初音(はつね)
あの戦法は「初見殺し」だ。あの黒田長政にも勝った戦法。ただし、その父、如水にはあっさり負けてしまったが。
(でも、このジジイがこれまで通り、手を抜いてくれれば・・・・・・)
しかし、そんな期待は叶わなかった。
「わし、これから日課にしているお肌のお手入れがありますので。ご機嫌よう。またあとで」
「え?」
足早に去っていく老武将の背中。
それに向かって家康は叫ぶ。
「ちょっと待って。とっておきの戦法、『家康式シャドースペシャル』をこれから使うつもりで」
けれども、相手は止まらない。
なので、家康は渾身の一言を放つ。
「うんこー!」
老武将が幕の外に出てしまった。渾身の一言は不発に終わる。
その直後、これまで無表情だった見張りの兵たちが、くすくす笑い出した。
この展開は恥ずかしすぎる。家康は赤面すると、素早くスコップを拾い上げて、それで顔を隠した。
笑い声が聞こえなくなってから、家康はこそこそ顔をのぞかせる。
深いため息をついてから、檻の隅っこに移動した。手にしたスコップで、地面を掘り始める。
すぐに見張りの兵たちが、咎めるような視線を向けてきたので、
「『厠』を掘っているのが、見てわからないのか! 檻の中に最初から用意しておけ!」
半分怒りながら言う。
これは本当だ。逃亡のための穴を掘っているのではない。
このあとも家康は地面を掘りながら、怒っている演技を続ける。見張りの兵たちにはもうしばらく、こちらの本心を悟られてはいけない。
スコップの平たい部分で顔を隠した時に、あることに気づいたのだ。ちょうど目の前にくる場所に、真新しい傷があった。何も知らなければ、ただの傷だが、実際にはそうじゃない。
服部半蔵やその配下の忍者たち、彼らが使う『忍者文字』だ。
島津軍の目を盗んで大急ぎで書いたらしく、何か意味のある単語ではないようだ。記号の羅列で、その並び方に意味はない。
が、あの文字があるということは、味方が近くにいることを意味している。この島津軍の陣地に現在、潜入中の者がいるらしい。そのことをこちらに知らせようとしている「メッセージ」だ。
だから、すでに服部半蔵の方にも、こちらの状況が少しは伝わっているはず。そう考えるべきだろう。
だったら、自分は救出されるのを辛抱強く待てばいい。のらりくらりと時間を稼いでいれば、きっと助けがくる。
(頼むぞ、半蔵!)




