帚木(ははきぎ)
この少し前、西軍の武将たちは家康の存在に気づいていた。
西軍の陣地からいくらか距離があるとはいえ、開けた場所にいるのだ。気づかない方がおかしい。
武将の一人に、側近が告げる。
「どう見ても家康ですな」
しかし、そんなことが本当にあり得るだろうか。
家康は東軍の総大将だ。一人で出陣してくるわけがない。
「常識的に考えて、罠だな」
総大将を囮に使うとは、なんと大胆な作戦か。いや、あの家康は影武者だろう。さすがに本物を囮にするわけがない。この戦国の世、そこまでのアホなら、すでに死んでいるはず。
「どうします? 部下たちに馬で近づかせてから、弓で狙わせますか?」
「その必要はない。どうせ罠だ。どこかに伏兵がいるに違いない」
東軍の伏兵がいるのは、相川山か、桃配山か。
二つの山に挟まれた場所に、あの家康はいるのだ。
のこのこ出ていくと、どちらかの山、あるいは、両方の山から、東軍の伏兵が飛び出してくるに決まっている。
そうやって緒戦を制しておいて、そのあとの戦いを有利にするのが狙いか。
「とりあえず、しばらくは様子見だ」
あの家康に、西軍の他の武将たちも気づいている。
だが、誰も動こうとはしない。
当たり前だ。これで、のこのこ出ていって敵の罠にはまれば、目も当てられない。「あそこの大将は無能だ」などと恥をかくことになる。
山に伏せているであろう敵兵の数は不明。よもやの大軍が潜んでいる可能性もある。
「相川山と桃配山。二つの山に妙な気配はないか、そこに注意させろ」
そんな風に考える西軍の武将が多い中、薩摩の島津軍は違った。
大将の島津義弘に、一人の武将が告げてくる。
「あの家康公を捕えるために、今すぐ出陣したいのですが」
白い甲冑を身につけた若い女性だ。名は「ミササギ」。島津の客将として、この戦いに参加している。
彼女の祖父と父は、ともに「大名のお抱え剣術師範」で、刀の腕は超一流だ。「黒いカラスを一瞬で赤くした」とか、「飛んでくる鉄砲の弾を一刀両断した」とか、「伏兵の存在を確実に見破る」とか、その実力にまつわる話も多い。しかも、それらのほとんどが事実だった。
そんな血筋もあってか、彼女自身もかなりの腕前だ。西軍全体を見回しても、十本の指に入る実力だろう。
出陣したいというミササギに対し、島津義弘は短く答えた。
「『偵察』なら許可する」
実を言うと、島津義弘も、あの家康を無視する気はなかった。
戦場では何が起こるかわからない。
家康が一人で関ヶ原に来た。常識的にはあり得ないことだ。
しかし、そういうことがあり得てしまうのが、戦場でもある。「常識」という物差しは非常に便利だが、それに頼りすぎると、重要な場面で大きな獲物を取り逃がすこともある。世の中には、「常識」で測ることができないものも、少なからず存在するのだ。
もしも、これが本当に家康の単独出陣なら、絶好の好機を見逃すことになる。
だから、少し突いてみようと思ったのだ。罠にしては、あまりに奇妙。ということは、逆に・・・・・・。
そこにミササギが出陣したいと言ってきたのだ。渡りに船だと思った。彼女には三百人の騎馬隊を任せている。戦場での動きにも、かなりの自由を与えていた。仮に伏兵がいたとしても、うまく対処するだろう。
ほどなくして、ミササギ率いる騎馬隊三百が、島津軍の陣地を出発する。
だが、家康に反応したのは、島津軍だけではなかった。
ミササギが出発するよりも先に、別の騎馬隊が出発している。家康の元へと迫りつつあった。