宿木(やどりぎ)
服部半蔵が関ヶ原の南西を目指している頃、島津の陣では徳川家康が檻の中でふて腐れていた。
そこに誰かがやって来る。
あの老武将かと思って、家康が笑顔を向けると、別人だった。
やって来たのは、白い甲冑を身につけた若い女性だ。
ミササギである。島津軍の客将だ。
「家康公、これから急いで仕度をしていただきます」
彼女は二人の部下を連れていた。
その片方が檻の入り口、その鍵を開けてくれる。
そして、もう片方の部下が、
「これを今すぐ身につけてください」
檻の中に押し込んできたのは、一人分の具足だった。
この具足を家康は知っている。島津軍の雑兵が着ている具足だ。ここに連れてこられる間に、陣中で繰り返し目にした。
(これを着ろとは、どういうことだろう?)
家康は警戒する。
今の自分は囚われの身。乗っていた馬は当然として、兜も具足も刀も没収されている。
なのに、いくら雑兵のものとはいえ、具足の差し入れとは・・・・・・。
(ミササギ、もしくは、この二人の部下のどちらかが、自分に好意を抱いている?)
とは、さすがに考えなかった。
三人とも目が全然笑っていない。どう見ても、好意とは真逆の感情だ。
これはおそらく、ミササギたちの意思による行動ではない。
(島津義弘に命令されたか?)
心当たりならある。
たしか、島左近配下のトラカドが、この陣に来ていたはず。島津義弘との面会を求めていたらしいが、それと何か関係があるのかも。
(もしくは・・・・・・)
家康は嫌なことを思い出す。
老武将からの提案だ。
――その気があるのなら、懐刀を渡しますぞ。すぐに西軍の本陣に送ってあげるから、そこで石田三成を討ちなさい。
先ほどはああ言ったものの、「懐刀だけ」というのは、さすがにかわいそうなので、「具足」もつけてくれたとか。
(で、これを着たら西軍本陣に送られる?)
家康は渋い顔をした。あり得ない話ではない。
島津の陣に潜入中だった女忍者も、捕まって殺されてしまったし、自分の命は風前の灯火なのかも。
せめてもの抵抗に、
「そっちの方がいいな」
ミササギの甲冑を見ながらつぶやいてみる。彼女のは和風の具足ではなく、南蛮様式の甲冑だ。家康の目から見ても、すごくかっこいい。
それに対して、差し入れの具足は雑兵用だ。ぼろくて、ださい。
しかも、嫌がらせのつもりなのか、血や泥が結構ついていた。
「そっちの甲冑と交換して欲しいな」
と家康は頼んでみるが、
「それは無理です。第一、体型が違いすぎます」
ミササギの声は冷たかった。
なので今度は、「着たくない」と拗ねてみる家康。
「これを着たら、石田三成がいる本陣に連れていかれるんだろ」
「何の話です? それはないと思いますが」
「信用できるか!」
家康は声を張り上げる。
「お前たちが冷酷無比なことはわかっている。こちらの女忍者に何をしたのか、忘れたとは言わせんぞ!」
形見になってしまったポニーテールを、ミササギの前に投げた。
「お前たちが殺したんだぞ!」
彼女は一瞬きょとんとしてから、地面に落ちているポニーテールを拾い上げると、
「何か勘違いをしているようですが、その女忍者なら生きていますよ。たしか、『レンゲちゃん』でしたか。あの子には今、東軍との連絡役をしてもらっています」
ミササギがウソをついている、そんな感じはなかった。




