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深夜のコンビニへ向かっていたら化け物に襲われて、謎の美少女に救われたという、極々普通の話

作者: ハの字

 夜に買い物へ行こうとするんじゃなかった。


 極々一般的な男子高校生である彼は、熱中していたソーシャルゲームにつぎ込む軍資金を用意するため、深夜のコンビニへ向かっていた。そして家から五分ほど歩いたとき、財布と携帯電話しか持たずに出かけた自身の迂闊さを呪うことになってしまった。


 月明かりすらもない街灯だけが道を照らす夜道は、現代においても人間の領域ではなかったのだと、思い知らされていた。


「な、なんなんだよ、こいつ……」


 そんな月並みの台詞しか出てこない。いや、言葉を紡げただけでも、まだ肝が据わっている方と言えるかもしれない。少年の数メートル前方にある、背が高い塀で隠れた曲がり角。そこからぬうっと姿を現したそれを見て、尻餅をついて失禁などをしていないのだから。


 大きさは少年の背丈より少し低いくらい。姿形は人間に見える。何なら、黒く長い髪と服装を見れば女子高生だとしか思えなかった。


 特別、恐怖の対象になるような存在ではないはずである。だというのに、その人物の“横顔”を見た直後、少年の顔から血の気が引いた。全身を恐怖で竦ませて、震える口から嗚咽に近い声が漏れる。


(に、逃げなきゃ、逃げなきゃ……!)


 頭の中で、自分がしなければならない行動を何度も反覆する。だが、膝はがくがくと震えるだけで、足の裏を地面から引き剥がすことができない。


 そんな彼に、女子高生らしきものはゆっくりと向き直る。横顔だけ見えていた顔面が、真正面から少年の視界に入る。直後、「ひっ」と情けない声をあげてしまった。


 顔がないだけならば、口が裂けているだけならば、どれだけよかっただろうか、そう思わずにはいられない。そいつの顔には、明らかに有機物ではない部品が引っ付いている。


 両目、鼻、口にあたる部分は、銀色に鈍く光る、衣服や鞄に用いられる金具。ファスナーにしか見えない部品が、まるで本来あるはずのパーツの代用品であるように、設置されていたのだ。


「ふぁ、ふぁすなぁ……?」


 口から零れたのは、疑問というよりも自問自答のために漏らしたような言葉だった。それに答えるように、大小四つのファスナーの端にある小さい金具が、ゆらゆらと揺れている。


(こ、コスプレ、じゃない。どう見ても、地肌に、直接)


 仮装だと思い込める要素を探すために、実はどっきりか何かだという証拠を探すために、彼は回らない頭で思考する。けれども、その女子高生らしきものは、ゆっくりとした足取りで、確実に少年の方へと歩いてきている。


(どこか、どこかにカメラがあるとか、実は何かの番組撮影とか、特殊メイクとか)


 思考放棄してしまった少年の眼前まで、その異形は近づいてきている。もはや蛇に睨まれた蛙となった彼の顔十数センチ前に、肌色と銀色が同時に存在する顔が迫った。


 がち、がち、がち。


 何か、錆びついた金具が擦れ合うような。もしくは金具が変に挟まったファスナーが出すような、そんな音が聞こえる。閉じている銀色の線が、小刻みに激しく揺れている。何か、開いたらいけないものが、開こうとしている。そんな嫌な予感がした。それでも、彼は指先一つ動かせない。


「だ、れか、助け――」


 涙すら流しながら呟いた最後の言葉も、月並みの台詞だった。振動しながら、眼前のファスナーが僅かに開き、異臭が漏れ出す。何かされる、もう駄目だと目を固く閉じた。しかし、先の言葉は良くある“被害者の最後の言葉”にはならなかった。ずしん、という衝撃音がしたと同時に、迫ってきていた顔面が消えたのだ。


 音に驚いて閉じた目を開く。何か、大きな物が真上から落下してきたのかと思った。冷蔵庫かタンスなどの大きな家具でも降ってきたのだと錯覚した。それが、目の前にいた化け物を押し潰したのだと理解するのに、数舜を要した。


「は、え?」


 困惑する少年の前で、こちらに背を向けている大きな“ぬいぐるみ”が、ソフビ人形を無理やりぺちゃんこにしたように潰れた異形の上に仁王立ちしている。

 茶色いぶち犬のような模様をした、ファンシーなクマだった。この緊迫した状況には、とても似つかわしくない。


「な、なにが?」


 いつの間にか足の震えが止まった彼が、体の動かし方を思い出したかのように後退る。非日常的な出来事が一度に起きすぎて、頭の処理が追い付かない。


『はー、足しびれた』


 くぐもった声。だが、年若い女性、少女らしい高い声音だとわかった。それは、屈伸するように足を曲げて伸ばしてしている、目の前のぬいぐるみから聞こえた。

 よく見れば、それはぬいぐるみではない。背中に大きなファスナーがついている。着ぐるみだった。それの足元で潰れていた何かは、瞬く間に黒い靄となって霧散する。


「た、助かったのか……?」


『あら、口がきけるくらいには元気なのね。ケガはない?』


「あ、はい」


 思わず、普通に返事をしてしまった。先ほどまであった恐怖より、困惑の思いが強くなったからだろう。ひとまず、同じ人間の声が聞けたというだけでも、少年の精神は大きな安心感を得ていた。


『ちょっと待ってね、今脱ぐから』


 着ぐるみがそう言うと、背中のファスナーが独りでに下がる。最初に少年の目に映ったのは、長い銀色の絹糸だった。続けて、美しい人形のような造形をした顔が出てくる。そこでやっと、命の恩人の頭髪であると気付いた。


 脱皮する蝉か、蝶か、繭を脱ぎ去るように着ぐるみの中から現れた少女もまた、女子高生らしい様相だった。髪の色と相反する黒いセーラー服が、闇夜に溶け込む迷彩のようだと感じた。背丈は少年よりも高い、顔立ちもどこか大人びている。だが、服装はどうみても学生のそれであった。


「あなたは……?」


 脱ぎ捨てられたぬいぐるみが小さい機械音を立てながら折りたたまれ、少女の手のひらに収まる不可思議な光景を見ながら、なんとか口を動かして訪ねる。


「あたし? 正義の味方よ」


 正義の味方、フィクションの中でしか聞かないような台詞を、彼女は当然のように口にして名乗った。不思議と、胡散臭さは感じない。少女の立ち振る舞いがそう思わせるのか、少年は素直に納得できていた。


「それは、お化けハンターとか、そういう?」


「ちょっと違うかな。あたしは“フェチズムハンター”なの。暴走したフェチ趣向から生まれた存在を狩るんだ。最近はこういう変なフェチを拗らせたのが多くって……」


「そ、そうなんすか……あの、助けてくれてありがとうございました!」


 腰を曲げて頭を下げた少年に、少女は「いーのいーの、これも仕事だから」と片手をひらひらさせて、それでもにやりとした笑みを作った。切れ長の目元が楽し気に細まる。水色の瞳は、暗い夜闇の中でも薄らと光っているようだ。


「人助けをしてこその正義の味方よ。だから頭を上げて、そんなに感謝されたって私が嬉しい以上のことはないんだから」


「は、はぁ……あ、そうだお礼!」


 そうは言われても、何か差し出さなければならない。思わず尻ポケットから財布を取り出そうとした少年の肩を、少女の細い指が強く突いた。えっと彼女の顔を見れば、先ほどとは対照的に不満そうな表情を浮かべている。


「そういうのはダメなの。守るべき相手から報酬を貰ったら、ヒーロー失格になっちゃう」


「で、でも……」


「それよりも、不幸な少年君に一つ忠告!」


 まだ困惑を隠せない少年の額を、白魚のように細く白い指が突いた。


「これに懲りたら、夜に出歩かないことね。君、フェチを“押しつけ”られやすいみたいだから」


 いつの間にか手のひらサイズの正方形になった着ぐるみを片手で弄びながら少女が告げた言葉に、少年はぎょっとした。


「ちょっと待ってくださいよ! またあんなのが襲ってくるってこと?」


「そうなるかしら、ご愁傷様。タイミングが良ければまた助けてあげるから、そんなに気を落とさないで、頑張って生きてね」


 すっと指を離した彼女は涼しい顔をしたまま、少年に背を向けて歩き出す。冗談ではないと「ちょ、ちょっと待って!」そう呼び止めようとしたときには、


『じゃ、早くお家に帰りなさいね』


 銀色の髪と黒いセーラー服は、文字通り夜の闇へと溶けるように消えてしまっていた。まるで夢でも見ていたかのような感覚を覚える。しばし呆然と立ち尽くす彼だったが、ふと足元を見やると、そこには薄汚れた小さいファスナーが落ちていた。


 今の数分間に起きた出来事が、夢でも幻覚でもないのだと言う証拠のように思えた。あまりの急展開、理不尽に、少年は小さい苛立ちを覚えて、それを側溝に蹴りこもうと足を浮かせた。


「……くそっ」


 けれども、あまりにも気味が悪くて、靴越しにでも触れることができない。威勢を張るようにアスファルトを踏み鳴らすのが精一杯であった。自身も来た道を戻るように身を翻して歩き出す。


 夜が明けて朝になり、通学の時間となる頃には、不気味な物証が無くなってくれていることを願いながら、早足で帰路につく他ないのだった。


 心のどこかで、またあの美しい銀髪を見たい。いや、触れてみたいとすら思う欲求。小さなフェチズムが生まれていたことを、少年はまだ自覚し切れていない。

この雰囲気が好き、面白かったと思える要素がありましたら、下記の評価から作者に伝えていただけると幸いです。よろしくお願い致します。

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