夕霧(ゆうぎり)
しかし、相手は知将・島左近だ。何か裏があってもおかしくない。
このトラカドという男、島津に対する監視役か、それとも情報収集が目的か。
優秀な武将だという印象を持ったからこそ、
(この男に下手に動かれては困るな)
警戒する基準も高くなる。
トラカドの受け入れを断るのは簡単だ。これから戦をするので、部外者を入れたくない。そんな理由で十分だろう。
だが、島津義弘はさらに考えてから決断する。トラカドを自陣に受け入れることにした。
「ミササギの部隊と一緒に行動してもらう。ただし」
一つ確認しておく。
「戦況次第では、殿を務めてもらう可能性もある。あの部隊は、そういう部隊だ。機動力を活かして敵陣に斬り込む部隊。後退する時には、敵の追撃を受けることもあるだろう」
「もちろん心得ております。そのような時には部隊の最後尾を務めさせていただきます」
今の言葉から偽りのようなものは感じない。強い覚悟のみを感じた。こういうところからして、凡人とは違っている。
(ふむ・・・・・・)
今のやり取りで、島津義弘の「トラカドに対する評価」がおおむね定まった。
この男、自分から裏で策を弄することには、向いていないようだ。単純明快が似合う男。
そんなトラカドの性格を、島左近の方でも正しく把握しているに違いない。
にもかかわらず、トラカドを送ってきたのだ。その狙いは単純に、「部下に武功をあげさせたい」という親心からだろう。島津に対する監視や情報収集が目的ではない。
あの島左近がそこまで気にかけている若武者か。
(こういう男を、ぜひとも部下に欲しいものだ)
島津義弘は胸中でつぶやく。
しかし、島左近が手放さないだろう。今回は一時的な措置だ。例外中の例外。
どうやら老武将の方も、トラカドに対して同じような印象を持ったらしい。「この若いの、なかなかですな」と言いたげな目をしている。
突然、ほったて小屋の中に部下が駆け込んできた。
「関ヶ原の北で、東軍のものだと思われる狼煙が上がりました!」
島津義弘は首を傾げる。
関ヶ原の東、もしくは南、というのならわかるが、
(北?)
部下によると、狼煙が上がったのは島左近が布陣しているよりも、さらに北。山一つ向こうだという。
そこから東軍が関ヶ原に侵入してくる、というのは考えにくい。それだと時間がかかりすぎる。
つまり、北の狼煙は陽動だ。
東軍の狙いはわかっている。この島津軍の陣地に攻め入り、徳川家康を奪還することだ。
だから、最終的には必ず、ここに来る。
「『迎撃』の準備を急げ!」
島津義弘は立ち上がり、小屋の外に出る。老武将とトラカドもあとに続いた。




