011話ヨイカ? 彼女のモノローグ
(危うい所、でした……
今なお、わたしの命があるのは、偶然によるものですね)
彼女は、小さくため息をついた。
(まったく、己の未熟さを恥じるばかりです……)
彼女が物思いに耽る時の常として、高所で夜空を仰ぐ。
下界の騒がしさを忘れ、夜風に吹かれる時だけが、その心を慰めてくれる。
▲ ▽ ▲ ▽
辺境城郭オルボンド。
治める領主は、武勲誉れ高き王兄、ダンドラッブ辺境伯。
辺境の名が示すとおり、ここは魔物が跋扈する危険地帯に囲まれた僻地だ。
だがそれも、他国からの諜報が入りにくい事を考えれば、国家機密保持という利点になる。
この都市は、軍事の要所の一つであり、開発拠点としての側面を持つ。
だが、危険で交易の少ない僻地だからといって、他国の諜報員や工作員が全く入り込まない訳でもない。
少女 ── いや、齢6歳の幼子 ── に与えられた任務は、そういった間者の排除だ。
幼い子供に、体格と経験でまさる大人を捕縛、あるいは殺傷するように命令が下ったのだ。
誰が考えても、身に余る任務だ。
だが、断る事など許されない。
例えそれが、遠回しに彼女の死を願うような、謀略の類いであっても、だ。
彼女は、王国の繁栄を影で支えてきた、闇の一族。
その最後のひとり。
唯一の後継者であり、最後の末裔なのだ。
闇の一族とは、彼女の事。
彼女こそが、闇の一族。
彼女は、闇に没して誰にも知られずに生き、困難な任務の中で誇り高く死なねばならない。
祖先たちが、そして両親が、かつてそうしたように。
── それが、闇の一族に残された、最後の矜持。
数十年前に、王国軍に暗部 ── つまり諜報と工作を専門とする特殊部隊 ── が結成されてからの流れだ。
初期の二十年ほどは、闇の一族の教導が必要だった雛たちも、既に独り立ちを果たしている。
闇夜の鷹として、難なく狩りをこなしている。
闇の一族など、既にお払い箱だ。
有力貴族からは、その陰惨なる歴史から、存在自体が疎まれている。
── だから闇の一族には、もはや『矜持』しか残っていないのだから。
▲ ▽ ▲ ▽
黒づくめの格好をした幼子は、自らの境遇を思い返して、決意を新たにした。
そして、闇色の空から、下界に視線を移す。
(しかし、変な子供でした……)
彼女が立つ場所は、3階建ての民家の屋上。
そして見下ろす先には、夜の街を早馬のような速度で駆ける、どこか異常な少年の姿。
(確か、『アット=エセフドラ』でしたか。
一体、何者なんでしょうか……?)
幼いながら、オーラの操作に精通しているのは、間違いない。
そうなれば、真っ当な身の上ではないはずだ。
── 幼い身での、オーラの訓練。
そんな物は、まともな親がする仕打ちではない。
『訓練』を例えるなら、アルコール度数の高い酒を毎日呑ませ続けるようなモノ。
大人であっても苦痛を覚えるし、体質の向かない者なら心身を壊す。
幼い心身には、あまりに危険な行いだ。
『10人のうち、1~2人生き残れば良い』──
── そんな非道な決断ができる者でしか、行わないだろう。
だからこそ、あの子供は真っ当な出自であるはずがない。
彼女は、そう判断した。
どこかの組織に属する暗部の者か、あるいは自分と同類かと疑った。
だが、どちらも外れたようだ。
まず、王国軍の特殊部隊であれば、隊員章がその身に刻まれている。
表世界と決別し、栄誉なき王国の暗部に身命を捧げるという、誓いの入墨だ。
そもそも、特殊部の隊員は、成人した軍人の中から選出される。
幼少の者がいるはすがない。
では、自分自身と同類 ── つまり、『闇を生業とする一族』かといえば、それも違う。
喜怒哀楽が分かりやすすぎる。
ポーカーフェイスなんて出来たもんじゃない。
それに ──
「── 『もう、お前なんか、助けてやらないからな』ですか……」
思い出した言葉を、口の中で繰り返す。
「まるで、助けてくれるのが当然のように、言うのですね……」
彼女は遠くで、『ああ! ヤバイヤバイ』とか、『家が遠い! もれちゃうっ』とか、叫びながら走る男児の背を、目で追う。
── むしろ、こんなに騒がしい暗部の人間がいるなら、逆に見てみたい。
そう思うと、鉄面皮のはずの、彼女の口元が少し緩んだ。
「ふふ……」
となれば、やはり彼は暗部 ── あるいは闇社会 ── とは無縁の人間だと、結論づけられる。
光に溢れた世界を歩く側。
彼女たち、闇の人間から支えられている側の人間。
そして、『そう』と知らず気づかず、影を踏みつけていく、無邪気で無慈悲な人々。
本来は、決して関わり合いになるはずのない人物。
隣り合っていても、こちらを見ることがない、そういう相手。
彼らにとって、自分たちは透明人間も同然。
『そんな者』が居るとは知らぬままに、平凡に一生を終える。
だから、こちらに手を差し伸べてくれるはずもない。
もし、そんな相手が ──
もし、そんな立場の人が、偶然とはいえ、助けてくれたのだとしたら ──
「── 彼が本当に、好意で助けてくれたのなら……
それが本当なら……
少し、酷い態度だったかもしれません……」
丁寧に頭を下げるくらいは ── 彼女が今できる最大級の感謝くらいは ── 示すべきだったのかもしれない。
もしも運が悪ければ、自分と関わり合いになったせいで、今後、彼の心身が脅かされる可能性もある。
彼は、おそらく、そんな危険がある行為とは知らなかっただろう。
だが、偶然にせよ故意にせよ、闇の者に関わるというのはそういう事になるのだ。
そして彼女は、例え恩人が窮地に立たされたとしても、決して手助けなど出来ない。
闇の者は、国家や組織の利益のための存在なのだから、個人の自由など許されない。
── だからこそ、自分たちは『透明人間』でいなければならない。
『普通の人』に関わってはいけない。
── だからこそ、感謝ぐらいはきちんと示すべきだった。
彼女に支払える物は、それぐらいしかないのだから。
「……不義理を、してしまいましたね……」
幼い彼女は、戦闘の興奮や、任務の緊張、そういった物が落ち着き、冷静になった頭でようやくそういう事に思い至った。
そして、慚愧の念といえるほどの、強い後悔を覚える。
他人に対して申し訳ない、という気持ちを生まれてはじめて抱いた。
「先ほどの私の行い、どう思われますか?
お父様、お母様……」
彼女は、吐息を白くしながら。
そっと、星空へと問いかけた。
(更新予告)
では、また明日6時に。
(作者からのお願い)
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