篝火(かがりび)
「どうもよくわからん」
島津義弘は水を飲む。
目利きの部下たちには、さらなる調査を命じていた。
具足や刀の使い込み具合から、「普段の着用者が右利きか、左利きか」や「ある種の持病の有無」など、得られる情報は少なくない。それに期待する。
ミササギが茶碗の縁を指でなぞりながら、
「義弘さま。一つおうかがいしてもよろしいでしょうか」
「・・・・・・許可する」
「殿はなぜ、あの家康が本物か偽物かに、ご執着なさるのですか?」
斬りましょうか、そんな目をして聞いてくる。
まだ斬るなよ、と島津義弘は目で諭してから、
「良い質問だ」
三〇年近く前に亡くなった武田信玄が残した書状、『信玄密書』を思い浮かべる。
それについて、ミササギには何も話していない。あの書状の秘密を知らないのだ。
あえて話すものではないと思っていたが、
「ここから先の話は、他言無用とする」
ゆっくりとうなずくミササギ。
その直後に、彼女は自分の茶碗を倒してしまった。
水がこぼれる。筵の上を東の方へと流れた。
「粗相だぞ、ミササギ」
島津義弘は自分の正面に向かって言う。
そこには今、誰の姿もなかった。彼女の茶碗が倒れているのみ。この「ほったて小屋」の中にいるのは、自分だけだ。ミササギの姿は消えている。
しかし、島津義弘は芝居を続けた。
「まあいい。で、他言無用の話というのはだな」
直後に、小屋の外で激しい音がする。二人の人間が組み合って暴れ回る音だ。
ミササギには特技がある。伏兵の気配を察知できるのだ。どうやら、この小屋のすぐ近くで敵の忍者が、聞き耳を立てていたらしい。
彼女が「義弘さま」と言ったのが合図だ。普段は「殿」としか呼ばない。そう示し合わせている。
だから、こちらは話を続けて、その忍者の注意を引こうとした。ミササギが接近するのを、敵に気づかれにくくするために。
茶碗の水がこぼれた方向、あれは忍者がいる方向を示している。
「殿、曲者を捕らえました!」
「でかした!」
小屋の外に向かって、島津義弘は叫んだ。
周囲が騒がしくなってくる。この近くにいた兵たちが集まってきたらしい。
小屋の外に出ると、ミササギが相手の背に馬乗りになっていた。地面に組み伏せている。
島津の一般的な兵たちと同じ格好をしているが、ポニーテールの女忍者だ。
その忍者の顎から頬にかけて、ミササギが片手で締めつけている。
周辺には、溝を掘るための道具類が散乱していた。スコップ、かご、縄、手押し車などだ。
この陣地の前に「防御用の溝」を掘ったあと、ここにまとめて置いていたのだが、今は散らばっている。
その散乱具合から、この二人がいかに激しく争ったのかがわかった。
「こいつ、どうします?」
ミササギが女忍者の顔を力ずくで、こちらに向けてきた。




