明石(あかし)
西軍の偵察だと考えて、まず間違いない。川の向こう側にある小さな林、そこに身を隠している。
東軍の関ヶ原方面への接近を、西軍に知らせるのが目的だろう。
服部半蔵の少し後方で、風が咆える音がした。さらに自分の横を、突風がすっ飛んでいく。
そのあと、林の中で悲鳴が上がった。
ごく短い時間に、それが三回続く。
「すまん。少し遅れてしまった」
本多忠勝が追いついてくる。
「敵がいた。あと一人残っている」
服部半蔵は感心した。あの一瞬の気配だけで、「敵の数は四人」だと見破ったらしい。
で、どうやって倒したのかというと、矢を投げたのだ。弓につがえることなく、自分の手で。
前に酒席で見せてもらったことがある。
――戦場で弓の弦が切れる、そんなことは珍しくないからな。
そう言って矢を、庭の石灯籠の穴に、次々と放り込んでいた。普通の兵が弓で放つよりも速く、矢は正確に飛んでいっていた。
常人に可能な芸当ではない。さすが忠勝だ。
また、こんな話も聞いたことがある。忠勝が他大名の城を訪れた時だ。
深夜に寝所で気づいたらしい。天井裏に敵の忍者が潜んでいる、と。
その時は、枕元に置いてあった硯箱から大筆を取って、それで仕留めたのだとか。墨が固まっていれば、筆先の強度はいくらか増す。
――まさか、本当にうまくいくとは思わなかった。
そう本人は後日、照れくさそうに語っていたらしい。
半蔵もその城を訪れたことがあるが、噂の部屋にはたしかに、天井に小さな穴が開いていた。大筆の先がちょうど当てはまりそうな穴だ。
さすが忠勝。さすが東軍最強。
「本当に恐ろしい男だな。忠勝が敵でなくて本当に良かった」
敬服する半蔵に対して、忠勝も真面目な顔で言う。
「半蔵、お前も十分に恐ろしい男だぞ。敵でなくて本当に良かった」
互いに得意分野が違うのだ。そのことを二人とも自覚している。だからこそ、本多忠勝と服部半蔵は力を合わせるのだ。
本多忠勝の部下たちが十数人、服部半蔵を追い抜いていく。
そのまま橋を渡りきると、小さな林を包囲した。敵の偵察、その最後の一人も、これでは逃げられまい。
「ところで半蔵、殿の居場所はまだつかめないのか?」
「候補は二ヶ所に絞った。そのどちらかにいるようだが・・・・・・」
島左近の陣か、島津義弘の陣か。
島左近配下の若武者トラカドが、西軍の各武将たちを訪ねて、島津の方に送ったと言っているらしい。
が、それをそのまま信じるわけにもいかない。そう言っておいて、実は島左近の陣に、ということもあり得る。
石田三成がいる西軍の本陣でないのは救いだが、それ以外では、よりにもよってという「二つの陣」だ。
西軍きっての頭脳と称される、「島左近」の陣か。
西軍で一、二を争う猛将、「島津義弘」の陣か。
本気で頭が痛くなる。こちらには本多忠勝がいるものの、どちらの陣に攻め込むにせよ、かなりの犠牲を覚悟しなければならない。
険しい顔をする半蔵に対して、忠勝が楽しそうに告げてくる。
「どちらかと言えば、島津の方であって欲しいものだ。あそこには、ぜひとも部下に加えたい若武者がいるからな」