早蕨(さわらび)
残念ながら、「家康討死」は事実だ。
退却の際に、先代の殿は影武者の一人と、兜・具足・武器を交換していた。が、武田信玄には通用しなかったようだ。
先代の徳川家康はすでに死んでいる。あの三方ヶ原の戦いで。
あの時は先代の殿だけじゃない。影武者も何人か討たれた。
これは非常にまずいことだった。戦国の世で下剋上は当たり前。「家康討死」が外部に広まれば、深刻な事態を招きかねない。
――当主が討たれたのなら、徳川家は弱体化しているだろう。攻める好機だ。
そのように考えた者たちが、下剋上を狙って動き出すかもしれない。三河や駿河で内乱が起こる可能性があった。
また、近隣の戦国大名が攻めてくることも考えられる。
そこで急遽、影武者の一人に当主を引き継がせた。
それが今の殿だ。非常事態による「一時的な措置」のつもりだったが、あれから三〇年近く。未だに継続中だ。
そもそも影武者というのは、「顔や背格好が似ている」のが大前提。国の重要機密にも多少かかわるので、できることなら「同じ血筋の者」が望ましい。
なので、よほど「瓜二つ」というのでなければ、「赤の他人」は選ばれない。本人の兄弟や親戚などから影武者を選ぶのが普通だ。
そして、今の殿は元影武者ではあるものの、徳川家の血筋であることに変わりはない。
だから、当時の主な者たちも納得した。
ただし、このことは絶対に漏らしてはならない。徳川家康は健在なり。
(だが、さすがは武田信玄。あの時点ですでに見破っていたか)
かつての敵とはいえ、天下統一を目指した偉大な戦国大名の一人だ。
壮大な夢の実現、「天下統一」には至らなかったが、
(武田信玄、死してもなお動くか)
今を生きる者たちに影響力を行使しようとしている。
相手が相手だけに、服部半蔵は戦慄を覚えた。あの御仁はどこまで未来を見通していたのか。
しかし、こういう考え方もできる。
(これは武田信玄からの贈り物かもしれぬ)
一五七二年には、たしかに敗れた。三方ヶ原の戦いで。
そのあと一五八二年には勝った。ただし、その時の戦いに武田信玄はいない。当時の武田家当主は武田勝頼だ。
つまり、武田信玄にはまだ勝っていない。
服部半蔵の脳内で、武田信玄の亡霊が告げてくる。
――天下をつかみたいのなら、わしを越えていけ。
その両側には、左右合わせて五つの影が立っている。
顔がわかるのは二人だけだ。上杉景勝と島津義弘。
あとの三人は不明だ。『信玄密書』は五つということだから、受け取った戦国大名は五人になる。
残りの三人は誰なのか。
そして、これも気になる。その三人は東軍なのか。西軍なのか。
服部半蔵の頭の中に、いくつかの名前が浮かんでくる。
石田三成、島左近、宇喜多秀家、大谷吉継、小西行長、小早川秀秋・・・・・・。
他にも、毛利輝元、黒田如水、伊達政宗、真田幸村、立花宗茂などの名前も浮かんでくる(この内、黒田如水と伊達政宗は東軍だ)。
誰が『信玄密書』を受け取っているかで、脅威の程度には大きく差があった。やばい者もいれば、それほどでもない者もいる。
東軍とはいえ、黒田如水はかなりまずい。引退したと聞いているが、かつての名軍師だ。敵だけでなく、主君の豊臣秀吉も、その才を恐れていたとか。
もしも『信玄密書』を受け取っている場合、息子の黒田長政にも、そのことを教えないだろう。そういう男だ。
秘密を他には話さずに、機が熟すのを待っている。あの男はまだ天下を狙っているのかもしれない。
また、西軍の中では真田幸村が非常に危険だと思う。
黒田如水と真田幸村、この二人が『信玄密書』を受け取っていなければ良いが・・・・・・。
服部半蔵が険しい顔をしていると、部下の一人が馬を寄せてきた。並走しながら、小声で報告してくる。
「間もなく松尾山です」
関ヶ原の南西にある松尾山。
そこには現在、小早川秀秋の軍勢が布陣している。
その兵数は「一万五千」。西軍第二の大兵力だ。
それに対して、こちらはおよそ五〇。
(しかし、忍者には忍者の戦い方がある)




