若紫(わかむらさき)
落とし穴から引きずり出された家康は、地面に座らされて、具足の上から縄でぐるぐる巻きに縛られていた。
相変わらず、騎馬隊に包囲されたままだ。
真正面には、それぞれの騎馬隊を率いる二人。トラカドとミササギがいる。
ここで家康は、あることに着目した。
トラカドは島左近の配下だ。
一方で、ミササギは島津義弘の配下である。
同じ西軍といっても、完全な一枚岩ではないだろう。口では同志と言っていても、本気でそう思っているかは怪しいところだ。
他人の手柄は、自分の手柄と同義ではない。他人が米を食べても、自分の腹はふくれないように。
ならば、そこにつけ込むべきだろう。東軍の総大将・徳川家康を捕縛したとなれば、この戦の勝敗を決した大手柄だ。
で、その大手柄をどちらのものにするのか。
島左近配下のトラカドか。
島津義弘配下のミササギか。
自身の手柄であると同時に、主君の手柄にもなる。
(だから、互いに引き下がらないはず)
そうなることを、家康は密かに期待する。
(争え。醜く争え)
その思いが天に通じたのか、
「家康公の身柄、当方で預かりたい」
トラカドが真顔で、もう一人に切り出す。
「あいにくですが、私の方も同じ考えです。家康公の身柄を、当方で預かりたいと思っています」
ミササギに譲る気はないらしい。
二人の間に短い沈黙が流れる。
(バ・ト・ル♪ バ・ト・ル♪)
家康は心の中で手拍子をした。
とはいえ、この両者が戦う場合、勝つのは「ミササギ」の方だろう。そもそも騎馬隊の数が違う。トラカドの部下は十人前後だが、ミササギの部下はおよそ三百。
「それでは、別の提案をしたい」
トラカドがゆっくりと刀を抜いた。
それに対してミササギも、
「なるほど。一騎討ちのご提案ですか」
馬上で抜刀する。
「勘違いなさるな。俺の提案は、こうだ。ここで家康を斬る」
「は?」
家康は口をぽかんと開けた。
「好きな方を選んでくれ。体の右側か、体の左側か。そちらを譲る。こちらは余りの方でいい」
「なるほど。それなら手柄はきれいに半分ずつ、というわけですね」
その代わり、家康はここできれいに真っ二つだ。頭から幹竹割りである。ぱっかーん。
さすがに、それは嫌なので、
「はいはーい、ご提案! 髪の毛の先っぽと、それ以外というのもあるけどー」
家康は口を挟んでみるが、当たり前だが却下されてしまう。
「早く辞世の句を。それが終わったら斬る」
トラカドによる、死刑執行の宣告がきたー!
「・・・・・・えーと、今は思いつかなくて」
この期に及んで、ささやかな抵抗を試みるが、
「それでは僭越ながら、私が代理で詠みましょう。関ヶ原、ぽつんと家康、ああ無念。できの良し悪しは勘弁してください」
ミササギが余計なことをしてくる。