桐壺(きりつぼ)
(ど、どうしよう・・・・・・)
家康は思い出す。
先日、「連絡の文」を書いた時のことだ。
この文は、今後の運命を大きく左右しかねない。
したがって、そのすべてを自分で書いた。人任せにはしなかった。
そうやってできた「連絡の文」を、東軍の主な者たち全員に届けるよう、側近たちに指示した時のことである。
「殿、万が一ということもあります。誤字や脱字がないか、内容に誤りはないか、拙者たちにも確認させてください」
部下たちからの意見。
普段ならば、素直に従っていたと思う。
だけど、あの時は違った。
「その必要はない。今は一刻を争う時だ。少々の誤字や脱字があっても、目をつぶろう」
西軍との一大決戦に向けて、これから色々と事前準備をしなければならない。
もしも、ここで間違いを見つけたら、「連絡の文」はすべて書き直しになる。それを嫌った。
かなり集中して、慎重に書いたのだ。間違えているはずがない。そんな考えがあった。
で、この有様である。
九月十四日。この広い関ヶ原に、ぽつんと家康。
味方が来るのは一日後だ。
(ど、どうしよう・・・・・・)
たかが勘違いをしただけ。十四日と十五日。人生において、こういう失敗は誰にでもあるはず。
しかし、それが今の状況を招いたのだ。
あの時、側近たちと一緒に確認していれば、十五日だと強く記憶に残って、こんな失敗はしなかったかも・・・・・・。
家康は後悔する。
自分を信じるのは悪いことじゃない。が、信じすぎるのも良くない。あの時、ちゃんと側近たちにも確認させていれば、こんなことには・・・・・・。
わらにもすがる思いで、周囲を見回す。必死になって味方を探した。誰か間違えて、一日早く来ていたりしないかな。
けれども、徒労に終わる。うん、東軍は非常に優秀だ。総大将以外は。
今さらながら思う。ここに来るまでの間、おかしいとは感じていた。味方と全然会わないのだ。
とはいえ、そういう経験は初めてではない。前にもあった。
おかしいな、誰もいないな、と集合場所に着くと、
「殿、お誕生日おめでとうございます!」
味方の軍勢がいきなり現れて、お祝いしてくれたのだ。誕生日のサプライズ演出。
すでに戦いは終わっていて、本多忠勝に大将首をプレゼントされた。
で、今回は誕生日ではないものの、「それに近いサプライズかな?」と考えていた。
その結果が、ごらんの有様だ。
集合する日を間違えたせいで、総大将一人だけでの出陣になった。
はっきり言って、ただのバカである。
だが、あきらめるのはまだ早い。この戦国の世をここまで生き抜いてきたのだ。これまで幾多の修羅場をくぐり抜けてきた。その運が尽きていなければ、あるいは・・・・・・。
幸いなことに、西軍の武将たちにはまだ気づかれていないらしい。
そして、自分は名馬に乗っている。脚が速く、持久力もあると評判の馬だ。
今すぐ本気で逃げ出せば、意外と何とかなるかも・・・・・・。