神の自動販売機
人々が暮らす地球。
その遥か高い場所に、目も眩むような豪華な宮殿がそびえ立っていた。
宮殿には神が御わし、大きな穴から下界を見下ろしていた。
下界では、人々が毎日朝早くから夜遅くまで、勉強に仕事に勤しんでいた。
それでも人々の大部分は、どんなに努力してもその日を生きるのが精一杯。
「人間は本当に勤勉なのに、可哀想な生き物だなぁ。・・・そうだ。」
報われない日々を過ごす人々を哀れに思って、
神は人間に施しを与えようと考えた。
「でも、人間に何をあげたら良いのだろう。」
浮世離れした神には、人々に施そうにも何を与えたら良いのかわからない。
人々に直接話を聞ければ良いのだが、神の姿は人間には見えず、声も届かない。
だから神は、下界を見下ろし、人々の生活を観察することにした。
「人間は必要なものをどうやって手に入れているのだろう。」
見ると人々は、事ある毎に、大きな箱から必要なものを取り出している。
その箱とは、自動販売機だった。
「なるほど。人間は必要なものを自動販売機から選んで取り出しているのだな。
よし、では必要なものを何でも取り出せる、神の自動販売機を与えてやろう。」
そうして神は、神の自動販売機を3つ、下界に遣わした。
一つは貧しい人々がいる場所に。
一つは勉強熱心な人々がいる場所に。
一つは仲良しな人々がいる場所に。
神の自動販売機は、ただの自動販売機ではない。
無数に現れるボタンを押していくだけで欲しいものが得られる。
その神の如き能力で、人々に恩恵をもたらすことが期待された。
地球の片隅にあるその場所では、貧しい人々が暮らしていた。
人々はその日の食べ物を求めてゴミを漁り、泥水をすする毎日。
そこに突如、天から神の自動販売機が降り立った。
神の自動販売機は神々しい輝きを放ち、すぐさま貧しい人々の注目を浴びた。
あれはきっと神の使いに違いないと、人々は神の自動販売機にすがった。
神の自動販売機には、商品サンプルの類は一切表示されない。
あるのは次々に現れる無数のボタンだけ。
ボタンを選んでいくことで、その人が必要としているものが出てくる。
例えば、喉が渇いている。冷たいもの。このボタンの組み合わせを選ぶと、
ブー、ゴトンと音がして、神の自動販売機からは氷水が満たされた瓶が出てきた。
お腹が空いている。片手で扱える。このボタンの組み合わせを選ぶと、
神の自動販売機からはサンドイッチが出てきた。
そうして貧しい人々は、神の自動販売機のおかげで、豊かな生活を手に入れた。
神の自動販売機のボタンを押せば、その時その人に必要なものがもたらされる。
食べ物も飲み物も、着る服までも、神の自動販売機が与えてくれた。
貧しい人々は、神の自動販売機のおかげで救われた、かに思われた。
しかし、実際はそうはならなかった。
神の自動販売機は食べ物も飲み物も与えてくれる。
しかし自動販売機である以上、一度に使えるのは一人まで。
そのため、神の自動販売機には、長い順番待ちの行列ができていった。
神の自動販売機の恩恵を求める人が増えれば増えるほど、
順番待ちをする人も増えていく。
順番待ちの行列は伸びに伸びて、やがて丸一日以上待っても、
順番が来ない程にまで長い行列になった。
すると順番待ちの割り込みや奪い合いが発生し、
貧しい人々は返って困るようになった。
神の自動販売機など無ければ争いも起こらないのに。
怒った人々は、神の自動販売機を抱え上げ、海に放り込んでしまった。
海底深くに沈んでいった神の自動販売機は、もう人々に触れられることもなく、
人々は元の貧しい生活に戻ることになった。
地球の北の方に位置するその場所では、勉強熱心な人々が暮らしていた。
人々はよく勉強し、よく働き、比較的裕福な生活を送っていた。
そこでも突如として天から降り立った神の自動販売機は、好奇の目で迎えられた。
しかし、勉強熱心な人々は、貧しい人々と違って裕福だったので、
神の自動販売機を巡って争いや奪い合いなどは起こらなかった。
人々は必要な時だけ神の自動販売機に頼り、
希少な参考書を望んだり、忙しい時には栄養剤を望んだり、
勉強熱心な人々は混雑や争いをせず、神の自動販売機の恩恵を享受していた。
しかし、勉強熱心な人々は、
神の自動販売機から与えられるだけの生活を望まなかった。
ある時、人々は、神の自動販売機の中がどうなっているのか、
調べようと思い立った。
だが、どんな工具を使っても、
神の自動販売機は分解したり中を覗き見ることはできなかった。
だから、勉強熱心な人々は、神の自動販売機に願った。
どうか神の自動販売機を分解できる工具をお与えください、と。
すると、神の自動販売機は、人々の選んだ通りに工具を与えた。
その工具は今までに見たことがない色形をしていて、
人々はやっと神の自動販売機を分解することができた。
望むものを何でも与える神の自動販売機。
その中身は、複雑怪奇な模様が刻まれた石や、
綺麗な色の砂や水が入っているだけで、
人々には到底その仕組みを理解することはできなかった。
やはり神の業を人間が理解するのは無理なのだ。
人々は諦めて神の自動販売機を元通りに組み立て直した。
しかし、一度人の手で分解された神の自動販売機は、もう二度と動くことはなく、
勉強熱心な人々は、神の自動販売機の恩恵を受けることは、
もうできなくなってしまった。
地球の南の方にあるその島には、仲良しな人々が暮らしていた。
人々は本当に仲良しで、争い合うことを知らず、いつも一緒にいた。
仲良しな人々は、自然に恵まれ、穏やかな生活を送っていた。
そんな静かな場所にも、天から神の自動販売機が降り立った。
仲良しな人々は、突然の来訪者に驚き、しかし落ち着きをもって対応した。
神の自動販売機の恩恵がわかってもなお、奪い合うことも争い合うこともなく、
仲良しな人々は、お互いに譲り合い、節度をもって神の自動販売機を使った。
神の自動販売機から受け取るのは必要最低限のものだけ。
島では貴重な薬品を望んだり、子供の教育に役立つものを望んだり。
いつもみんなで一緒にいられるように。今の生活を壊さないように。
仲良しな人々は、貧しい人々のように争いや奪い合いをせず、
勉強熱心な人々のように神の自動販売機の秘密を暴こうとはせず、
ただ静かに穏やかに、ささやかな恩恵を受けることに満足していた。
何の問題も無い生活。とはいえ、どんなささやかな問題も無いわけでもない。
この島の人々は仲が良すぎるために、一人でいることができない。
いつも何をするにも傍らには誰かがいる。
それはありがたくもあり、時に煩わしいと感じることもある。
ある時、ある人が、何の気無しに、神の自動販売機のボタンを押した。
一人になりたい。その人が押したのは、それといくつかのボタン。
すると神の自動販売機からは、ゴトリと大きな金属の塊のようなものが出てきた。
ずんぐりとして、見た目よりもずっしりと重いその塊には、
何かのスイッチが付いていた。
手にした人は意味もわからず、そのスイッチを押してしまった。
すると、金属の塊が俄に震え出し、地響きのような音がしたかと思うと、
目の前が真っ白な光に包まれた。
強烈な光は熱を帯びて広がり、町を飲み込み、海を飲み込み、
地球を覆っていった。
光に飲まれた人も物も地球までもが、膨大な熱と光に姿を変えて消えていった。
ボタンを押した人は、消える瞬間、一人になることができたのだった。
そうして、神が下界にもたらした3つの神の自動販売機は、
人の手によって失われたのだった。
一部始終を見ていた神は、凝った肩を揉みながら首を傾げた。
「私は人間の努力に報いようとしただけだったのに、
それが返って人間を消し去ることになってしまった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
人間に必要なものは何だったのだろう。」
何を間違えたのかわからない。
人間には何が必要だったのだろう。
神たる自分に必要なものは何なのだろう。
全知全能といわれる神をもってしても、その疑問の答えは出なかった。
「・・・しようがない。私もあれを使うか。」
よっこいしょと神は立ち上がった。
豪奢な宮殿の奥、神の行く先からは神々しい輝きが溢れている。
そこには、あの神の自動販売機があった。
神は、神の自動販売機を前に、指をうろうろと悩ませてから、
人間。地球。しあわせ。というボタンを押した。
ブー、ゴトン。
すると、神の自動販売機からは、青くて丸い地球が転がり出てきた。
結果、この世には、
神も神の自動販売機も存在しない、
見慣れた地球と人間が生み出されたのだった。
終わり。
自動販売機は便利で、飲み物以外でも常日頃お世話になっています。
売り物が色々あると目移りしてしまって、選べなくなることもしばしば。
それならいっそ必要としているものを自動販売機の方が選んでくれたら良いのに。
そうして神の自動販売機が存在する世界を想像してみることにしました。
施しはありがたいけれど、施しが原因で問題も起こってしまうもの。
施しはするのもされるのも本当に大変なものだと感じます。
作中の神は結果として、神の施しなど無い世界以上のものを見出せませんでした。
お読み頂きありがとうございました。