蛍(ほたる)
場所は変わって島津軍の陣地。
その真ん中よりやや後方、そこにある「ほったて小屋」の中では、
「あの家康を、この先どうするおつもりですか?」
ミササギが尋ねてくる。
「まだ決めかねている」
島津義弘は迷っていた。
あの男はひょっとしたら、『信玄密書』に書かれた内容の真偽を確かめる上で、重要な手がかりになる可能性がある。
また、徳川家康も『信玄密書』を受け取っているなら、徳川家と上杉家以外に、どの大名家が同じ書状を受け取ったのか。それを調べるくらいはしているはず。『信玄密書』を持ってきた使者の言葉を信じるなら、書状は全部で「五つ」存在するのだ。
そういった調査を徳川家康は、服部半蔵に任せるだろう。その配下の忍者軍団は、この戦国の世において、質の面でも数の面でも優れている。
ひょっとしたら、こちらの知らない有力情報を、すでにつかんでいるかもしれない。
となると、あの家康は重要人物だ。生きたままでその身柄を押さえておく価値が、それなりにある。
とはいえ、あの男が素直に腹を割るには、まだ時間がかかりそうだ。
そうなる前に、石田三成が「あの家康を本陣に護送せよ」などと言ってくれば、そこまでにかけた手間が、無駄になってしまう。
(これは、島左近に体良く、面倒を押しつけられたのかもしれんな)
島津義弘はそう思いつつも、それを口には出さない。あの家康を連れてきたのは、今目の前にいるミササギの判断だ。
そして、あの時点では自分も同様の考えだった。だから、ここで彼女に責任を押しつけるつもりはない。あれは自分の責任だ。
「あの家康を斬りましょうか?」
ミササギが聞いてくる。
「不要だ。まだな」
そうだ。焦ることはない。あの家康の身柄は現在、島津で押さえているのだ。煮るのも焼くのも、こちらの自由。
石田三成が「本陣に護送しろ」と言ってきたら、その時点で始末すればいい。「隠し持っていた懐刀による自決」ということにして、あの家康の死体だけを本陣に送る。それで済む話だ。




