喜多秀家軍の諸将は笑みを浮かべた。あれなら簡単に突破できると思う。
本多忠勝の接近に気づいて、足軽たちは歓声を上げた。が、その背後から迫ってくる宇喜多秀家軍を見て、歓声が急速にしぼんでいく。
当たり前だ。防衛用の陣地は未完成。そんな状態で、二千もの騎馬隊を目にすれば、ああなるのは必然。
ただし、気になることがある。
敵陣の中央に存在する一本道だ。いかにも怪しい。
そこに本多忠勝が逃げ込んだ。そのまま直進していく。
あの一本道は、その幅から考えて、東軍の騎兵が移動するために空けているものだろう。
そして、この陣地は未完成ながら、防衛に重きを置いている。
となると、今のような状況、「味方の騎兵が敵に追われて逃げてくる」のも想定しているはず。
(あの一本道、何か罠があってもおかしくない)
宇喜多秀家軍の諸将は目を右へ左へ走らせる。
東軍の中に今のところ、騎馬隊の姿は見えない。
また、騎馬隊にとって相性の悪い鉄砲隊もいない。
しかも、東軍の慌てふためきようはどうだ。この事態は完全に想定外らしい。
それらの情報を素早くつかみとって、宇喜多秀家軍の諸将は決断する。
ここは突撃すべきだ。スコップを持った足軽など、騎兵の敵ではない。
それよりも、目の前には「本多忠勝」という、一級首がぶら下がっているのだ。
ただし、敵陣中央の一本道は避けよう。それ以外のところから、敵陣に攻め込めばいい。足軽たちなぞ、馬で蹴散らしてやる。
「突撃ーっ!」
「突撃ーっ!」
「突撃ーっ!」
宇喜多秀家軍の騎馬隊が次々と突撃していく。
そんな中で、さらに一つ。
「突撃ーっ!」
その声を発したのは、宇喜多秀家軍ではなかった。
東軍の黒田長政だ。宇喜多秀家軍の側面をつける位置にいる。
その周囲には、井伊直政から預かった騎馬隊が控えていた。




