表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

きっと幸せに暮らしてますわ

作者: 猫宮蒼



 アイリーン・ロベンストン伯爵令嬢には婚約者がいた。

 貴族たちが十五歳から十八歳までの三年間通う事になる寄宿学校にいる、一つ年上の侯爵家の令息ロベルト・グランセーヌである。

 今まではお互いがお互いの領地で暮らしていたので顔を合わせる機会はほとんどなかったが、同じ学校に通うようになったのだ。少しでも仲を縮めたい。アイリーンとしてはそう思っていた。だが、ロベルトはそうは思わなかったらしい。


 寄宿学校は基本的に寮生活で男女が分かれているのは言うまでもないが、異性を寮に入れるのは禁じられている。だからこそ会うのであれば授業合間の休憩時間か、昼の休憩時間、放課後の限られた時間であろうか。

 学校に入学したばかりで慣れない生活だった時はアイリーンもロベルトに会いに行く余裕はなかったけれど、それでも手紙を出したりして交流を図ろうとはしていたのだ。


 ロベルトからの手紙の返事は五通に一度返ってくればいい方だった。しかも返ってきた手紙の内容はそっけないもので。


 アイリーンはロベルト様に好かれていないのかしらね……と自嘲するように笑みを浮かべたのである。


 貴族の令嬢・令息たちが通う学校で当然制服も存在しているので、男爵家の人間だろうと侯爵家の人間だろうと、着ているものだけで身分がわかる、というわけではない。とはいえ、洗練された所作などで身分の上下はなんとなく察する事ができるといったところだろうか。

 その中で、アイリーンは学校の中でとても目立つ存在であった。


 美貌が、とかそういう話ではない。


 彼女は己の顔が見えないようヴェールを被っているのである。

 学校の規則として授業には制服着用で臨む事、と記されているので制服さえ着ていれば髪をリボンで結わえようが婚約者から贈られた豪華な髪飾りを使おうが別に問題はない。

 アイリーンはかすかに口元が見えるが顔の上半分は完全に見えないヴェールを被っているが、これも特に校則違反というわけでもない。だがしかし、そのように己の顔をすっぽりと隠すような令嬢はアイリーン以外いなかったので、そのせいで目立っていた。


 アイリーンが素顔を見せる事は一切なかった。

 面白半分でヴェールを捲ろうと考えた者もいたようだが、身分が上の令嬢がそのような悪戯をする事はなかったし、身分が下の令嬢がそんなことをして不興を買えば学校を卒業した後が恐ろしい。

 令息に至っては下手に令嬢に触れた場合、最悪令嬢を襲おうとした不届きものとなるかもしれない。


 エスコートするなら問題ないが、嫌がる令嬢のヴェールを無理矢理剥がすような真似はエスコートとは到底言えないのでその場合は非力な女を襲う卑劣な存在と見なされたとて文句は言えないのだ。

 学生のうちならそこまで大きな事件にならないかもしれない。だが、それでも学生のうちの醜聞が学生でなくなった後、綺麗さっぱりなくなるわけでもない。

 マトモに教育されている以上、下手な事はしない。だからこそ、ヴェールについて異様な雰囲気を感じていたとはいえ、生徒たちはそれに触れる事はなかったのである。


 ちなみに教師たちはアイリーンがヴェールで顔を隠している事情を知っている者もいたので、何も言わなかった。というか、教師だけではなくある程度の年齢の貴族たちはアイリーンの家の事情を知っていたので自分の娘や息子たちにもそれとなく、彼女のヴェールに触れてはならないと伝えていたのだ。


 詳しい事情はわからずとも、親にそう言われているのだ。家には家の事情がある。そういうものかと思って深入りはしなかった。案外賢明な判断である。


 だがしかし、婚約者であるロベルトは納得がいかなかった。

 何せ婚約者の素顔を今の今まで一度も見た事がないのだ。


 素顔を見る事ができるのは、結婚式で誓いのキスをする時だと言われていた。

 納得できるはずがない。

 家同士の繋がり、まぁ政略結婚である以上選り好みできるわけじゃないのは仕方ないとはいえ、それにしたって結婚相手が身近にいるのに素顔を将来の夫に見せる事もないとか、ロベルトには納得できなかったのである。

 婚約が決まった当初、何とかしてヴェールの下の素顔を見ようと試みた事があったけれど、アイリーンはそれらをすっと躱してマトモな触れ合いもなかった。それもまた、ロベルトにとっては不満であったのだ。


 絶世の美女であれとは言わない。だが、そうまでして隠す素顔とはなんだ。

 絶世の醜女だったら流石に愛せる自信がない。勿体ぶって隠してた割に顔はまぁ普通だな、くらいであればどうにかなると思う。

 だが、世界でもトップクラスを争うようなブスであったなら。

 誓いのキスをする時にそれが明かされてみろ。キスできる気がしない。ブスならブスでせめて事前の心構えが欲しかった。


 ブスと決めつけるのも失礼な話であるが、それでも結婚する相手の顔を結婚式まで拝めないというのは、ロベルトにとってとにかく納得いくものではなかったのだ。両親に文句も言った。けれど両親は取り合ってくれなかった。結婚したら嫌でも毎日顔を見る事ができるようになる、そう言われた。

 違う、そうじゃない。今、事前に見ておきたいんだ! その叫びはあっさりとスルーされた。


 ロベルトにとってそれが面白くなかったのは言うまでもない。


 何をどう言っても頑なに顔を見せてくれない婚約者。

 息子の訴えをマトモに取りあってくれない両親。


 それらに反発するように、ロベルトは他の女と仲を深めるようになった。

 勿論最初は当てつけの意味も含まれていた。

 けれど、アイリーンがロベルトに素顔を見せてくれる事は一度としてなかった。


 それで余計にムキになって、ロベルトはアイリーンと距離を置くかのように、他の女と共にいるようになったのである。


 最初の頃は当てつけで、ちょっと嫉妬させたいから協力してほしいという話を持ち掛けていたので相手の令嬢も分かった上でちょっとだけ協力しただけであった。

 男爵令嬢や子爵令嬢はロベルトとちょっと一緒にいるところをアイリーンにちらっと見せて、その後でバイト代としてちょっとした贈り物をもらっていた。

 この時点でロベルトにのめり込んだ令嬢はいなかった。事前に話をしているので、お互いに割り切っている。


 だがそれでもアイリーンの態度に一切の変化がないとなった後、ロベルトの行動は更にエスカレートした。

 ちょっとしたバイト程度だった令嬢たちも流石にそこまでやるのは……と躊躇って、気付いた時にはロベルトの事を本気で狙っている令嬢が彼の傍にいるようになったのである。


 ラミィ・クロレス伯爵令嬢。

 彼女はロベルトの領地から離れたところが出身だったので、ロベルトの事を知ったのは学校に入学してからだった。社交の場で出会う機会も今までなかったし、そもそも大きなパーティーに参加するのは基本的にデビュタントを済ませてからだとか、学校を卒業した後、つまり成人を迎えてからだ。


 それ以前は基本的に自分たちの身近な派閥との交流程度しかない。

 近しい部分で婚約者を早いうちに決める家もあるけれど、ラミィの家はそうではなかった。

 学校は出会いの場でもある。恋人に限った話じゃないが、人脈を広げるにはうってつけの場である。

 そこで、ラミィは少しでも素敵な男性とお近づきになり結婚できればなと思っていた。


 最初は婚約者がいる男性であるという事でロベルトの事は諦めていた。

 初めて見た時に自分の中で光が降り注いだような感覚に見舞われて、世界全てに祝福されたかのような気がしたとはいえ、相手がいるのだ。そんな相手に近づくのは淑女としてよろしくない。


 けれどもロベルトはアイリーンの事を好きだというわけでもなさそうだし、家同士の繋がりでの婚約とはいえ、解消したとしても特に問題なさそうでもあった。

 むしろロベルトの家を調べてみれば、自分と結婚した方が将来的に良いのではないか? と思えたのだ。

 ロベルトの領地は糸や布といったものを生産していて、ラミィの領地では織物産業が盛んであった。領地は少し離れているが、アイリーンの家とくっつくよりも我が家と縁を結んだ方が将来的にも良いのではないか。ラミィにはそれがとても名案に思えていた。


 であれば、と最初はロベルトの協力者の振りをして近づいて、そうして少しずつ距離を縮めていった。

 ロベルトも自分とロクに触れ合うつもりもない女より、身近にいて己を好いている女に心が傾いていった。


 将来的にアイリーンと結婚するよりも、いっそラミィと結婚した方が確かに家同士という点ではよいな、とロベルトも思うようになり、家のためというならラミィと結ばれるべきだろうと思うようになっていた。

 ラミィの家が伯爵家ではなく子爵家や男爵家であったなら家格が、と難色を示されたかもしれないが、アイリーンと同じく伯爵家の令嬢だ。婚約者が変わる事にそう大した問題はないだろう。ロベルトはそう考えていた。



 夕焼けがやけに綺麗な日であった。

 サロンの一つにロベルトはアイリーンを呼び出していた。そこにはラミィもいる。

 市井に出回る恋愛小説では真実の愛を見つけただとかのたまって婚約破棄を大勢の前で突きつけるなんて話があるようだが、ロベルトは別にアイリーンを糾弾したいわけではなかった。

 ただ、穏便に話し合いをしてそうしてこの婚約に関して終わらせようと思っただけだ。

 そこにラミィがいたのは、まぁちょっと見せつける意味も含まれていたが別に二人でアイリーンを罵ろうと思ったわけでもない。


 ロベルトとラミィが二人寄り添うようにして、アイリーンと向かい合っていた。



「それで、お話とは?」


 単刀直入とばかりにアイリーンは切り出した。


「あぁ、その、婚約を解消したい」

「……婚約は両家での取り決めです。私に言われても私の一存では決められません。両親に手紙を出しはしますが、婚約解消できるかどうかまでは」



 アイリーンのその言葉を予想しなかったわけじゃない。ロベルトはしかし、自分でもわからないくらいに苛立ってしまっていた。こちらが歩み寄ろうとしてもやんわり躱し、本人的には向こうも歩み寄っているつもりなのかもしれないが、あんなのを歩み寄りとは到底言えるとロベルトは思ってもいなかった。手紙のやりとりを続けようにも、面白みのない話。直接会っても指一本まともに触れ合おうとしない女。

 別に、婚前交渉がしたいとか言うつもりはない。貴族としてそこら辺は弁えている。いるのだが、しかし……下手に近づいたらそのままヴェールを捲られるとでも思っているのか、常に一定の距離を保っていた。


 それで仲を深めろとは、一体何の冗談だとさえ思う。


 挙句婚約解消についての話をしても一切取り乱す様子もない。

 お前など何とも思っていないのだ、と言われているようで癪に障った。


「ふ、婚約解消はできるだろうさ。少なくともきみの家とラミィの家となら、うちはラミィの家と縁を繋いだ方が間違いなく繁栄できるのだから。

 両親だって考え直して間違いなくこの婚約は無かったことになる」


 故に、まだ決定してもいないうちからロベルトは強気にそう言い放った。


「だからこそ、きみも精々次の婚約者を決めたほうがいい。ま、その顔じゃあ次の婚約者は年の離れた男の後妻が関の山かもしれないけどね」

「まぁ、ロベルトったら言い過ぎよ」


 アイリーンの顔を見た事はない。ない、がどうせ晒せないなら醜女なのだろうとロベルトは決めつけた。そしてその隣にいるラミィもロベルトを窘めるかのような言い方をしているが、その声音には嘲りが含まれている。

 ラミィは明らかに勝ち誇ったかのような表情をアイリーンへ向けた。


 厚ぼったいヴェールで顔を隠した女。

 目立っているけどその目立ち方は悪い方にしか目立っていない。

 彼女に面と向かって言う者はいないが、それでも見えないところでは顔も晒せないブサイクだと囁かれている。誰もその素顔を見た事がないのに、そうであると決めつけて。


「そんなに仰るなら、見せてあげましょうか」

「え?」

「は?」


 くすくすと嘲りが含まれた笑いが二人分、一室にさざめくもその笑いはアイリーンの言葉によって中断された。


 今まで頑なにヴェールを上げようとしなかった女が、その顔を見せてやると言っている。

 何故今更。

 今更、婚約解消が惜しくなったとでも言うのか?

 ロベルトはそんな風に思いながらも、だが折角の機会だと思って、

「見せられる顔だというのなら、是非ともお目にかかりたいものだね。ま、どうせラミィの美しさにはかなわないだろうけど」

「やだ、ロベルトったら」


 きゃっと身体をくねらせて照れた仕草をするラミィも、しかしその顔を見せるというのなら、としかとアイリーンへ視線を向ける。こうまでして今まで勿体ぶって見せなかった顔が見れるのだ。

 見て、それで大したことがなければ次の茶会で盛大に話題にして笑いものにでもしてやろう。そんな風にラミィは思っていた。


 止める様子もない事で、アイリーンはそのままヴェールに手をかけて上へとずらしていく。口元程度しか見えなかったその顔は、鼻から徐々に見える範囲が広がっていきそうして――


「え」

「あ」


 二人は確かにアイリーンの素顔を見たのである。





 ――さてその数日後。

 学校ではとある男女が駆け落ちしたのだという噂が流れていた。

 駆け落ちしたと言われているのは、ロベルトとラミィである。


 最後に会ったアイリーンはというと、婚約の解消を求められましたと証言こそしたがその後二人がどこへ行ったかまでは知らないと証言した。

 婚約の解消を求められ、二人に散々な言葉を投げかけられてアイリーンは早々に立ち去ったのだと言えば、周囲の人間はアイリーンを気の毒なものを見る目を向けたがそれ以上深く聞いてはこなかった。


 ラミィもロベルトも寮に戻って来た様子はなく、また荷物もそのままであったけれど学校の敷地の中をどれだけ探してもその姿は見つからず、また学校の外を捜索しても二人を見たという目撃者がいない。

 ロクな荷物も持たないで一体どこへ行ったのかと思うけれど、しかし誰の目にも見つからないと言う事はきっと事前にそれなりの準備をしていたのだろう。


 婚約の解消。だがしかし、きっと新たにラミィとの事を認めてもらえないかもしれないと思い込んだロベルトが、ラミィを連れて駆け落ちしたのだという噂はさも真実のように学校内に広まった。


 二人を見る事がなくなって数日経過したが、一向に情報が入ってこないという事は、それだけ入念に準備してあったのだろう。

 ロベルトの家の人間が探しても、ラミィの家が伝手を使い手広く情報を求めても、二人を見たという情報は一切入ってこなかった。


 勿論、二人の姿があまりにもどこにもなさすぎてアイリーンが二人に何かをしたのではないか、という疑いを持つ者もいた。

 だがしかし、アイリーンは二人より先に呼び出されたサロンを出て、そうして戻る途中で学校内に迷い込んでいた動物を発見し教師にそれらを報告してから寮へ戻り、そこで婚約の解消を求められたという旨を記した手紙を書きあげ家に出してほしいと寮母へ渡している。


 仮にアイリーンが怒りのあまりに二人を害したとしよう。

 そうなれば死体を処理しなければならないのだが、迷い込んだ動物を連れて教師に会いに行ったりするのは悪手であろう。事前にその動物を学校内に入れたのがアイリーンだったとしても、それをする意味がわからない。動物など、上手く調教されていればともかくそうでなければ思い通りに動いてくれる事の方が稀だ。


 その後動物を教師に預け、寮へ戻り手紙を書く――のを仮に事前に書き上げてあったとしても、手紙を出すために寮母に手渡しにいった後は速やかに部屋に戻っている。


 二人を仮に殺したとして死体の処理にかかる時間が、アイリーンにはないのだ。


 魔法を使えば、あるいは実行できたかもしれない。貴族の中には魔法を扱える者がいる。だが、アイリーンは魔力を持ち合わせていても魔法が使える程ではない、と教会で把握されているし両親も娘が魔法を使えるという事実は無いと証言している。

 疑いを一瞬とはいえ向けられたが、調べたところでアイリーンが二人を殺すのは難しいという結論に至っただけであった。


 ロベルトの両親はロベルト失踪の報せを受けて、バカ息子が……と頭を抱えた。


 婚約の解消をもし反対されたらと思った結果の駆け落ちだという噂を聞いて、どうしてそんな風に思いつめたのだと嘆いた。

 ラミィの家は確かに領地的に離れているが、事業提携を結ぶ事にそこまでの不便はない。家の事を考えたなら、確かにラミィと結ばれた方がよい、とは両親も思ったのだ。

 もっと早くに、それこそアイリーンよりも先にラミィと出会っていたなら間違いなくそちらと婚約を結んでいただろう。

 だからこそ両親は何も言わず失踪したロベルトへなんて馬鹿な事を……と嘆いたのである。

 怒ってはいない。だから戻ってこれるなら戻ってこい、そう彼らを探す者たちに見つけたら伝えるようにとも告げた。だがしかし、二人の行方は杳として知れぬままだったのである……



 さて、そうしているうちにアイリーンは学校を卒業した。

 婚約は解消されたので、結婚相手を新たに決めなければならなかったがアイリーンに同情的だったとある男爵家の令息をこれ幸いとアイリーンは次なる相手として選んだ。どのみち家を継ぐのに婿を求めていたので令息が婿入りしてくれるなら問題なしと判断した結果である。

 勿論婿としてやって来た彼には学ぶべきことが沢山あるが、こんな顔もロクに晒せぬ女に良くしてくれるようなお人好しは思った以上に勤勉であった。将来的に家から出てどうにか生計を立てねばならなかった令息は、顔が見えずともアイリーンに学校にいた時に何度か助けてもらったこともありそれ故好感を抱いていたに過ぎない。だが、思った以上に二人の仲は良好であった。



 学校を卒業し、そうして成人した年に二人は結婚した。

 顔を見ないままの結婚式に令息の家族は少々不安を抱いていたが、いざ式で二人が誓いのキスをするとなったその時、純白のヴェールを持ち上げ目を閉じたままの新婦へ口づけをした令息は初めて彼女の素顔を見たのである。


 学校にいた時に陰で言われていたような、醜い女ではなかった。

 ロベルトが選んだとされるラミィよりも美しいと言えるほどの美女が、そこにいた。

 顔なんてどうでもいいと思っていた新郎は、元々アイリーンの人柄に惹かれていたがここで再び彼女に恋をしたのである。



 ロベンストン家には代々おかしな風習がある。

 それはその家で生まれた女子は成人し結婚するその時まで顔を晒してはならぬというものであった。

 何故なのか、という理由は周囲に伝えられたことはない。だが、ロベンストン家はその教えを頑なに守り続けていた。何代も、何代も……

 どうしてそうなのか、というのをわからぬままにただその教えを実行しているのではないか? と揶揄する家もあったけれど、顔を晒さないのは結婚までで、その後結婚した女性は普通に顔を晒している。

 まぁ、何か変わった成人の儀とかそういうやつなんだろう、と他の家はそこまで口を出すものでもあるまいと一応あの家はああいうやつだから……という程度には周知していた。


 王家の腕白王子あたりが王家の命令だとかで無理矢理顔を見ようとした事もあったようだが、それは寸前で王妃に止められ王子は大層こっぴどく叱られた、という逸話もあった。

 まぁ結婚したらその後は顔を普通に見れるのだから、それ以前にとやかく言うものでもなかろう、と触らぬ神に祟りなしとばかりに貴族たちはスルーを決め込んだのである。

 他にも変わった風習を持つ家はいくつかあったので、それらをいちいち突っ込んでいては痛くもない腹を無理矢理探り合う結果にもなりかねない。貴族社会における暗黙の了解の一つとして、彼らは受け流す事にしていた。



 さて、真相を語ろう。


 あの日、アイリーンが語った証言には嘘が含まれている。

 婚約の解消を求められたのは本当である。

 そしてその後何事もなかったかのようにサロンを出て迷い込んだ動物を教師に引き渡したと言っていたが、実のところ動物は迷い込んだわけではない。

 メェメェと鳴くヤギが二匹。いや、二頭というべきだろうか? まぁアイリーンはそこら辺はどうでもよい事かと思いながらも、二匹のヤギを連れてもしかしたら近くの牧場から逃げてきたのかも、と教師に引き渡した。

 まさか二匹もヤギが学校内に迷い込んで来るとは思わなかった教師も驚きつつも、とりあえず近所の牧場――といってもかなりの距離がある――へ連絡を入れ、ヤギが逃げていないか確認した。

 結果としてヤギはその牧場のヤギではなかったが、それ以外のところからやって来たとしても一体どこから……となり、ヤギは最終的にその牧場で引き取ってもらう事になった。学校内で野放しにするにしても、ヤギを育てる環境ではないのだ。生徒たちが面倒を見るとかであればまだしも、平民ならまだしも貴族の令嬢令息たちがヤギと関わる機会はそう滅多にない。勿論領地で育てた事がある、という者も中にはいるが、だからといって彼らに世話を押し付けるわけにもいかない。そのせいで他の勉学に割ける時間が減っては本末転倒だからだ。


 なのでそのヤギは牧場で引き取ってもらい、一定期間ヤギの飼い主を教師たちも探す手伝いをしたが結局どこのヤギとも知れず、最終的にそのヤギは牧場で育てる事となった。


 このヤギこそが、ロベルトとラミィである。


 サロンを出た後二人には会っていないどころか、教師に引き渡したヤギこそが駆け落ちしたとされている二人だ。


 アイリーンがヴェールを被っていたのには、勿論理由がある。

 ロベンストン家には代々魔女の呪いがかけられていた。女性にだけ発動するその呪いは、目に表れた。

 人と目を合わせる事で発動する呪い。呪われし目。魔眼、と一族は密かに呼んでいた。

 とはいえ、呪いは常に同じものではない。

 ある時の女性は目を合わせたら相手を魅了する事もあったというし、また別の代の女性は目を合わせたらその後しばらく机の脚に小指を殴打する事態に見舞われる呪いであったらしい。目を合わせた相手が酷い目に遭うとはいえ、命まで失う事はなかったために、そこまで大っぴらに知られる事はなかった。

 ただ、魔女に呪われているという事実は家の中で代々伝えられてきたのだ。


 実際には呪いというより魔女なりの祝福のようなのだが、いかんせん相手は人の形をしているとはいえ人外である魔女。彼女なりの祝福は人からすると呪いであった。


 だがしかし、その呪いが解ける条件は勿論存在する。

 成人し、結婚し、誓いのキスをした時点。

 それが呪いが解ける瞬間である。

 誓いのキスをする時は花嫁は目を瞑っていればいい。そうしてキスされた後で目を開ければ、晴れて呪いとはおさらばなのである。それ以降はうっかり誰かと目を合わせないようにとヴェールを被る必要もないし、仮に結婚相手と離縁する事になってもまた呪いが発動する事もない。

 とりあえず結婚して誓いのキスさえされてしまえばこちらのものである。


 まぁ、歴代の女性の中にはその呪いを有効活用しようとして独身を貫いた者もいたようだが……



 アイリーンの目にかけられた呪いは、目を合わせた者がヤギに変わるというものだった。

 うっかり目を合わせても例えば相手のしゃっくりがとまらなくなるだとか、椅子の背に肘をぶつけてビリビリした痛みに悶える事になるだとかのちょっとした呪いならアイリーンもそこまで気にせず顔を見せてもいいかと思っていたけれど、流石にヤギになるというのはまぁいっかで済ませられるはずもない。

 呪いが目に出始めるのは生まれた直後ではなく大体五歳くらいになってからだ。成人が十八歳なので、呪いが出てから最短で解けるまで十三年。

 その間にうっかりでヤギを増やすわけにもいかない。

 たまたまアイリーンが何の呪いを受けてしまっているのかを知ったのは、家に泥棒が入ろうとしていた時だった。その泥棒と目が合った途端、侵入しようとしていた男はヤギへと姿を変えたのだ。使用人だとかが被害に遭わずに済んでよかったと言える事例だった。


 目を合わさなければ問題ないのだが、焦点をずらしていたとしても何かの拍子に目が合う者がいないとも限らない。アイリーンは己の呪いについての恐ろしさを充分理解していたし、だからこそ分厚いヴェールでしっかりと誰とも目を合わさないようにしていた。


 ちなみに、呪いを解く力はアイリーン達一族には備わっていない。

 魔女とは正反対の聖女に祝福された一族の目には解呪の力が宿っていると言われているが、今の今までそういった一族がいると話に聞いた事はなかった。

 あくまで伝承の中の話である。


 というのも、まずアイリーン達の魔女の呪いによる魔眼の呪いは効果が割とすぐに出るもので、しかも大半はその効果も長く続くものではない。魅了された者も一晩経てばもとに戻っていたし、何度も続けて目を合わせ続けていれば被害は深刻になっていたかもしれないが、そこまでした者はいなかった。

 それ以外の呪いだって、例えばうっかり足をぶつけるだとか、思った以上に大きなくしゃみが出るだとかの、効果が割とすぐに出るけどその効果も一瞬で終わる、というものばかりだったのだ。

 相反する目を持つ者がいたとして、余程上手くタイミングを計って目を合わさないと呪いの効果を防ぎようもない。


 ただ、アイリーンの目の呪いは一族の中でかなり強いものだったようで、かつてヤギに変えられた泥棒は結局ヤギのままその人生を終えた。

 つまりロベルトたちも解呪の目を持つとされる者と目を合わさない限り、人に戻れる事がない。


 アイリーンは二人の目を見ればもう二人が戻れないとわかっていて、それでもあえてあの時ヴェールを上げてみせた。婚約破棄ではなく解消を申し出たのはいいけれど、人の素顔を見た事もないくせにブスと決めつけ、更には馬鹿にするように嘲られたのだ。アイリーンにだって思う部分は一杯ある。

 何かの拍子に間違って顔を晒して目が合うような事になれば、ロベルトがヤギになってしまうから。だからなるべく距離をとって絶対安全と言える距離感で接してきたのに。

 目を合わせたらヤギになるから、なんて話をして一体誰が信じるというのだ。

 試しにやってみせてよ、とか言われて実行しても、元に戻せないのだから下手な犠牲を出す事がないように事情もマトモに説明できない。というか、仮に説明したとして一族に出る呪いが毎回ヤギに変えるやつだと思われるのも困る。呪いの効果はランダムなので。

 それにヤギに変える呪いは使い方によっては政敵とか邪魔な人間を処分するのにとても悪用しやすい。

 それもあって、アイリーンは家族からもきつく言い聞かされていたのだ。


 けれどこちらの事情をちらっとでも想像する事なく一方的に馬鹿にしてくるような相手にまで、アイリーンは優しくしてやろうなんて思う程優しい人間ではなかった。

 普通の婚約解消を求める話であればまだよかったけれど、あの後の態度がいただけない。


 大体今まで他の女と近い距離でこっちに見せつけるようにしていた事もあったのだ。浮気認定してそっち有責の破棄として騒ぎ立てても良かったと思っている。


 まぁそうなると、婚約破棄した後こっちも傷物みたいな目を向けられるからそれは自重したのだけれど。

 そんな事より見たいなら見せてやろうじゃない呪いの目を! とばかりに目を合わせた。

 もしかしたら後悔するだろうか、と思ったけれど困った事にこれっぽっちも後悔なんてしなかった。

 あったはずの愛情は、気付かないうちにすっかり消え失せてしまっていたようだ。


 何も知らないロベルトの両親やラミィの家族にはちょっと申し訳ないかな、と思わないでもないけれど便りがないのは元気な証だと思ってもらいたい。世の中には知らないままの方が幸せな事っていくらでもあるので。


 何故って、仮に呪いの事が明るみに出たとしてももうアイリーンの目には呪いの力はないから実証できないし、仮に聖女の力を宿した目を持つ者がいたとしても。


 牧場に預けられた二人のヤギは、とっくに商品として出荷されてしまったので。

 きっと今頃誰かの胃の中、どころか消化されて大地に還っているのだから。


 知らないままの方が、皆幸せなのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
何という、エグイ能力の魔眼 しかも、山羊を食べる食習慣があるんですね……ある意味、それってカニバリズムでは 先ほど、散歩中に農園の山羊を愛でてきたんですが…ナントモ
[良い点] 山羊さん!! “動物が迷い込んだ”から、犬猫豚牛辺りかと思ったら、山羊さん!シリアスさんが泣いてませんか?大笑いです! 人の話を聞かない奴、信じない奴、利用する奴、決まり文句が「証拠を見せ…
[良い点] あー、出荷されちゃったんですね、ヤギさんたち…美味しいジンギスカンになったかなぁ。 実はめちゃくちゃ美女だった、とか目を合わせたら魔物やら何かに変化するのかな?と予想していましたら、まさ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ