末摘花(すえつむはな)
「そういうわけだ。家康、お命頂戴いたす!」
トラカドが刀を振り上げた時だった。
「待ってください!」
ミササギが言葉で制止する。
「こちらとしては、その家康公を生きたまま捕らえたいのです」
「それはあなたの意思か? それとも島津公の?」
「私の意思ですが、我が殿も同じお考えでしょう」
そして、つけ加える。
「実は、あなたも似た考えをお持ちでは?」
次の瞬間、トラカドが笑い出した。
刀を鞘に仕舞うと、
「大変失礼した。俺というか、我が殿も同じ考えだ。だから、殿に言われた通りに、少々試させてもらった」
なんでも、他の武将たちと手柄争いになった時、「家康を生きたまま捕らえたい」と言い出す者がいれば、それに協力する。そのように島左近から、密命を受けていたらしい。
「だから、この家康公の身柄はお任せする」
「わかりました。ですが、絶対に殺さない、とは確約できませんよ」
「この場ですぐに殺さないのであれば、それで十分だ。殿には、そう言われている。あとのことについて、こちらは一切関与しない。その家康、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」
「なるほど。島左近殿も色々と考えておられるようで」
「それは島津公や、あなたも同じだろう。まったくもって、『智略』というのは、俺にはわからん世界だ。斬った斬られた、それだけの方が単純でいい。俺には合っている」
トラカドは快活に笑うと、自分の部下たちに撤退の指示を出した。
その背中に向かって、ミササギは聞く。
「このあとのご予定は?」
「殿の元に戻る。だが、その前に西軍の陣地を一通り回るつもりだ。俺たちは目立ちすぎているからな」
何があったのかを説明して回るという。ただし、語るのは真実ではなく、もっともらしいウソだ。
「なるほど。それでは、私の部下を何人か、同行させてもよろしいでしょうか」
ミササギはこう考えていた。
トラカドがつくウソの内容によっては、ミササギ自身、さらには島津軍の立場が悪くなるかもしれない。
未だ戦国の世だ。油断は禁物。
しかも、相手は知将・島左近の部下である。『智略』はわからん、そんなことを口にしているが、このトラカドという男、地頭が悪いようには感じない。
もしも、「島津は西軍でありながら、東軍の徳川家康と内通している。先ほどの家康出現、あれは西軍の動揺を誘う策だ」などと吹聴されても困る。
「疑り深い御仁だ。島津の兵を同行させる件、俺は構わんよ。どうぞ、気が済むように。こちらとしても、あとで何を言ったの言わないの、と揉めるよりは、島津の証人に同行してもらった方が助かる」
「感謝します。どうも私は疑り深い性分なもので。一応聞いておきますが、他の西軍の方々には、どのような説明をするつもりで」
「それについてだが・・・・・・」
トラカドは頭をかきながら、
「酒の席で交わした罰ゲーム、それを律儀に実行した、ということにしようと思っている」
東軍の武将たちが昨夜、酒盛りをした。その最中に、ちょっとした賭けを行い、それで負けた者が罰ゲームをすることになった。
家康公の仮装をして、たった一人で関ヶ原に行ってくる。西軍武将の誰かが駆けつけるまで、絶対に逃げてはならない。一種の度胸試しだ。
無茶苦茶な内容だが、酒が入っていたために、誰も疑問を挟まなかった。
あと、まさか本当に実行しないだろうと、他の者たちは思っていたのだが・・・・・・。
「と、まあ、そんな感じに説明しようと思っている」
かなり苦しい説明だと、ミササギは思った。が、それを口には出さない。すぐには代替案を思いつかなかったのだ。
さらに、こうも考える。この説明内容、知将・島左近の指示によるものとは思えない。トラカド自身の「思いつき」っぽい気がする。
ミササギが無言でいると、
「この説明で大丈夫だろうか?」
少し不安そうにトラカドが聞いてくる。
「・・・・・・頑張って他の武将の方々を説得してください」
微笑するミササギ。
さて、あまりのんびりしていては、他の武将たちがやって来てしまう。そうなっては、新たな面倒が起こるかもしれない。この場に長居は無用だ。
「では、ご武運を」
ミササギが言うと、
「そちらもな」
トラカドも返す。
このあと家康は、ミササギの騎馬隊によって、島津軍の陣地へと運ばれていった。