鈴虫(すずむし)
東軍の一部が関ヶ原に向かってきているのは、島津軍でも把握している。
本多忠勝の騎馬隊が中心らしい。まともにぶつかれば、非常に手強い相手だ。なにせ東軍最強。
そして、どう考えても、本多忠勝たちの目的地はここだろう。
(あの家康を奪還しにきたか)
そのことをわざわざ島左近が知らせてきた、というだけではあるまい。
他に何かある。
そう島津義弘は考えていた。自分の予想よりも早く、老武将がトラカドを連れてきたのは、それが原因な気がする。
「どうぞ、座られよ」
島津義弘はトラカドに言う。敵意はないが無表情、そんな対応をした。表情を削ぎ落とすことで、相手に与える情報が最小限になるよう努める。
トラカドは大きく一礼すると、筵の上に腰をおろした。
この時、老武将は、この若武者から視線を外さなかった。目で警戒を続けながら、島津義弘に耳打ちしてくる。
その前半部分については、島津義弘が予想していた通りの内容だった。
東軍の一部が島津軍の陣地を目指しているというもの。すでに島津軍がつかんでいる情報と、まったく同じだ。
ところが、後半になると、その内容ががらりと変わる。まったく予想していなかった内容に、島津義弘は目に感情が出てしまった。
すぐに平静を装うが、今の変化にトラカドは気づいただろうか?
それとなく目で探ってみると、正面にいる若武者が動く。座ったままの状態で、深々とお辞儀をしてきた。
島津義弘は考える。こちらの動揺に、トラカドは気づいたのか。それとも違うのか。
ただ、これだけは言えるかもしれない。今のトラカドの対応は悪くないと思った。
そう思ったからこそ、島津義弘はより一層考え込む。島左近め、いったい何を考えているのか。
老武将が耳打ちしてきた内容、その後半部分を頭の中で繰り返す。
――トラカドを島津軍に預けたい。
そうする理由は、次のようなものだという。
島左近の軍は、その数や、その編制において、攻めることには焦点を置いていない。はっきり言って、守りの軍だ。
兵力はさして多くなく、鉄砲隊の比率が高い。ここ関ヶ原に到着してからは、柵やら堀やらをこしらえて、陣の守りを固めている。
しかも、島左近が布陣しているのは、石田三成がいる西軍本陣の正面だ。左近の軍はひたすら三成を守る肉の壁となり、他の西軍武将が東軍を敗走させるまで耐えきる。そういう考えらしい。
島左近にとって、トラカドは貴重な機動戦力だろう。
だが、守りに徹する戦いをするなら、宝の持ち腐れになる。
それで、「島津軍に預けたい」と言ってきた。そっちの方が、トラカド個人の武功をあげやすいからだ。
一応は筋が通っているように思える。




