063話ヨイカ? なんでここに弟君が!?
なんで、こうなったんだろう。
わたし ── チリー=ペスヌドラは、自問する。
風が強くて、立っていることさえ、やっとだ。
玄関に戻るための、ほんの数歩が永遠のように遠い。
「何かあった時は、迂闊に外に出てはいけないよ。
家の中以上に安全な場所はないんだから」
パパの、何度も聞かされた言葉が、脳裏によみがえる。
── だって、小さい子達が、危ないと思ったんだもん……
必死に身体を傾け、手を伸ばしても、玄関のドアには届かない。
身体を引っ張る力が強くて、一歩も前に進めない。
視線を横にして、台所の窓を見ると、ママの顔。
轟音に驚き、料理する手を休めて。
そして、こちらを見て。
ビックリして、思わず窓から身を乗り出して。
そんなママに、助けて、と声にならない声で叫んで ──
── 一瞬で視界がブレた。
▲ ▽ ▲ ▽
思わず身体を丸めていた。
わたしだって、武門の子だ。
身を守る術くらい叩き込まれている。
だから、ちょっと石の欠片が、身体のあちこちに当たったくらいじゃ、悲鳴を上げたりしない。
だけど、目を開けて、ゾッとした。
「── ひぃ……っ!?」
昔、シェーキ姉さんが輝士養成校入りした年に、特帯を見送りするため城壁の上に登って見た光景。
高いところから見下ろす街並み。
それが、斜めに傾いた世界。
人が、家が、馬車が、あんなにも小さい。
「……お、落ちるぅっ」
急に襲ってくる、落下感。
内臓が持ち上がるような、イヤな感覚。
── 墜落死。
そんな、恐ろしげな言葉が頭をよぎる。
親友と良く貸し借りする外国の物語には、その無残な顛末も詳細に描かれていた。
でも、そんなヒドい目にあうのは、決まって女主人公をイジメていた悪役令嬢のはずで。
何の罪もない、何の面白みもなくらいの、普通の一般人な自分には関係ないはずで。
そんな、理不尽な事が、なんでわたしの身に!?
「し、死にたくないようぉ……っ」
恐怖に染まる脳裏に、ふと昔の出来事が浮かんでくる。
── スー、落ち着いて!
── 相手は怪我人なのよっ
── もう、スーチリアったら!
── だってチリー、コイツ、このバカ、夜中に家を抜け出してっ
── それで、屋上から飛び降りて遊んでるとか、本当にバカなのよ!
── 打ち所が悪かったら、死んでたかもしれないのにぃっ
隣の子の、大けが。
一歩間違えれば、死ぬほどの重傷。
家の屋上だってそうなんだから、それよりはるかに高い所から落ちたら、果たしてどうなるか。
「── こんなところから落ちて死ぬなんて、ヤダよぉっ
ぐしゃぐしゃになるなんて、やだよぉっ」
いつの間にか、頭から真っ逆さまに落ちている。
見上げる地上が、すさまじい勢いで迫ってくる。
「誰かぁ! 神様ぁ! ママぁ! パパぁ! お姉ちゃん!
── 誰か助けてぇっ!」
もはやパニックだ。
じたばたと、両手両脚を動かす。
そんな事をしても、空中では意味なんてないのに。
── だが、そこに。
「── 俺がいま助ける!
だから、動くな、マッシュの姉ちゃん!」
家族と同じくらい、馴染みのある声が聞こえてきた。
▲ ▽ ▲ ▽
その声が聞こえてきた、途端。
わたしの身体に、何かロープというか帯みたいな物がグルグルと巻き付いた。
同時に、ぐいっと、横に引っ張られる。
思わず歯を食いしばってなければ、舌を噛んだかもしれないくらい、すごい力だった。
抱きしめられたのは、思いがけず厚い胸板。
同時に、嗅ぎ慣れた、汗の臭い。
日常の、匂い。
「あぁ…………っ」
急に、ほっとする。
ウソでも幻でもいい。
今は恐怖を忘れて、この当たり前の毎日の、ありふれた物にすがりつきたい。
そして、今の状況が夢だと思いたい。
── 汗臭いのよ、あんた達ぃ!
そう言ってホースで水をぶっかけると、喜んで半裸になり水を浴びに来る、バカ弟の親友。
何かとお騒がせな、近所のガキンチョ。
親友スーチリアに、心配ばかりかけている、その弟。
「マッシュの姉ちゃん、大丈夫か!」
「うんっ」
子どもだとばかり思っていた腕が、思いがけずに逞しい。
強く抱きしめられるだけで、ほっとしてしまうほどに、頼り甲斐がある。
自分や親友の後ろを、ちょこちょこと着いきていたチビが、いつのまにか背丈を追いついている。
ガッチリと骨太で、男の子って感じの熱い身体。
「マッシュの姉ちゃん、俺につかまってろっ」
「はいっ」
スーの弟に、しがみつくように首に腕を回せば、まるで大木のような安心感。
ひょっとしたら、わたしの同級生の男の子よりもずっと、と思ってしまうくらいに頼もしい。
「大丈夫だから!
ちょっと怖いかもしれないけど、絶対ケガとかさせないからっ
俺を信じて!」
「はい、あなたを信じますっ」
身を全て、委ねて、ただ一心に逞しい首にしがみつく。
両脚の膝を掬い上げるように持ち上げられるだけで、何もかも任せてしまえるほどの安心感が湧き上がる。
「今こそ唸れ、俺の減衰術!
── 【絡雲】連続射出!」
それから先は目をつぶっていたから、どうなったのか分からない。
ただ、無事にお隣の家の庭先に、着地していた。
そっと丁寧に地面におろされたわたしは、腰砕けの状態で、立ち上がる事もできない。
ただ、去って行こうとする、命の恩人の背中に、慌てて声をかけた。
「── あの、ちょっと!
キミ、アット君……よね?
親友の弟、くん……ですよね?」
自分で、何を言っているんだ、と思うほどバカバカしい質問。
わたしが、ついさっきまで 『近所のバカガキ』 としか認識していなかった男の子は、肩越しに振り向いて親指を立てる。
「マッシュの姉ちゃん、休んでてっ
俺、ちょっと、みんなを助けてくるっ」
にぃっ、と歯をむき出しにした横顔は、知ってる以上に男の子らしくて。
「うぅ……あぁ……っ」
わたしは、思わず熱い吐息を吐いて、座り込んでしまった。