寒露(かんろ)
「復讐だとしたら、どうする?」
立花宗茂の声は落ち着いていた。
この直後、「ほったて小屋」の中に、どかどかと数人が入ってくる。
老武将をはじめ、島津軍の重鎮たちだ。いずれも腕が立つ。
「勝手に歩き回られては困りますな」
老武将の声は普通だが、他の者たちはそれぞれ殺気を放っていた。一触即発、その一歩手前の雰囲気だ。
「良い。手出しはするな」
島津義弘が言うと、
「しかし」
老武将以外の者たちは不満げな顔だ。
「手出しはするな。そもそも、この男が本気で復讐する気なら、すでに実行している」
島津義弘はゆっくり長めに息を吸うと、
「なめるなよ。若造」
立花宗茂を睨みつけた。
「お前はよそ者ゆえ知らぬだろうが、島津ではな、手負いの虎を仕留めるのは、臆病者のすることだ。仕留めるなら、活きのいい虎に限る」
立花宗茂は東軍最強の本多忠勝と戦ったあとだ。少なからず疲弊している。万全の状態ではない。
そんな相手にここで勝ったとして、それが何の自慢になるだろうか。島津義弘には、恥としか思えない。
「で、何をしに来た? とりあえず座れ」
言われた通り、筵の上に座る立花宗茂。
老武将に槍を預けると、
「騎馬隊の女武者に世話になった。それで、その主君に礼を言いに来た。俺にも水をくれ」
この行動を見て、重鎮たちはいくらか殺気を抑えた。とはいえ、警戒は継続する。相手は危険人物だ。
「その具足、どこで調達した? おおかた、小早川秀秋のところだと思うが」
島津義弘が尋ねると、
「さて、どこだったか」
すっとぼける立花宗茂。
「まあいい。だが、次の質問には答えてもらうぞ」
島津義弘は関ヶ原の地図を広げた。地図にはすでに、西軍の布陣状況が書き込まれている。
その地図のあちこちを指差しながら、さらに言葉で補足していく。東軍は誰をどの辺りに配置してくるのか。
東軍の主な顔ぶれを一通り告げると、
「東軍はおそらく、こんな感じに布陣してくるだろう」
島津義弘の予想に、立花宗茂もうなずいた。
「で、このまま戦いに突入したとする」
数はおおよそになるが、西軍八万と東軍七万。両軍が関ヶ原で激突するのだ。天下分け目の戦いになるだろう。
「それを踏まえて、一つ聞きたい」
島津義弘は声を潜めて、
「小早川秀秋は最終的に、どちらにつくと思う?」
西軍か、東軍か。
この質問の意図が何なのか、立花宗茂にもわかる。
小早川秀秋がいるのは関ヶ原の南西、松尾山だ。
そこに一万五千の兵がいる。西軍と東軍が激突した時に、その側面をつくには絶好の位置だ。西軍と東軍のどちらを攻撃するのか、それを小早川秀秋は好きに選ぶことができる。
戦線が膠着している場面で、側面から襲いかかってくる大兵力だ。非常に強力な一撃になるだろう。
つまり、この天下分け目の戦いは、小早川秀秋が味方した方が勝つ。その確率が極めて高いのだ。
とはいえ、立花宗茂と小早川秀秋の仲がいいことを、島津義弘は知っている。
仮に「小早川秀秋が西軍を裏切りそうだ」と立花宗茂が思っていたとしても、それをそのまま口にするかは微妙なところだ。
立花宗茂の答えは、
「正直に言うぞ。わからん」
だが、さらに言葉を続けて、
「ただし、小早川秀秋の部下たちの中には少なからず、そういう考えの者たちもいるようだ」
松尾山にいた時、立花宗茂はそれをかすかに感じ取っていた。
「そいつらは戦の状況を見て、勝ち馬に乗る気だろう」
どちらが優勢なのかの判断がつけば、その時点で主君に進言するに違いない。勝つ方に味方しましょう、と。
もしも、そいつらがすでに東軍に取り込まれているなら、自分たちの部隊だけで西軍に斬り込んでくることも考えられる。
小早川秀秋軍は東軍に寝返った、と既成事実化してしまうのだ。一部の者たちによる行動とはいえ、そうなっては小早川秀秋配下の全軍が東軍につくしかなくなる。
西軍としては、絶対に避けなければならない事態だ。
「小早川秀秋本人はどう考えている?」
島津義弘は尋ねた。
「・・・・・・わからん。ただ、最初の内は戦いに加わろうとしないだろうな。俺から言えることは以上だ」
立花宗茂は茶碗の水を飲み干すと、
「三日か四日、それで近江の大津城を落とすつもりだ。そのあとは、俺の軍も関ヶ原に合流する」
老武将から槍を返してもらうと、「ほったて小屋」を出ていった。
その気配が完全に去ってから、島津義弘はつぶやく。
「期待しているぞ、若造」




