関屋(せきや)
家康の檻を囲う幕、その外側を島津義弘は歩いていた。
石田三成の部下と入れ違いに、老武将が幕の内側から出てくる。
家康の檻の周囲には、見張りの兵たちを残しているので、ここで捕虜が暗殺されることはないだろう。
そもそも、そんな命令を石田三成が今の段階で出すとも思えなかった。
こちらに近づいてくる老武将に対して、
「どうだった?」
島津義弘は歩きながら尋ねる。
「まだ判断はつきませぬ」
あの家康は本物なのか、偽者なのか。
「変に本物くさいところがありまして」
そのせいで偽者だと断言できないという。
どうにも曖昧な物言いだが、島津義弘はそれを責めなかった。
結論までの速さだけにこだわるなら、あの家康を最初から拷問している。
だが、拙速なやり方では、真実のごく一部しかわからないものだ。
しかも、それは表層の一部分にすぎなかったりする。そういうものは、真に欲しい情報ではない。
ゆえに、重要だと思うことには、しっかりと時間をかける。あの家康が本物なのか、偽物なのかは、特に重要だ。
しかし、あの石田三成がいつまで大人しくしているやら・・・・・・。
「大まかでいい。あの家康が本物である確率は何割くらいだ?」
島津義弘の問いかけに対して、老武将は少し考えてから、
「三割くらいでしょうか」
「予想していたよりも高いな」
「拙者も驚いています」
この老武将の『将棋尋問』は当てになる。
それが未だに、あの家康が本物だという可能性を捨てきれずにいるのだ。偽者だと断定できずにいる。
島津義弘には一つ確かめたいことがあった。
ひょっとしたら、あの家康が真実への鍵を握っているかもしれない。
確かめたいこととは、ある書状の真偽だ。
豊臣政権の五大老の一人、前田利家が亡くなったのが去年。
そのあとすぐに、島津義弘の元に奇妙な使者がやって来た。
「我が心の主君の命により、参上しました」
その主君とは、「甲斐の武田信玄」である。
しかし、武田信玄はすでに、この世の者ではない。亡くなって三〇年近くが経っている。
奇妙な使者だが、島津義弘は礼をもって遇した。武田信玄と言えば、偉大な戦国大名の一人だ。その武勇・智略には学ぶところが多い。
使者は「ある書状」を持参していた。
武田信玄が亡くなる前にしたためた書状だ。厳重な封印が施されていて、開封された形跡はない。
「これを島津公にお渡しします」
その書状は暗号化されていて、それと同じ内容の書状は、全部で「五つ」存在するらしい。
ある状況が訪れた場合に、それら五つの書状を、別々の大名に渡すよう、武田信玄が言い残したという。
具体的に名指ししたのは、「上杉家」のみ。
あとの四つの書状を、どの大名家に渡すのか。それについて、武田信玄は特に指示をしなかったらしい。家臣たちに任せたという。
この「謎の書状」のことを、島津義弘は『信玄密書』と呼んでいた。




