蓬生(よもぎう)
今は二勝分の余裕があるものの、勝った分をすべて吐き出せば、まずは檻の広さを半分にされてしまう。
その先はまだ聞いていないが、三つ四つ負け越した時点で、「ジ・切腹」な気がする。
とはいえ、この老武将に負けることはないだろう。そこまで将棋が強くはない。
今のところは、だが。
家康は早い段階から気づいていた。この老武将は時折、わざと手を抜いている。本気を出していないのだ。
接待のためではない。こちらの「人となり」を見極めようとしているのだろう。
――この家康は本物なのか。偽者なのか。
こちらがどんな手を打つかで、どんな人間なのかを探ろうとしている。
したがって、今指しているのは、ただの将棋ではない。将棋盤を挟んでの、無言の問答である。
だから、家康もまだ本気を出さないようにしていた。相手の探りを惑わせようとして、わざと外した手も混ぜている。
(しかし、どこまで効果があるのやら)
老武将の手にはごくまれに、鋭いものが含まれている。
それをどう受けるのか。どう捌くのか。
本性が出やすい場面だ。
老武将はひょうひょうとしているが、こういう手を巧みに仕掛けてくる。
なので、こちらは平静を装いつつも気が抜けない。本心を読ませてなるものか。
長考の末に、無難な手を返す。
すると、さらに相手が勝負手を打ってきた。
家康は思わずうなる。
「むむむ、そうくるか」
次の一手が勝負の行方を左右するのは、瞬時にわかった。
相手は誘ってきている。「勝ちか負けか、好きな方を選べ」と。
畳みかけるように、こちらの本性を暴きにきている。欲望に素直なのか。そうでないのか。
(このジジイ、本当はものすごく将棋が強いな)
家康は少しだけ現実逃避をする。
自分の側近に黒田長政という男がいるが、その父の如水も、このジジイと同様、将棋がものすごく強い。
如水はかつて、黒田官兵衛と名乗っていて、戦国有数の軍師だった男だ。
そんな名軍師・官兵衛と、このジジイを対局させてみたいと思った。
それを横から、のんびりと見ていたい。かなりの名勝負が期待できそうだ。
(さて、と)
束の間の現実逃避をしたあとで、家康は勝負手を打つ。
その結果、この対局に勝つことができた。今回は「お風呂」の獲得を優先する。
そこに島津の兵が小走りでやって来た。何やら老武将に囁いている。
どんな内容だったのかというと、
「石田三成の部下が来たらしいですな。捕虜と話したい、と言ってきているようで」
家康は表情で拒否した。尋問されるなんて、まっぴらだ。このまま将棋を指していたい。
「そういう気持ちは、わからんでもないですが」
老武将はニヤリと笑うと、
「わしに良い考えがありますぞ」