葵(あおい)
いくつかの茶碗が一斉に割れた。
衝撃の知らせに、思わず茶碗を落としてしまった者が多数。
「それは本当か?」
徳川家康の側近、本多忠勝が聞く。
ここは関ヶ原に近い城の中だ。
明日の戦いを前に、東海道を進んできた東軍の主な武将たちが、この城に集まってきている。
長旅をしてきた者がほとんどだ。
疲れを癒す者もいれば、明日に向けての戦談義をする者もいる。
本多忠勝たちは後者だった。
東軍の総大将・徳川家康の指示では、「関ヶ原に現地集合」となっている。
とはいえ、こうして合流したのだ。このあとは一緒に行動しようと、駿河のお茶を味わいながら、関ヶ原の地図を広げていた。
そこに突然、忍者たちの棟梁・服部半蔵がやって来たのだ。
そして、告げてきたのが、「主君の捕縛」である。
「は?」
本多忠勝を始め、その場にいた者たちは、最初きょとんとした。
戦いは明日のはずだ。まだ関ヶ原に着いてもいない。
なのに、殿が捕縛された?
面白い冗談を言うようになったな、と笑い飛ばしたいところだが、よりにもよって、相手は服部半蔵だ。
真面目な男で、これまで冗談を言ったのを聞いたことがない。しかも、その表情は真剣だ。
ひょっとしたら、本当かもしれない。
そう思った途端、事の重大さに気づき、武将たちの手から茶碗がすべり落ちたのである。
「半蔵、くわしく聞かせろ」
本多忠勝の顔も真剣になった。
それで真偽を判断する。主君の捕縛。意味不明の状況だ。
服部半蔵が早口で説明する。
先ほど、部下から報告があったという。
何でも、殿が一人で関ヶ原に出陣。そこを西軍に捕縛されたとか。
半蔵自身も誤報を疑ったが、同様の報告がさらに二件。
もしやと思い、殿の所在を急いで確認したところ・・・・・・。
「かなり前に、この城を出ていったそうだ。それを門の近くで目撃した者たちがいる」
城の周辺で本日、数人の武将たちが兵の調練に励んでいた。その視察と激励のために、城を出ていくのだと思ったらしい。
だが、実際にはそうではなく、殿は一人で関ヶ原に向かったようだ。
「やはり誤報ではないのか? もしくは、敵が流した偽情報とか」
東軍武将の一人が言う。まだ信じられないのも、無理もない。これが西軍による攪乱の策というのは、十分にあり得る話だ。
「だから、部下たちに急いで確認させている」
服部半蔵が答えた。
「しかし、どうも本当のようだ。今のところ、否定する材料の方が少ない」