8.起床
目覚めた時、ミリアムはベッドの上だった。
彼女はまだ少ししか開いていない瞼の隙間から周囲の状況を確認しようとする。
視界に入るのは、白い天井と同じく白色ながらざらついた壁のみ。それから視線を僅かに動かすと、ベッドのすぐ横に待機しているパンの存在に気づくことができた。
「……パン?」
ミリアムは意識が戻りきらない状態ながら尋ねる。
するとパンは嬉しそうな顔をした。
「おぉ! 気がついたか!」
「えぇ……気がついたわ……」
ミリアムは一気に上半身を起こそうとしたが、途中で背中に痛みを覚えた。自力ではすぐには起きられず、一旦体勢を寝ている状態に戻す。が、起きようとしていることを察したパンが両腕を使って協力してくれたので、次は上半身を縦にすることができた。
「ありがとう、パン。おかげで起きられたわ」
「気にするな。当然のことをしたまで、だ」
ようやく座る体勢になれたミリアムは、改めて周囲を見回す。
ベッドの脇には変形させることで簡易テーブルにできるものが設置されている。室内にはパンが座っていた小さな椅子が一個。そして、ベッドから数メートル離れた位置には、丸テーブルが一つだけ置かれていた。テーブルの上には紙コップがあるが、中には何も入っていないようで、倒れっぱなしになっている。
「私は一体……」
「能力者のやつらを追い払ってくれただろ? で、俺らと合流するなり、ミリアムさんは急激に脱力した。そのまま意識を失ったもんだから、慌てたぜ」
ミリアムは拳を口もとに添えて「そうだったの……」と思考しているような顔をする。
「……そうだわ! ロゼットは!?」
思い出したように言うミリアムを見て、パンは心が痛そうな顔をする。
「実は、だな……彼は今病院の中なんだよ」
「病院? 病気になったっていうの? ——あ、いえ、違ったわね。矢で腕を怪我していたものね」
ミリアムは気を失う前のことを思い出すよう努力しつつ話している。
「いや、違うんだ。あの男は……ミリアムさんを運んでる途中に現れた刺客にやられたんだよ」
パンはいつになく辛そうな表情で事情を話す。
「……刺客?」
「あぁ。能力者のやつらが仕掛けてたんだろうな、街中に隠れてやがった。多分ミリアムさんを殺すつもりだったんだろ」
それからミリアムはパンから詳しい話を聞いた。
主にロゼットのことについてである。
ミリアムを運んでいる最中に現れた刺客——風の能力者だったそうだが、その女性がミリアムを仕留めようとパンに襲いかかった。その時、傍にいたロゼットが間に入り、ミリアムを背負ったパンの代わりに攻撃を受けた。
「で、病院送りってわけだな」
「そうだったの……そんなことが……」
ロゼットについて聞いたミリアムは、分からない、とでも言いたげな顔をする。唇をきゅっと結び、音もなく瞳を揺らす。ロゼットにどう接すれば良いのか迷っているかのような表情だ。だが、そんな顔をしていたのも数秒だけのこと。彼女は体の向きを横向きに変え、脚を伸ばす。足の裏をやや黄ばんだ白い床につけようとする。
「ミリアムさん!? ベッドから降りるつもりか!?」
まだ動かないだろうと思っていたのだろう、パンは驚いた顔でそんなことを言う。
「ロゼットのところに行かなくちゃ」
つま先から、土踏まず。そしてかかとへ。足の裏が順に床へ触れる。
「無茶だろ!? 待て待て、ミリアムさんだって怪我人だろうが」
「話さなくちゃならないことがあるの。……ロゼットのところに案内してくれる?」
パンは驚きのあまり音もなく目をぱちぱちさせている。
「じゃあまず着替えるところからだな」
「あ、そうね。すぐ着替えるわ。ちょっと待ってて」
「あぁ……しかし無理はするなよ」
「分かっているわ。ありがとう、パン」
その後パンは一旦退室した。ミリアムが着替えると言ったからである。いくら妻子持ちだった男とはいえ、若い女性が着替えている部屋の中に待機しているわけにはいかなかったのだ。パンは部屋の外へ出て、しばらく扉の前で待つ。
「お待たせ。着替えられたわ」
襟が立っているタイプの長袖ブラウスに、コルセットのようなものと一体化したスカート。ウエストには革のベルト。脚には黒寄りの色みのストッキングを着用し、一年以上使っている膝より少し下までの丈のブーツを履いている。
「お、おう……」
「この服でいいのよね?」
「あぁ。背中のとこは修繕しておいたぞ」
「感謝するわ。じゃあ、早速案内してくれる?」
「よし! 行くか」
パンの話によれば、ロゼットがいる病院へ行くには時間がかかるらしい。数時間もはかからないが、数分では到着できない場所だそうだ。
◆
パンに連れられミリアムがたどり着いたのは、エトランジェで唯一の大きい病院。
白いビルがそびえ立つその場所が目的地だった。
入り口には見張りの人物がいる。だが、パンはその人物と顔見知りだったので、すんなり中へ入っていくことができた。ミリアムはパンの少し後ろを歩く。
やがて、パンが足を止める。
白い扉の前だった。
スライド式の扉の横には部屋番号の数字だけが書かれている。名を書く欄と思われるところはあるのだが、何も記入されていなかった。
パンは扉をノックする。すると、数秒後に、扉の向こう側から「はーい」という返事が聞こえてきた。そして、それからさらに十秒ほどが経過した時、パンは何もしていないのに扉が開いた。
「あ! パンさんとミリアムさん!」
扉を開けたのは黒髪の少女サラダだった。
「おう。どうだ、様子は」
パンは片手を少し掲げて挨拶しつつ、病室内へ進んでいく。
「一応死にそうにはないみたいですよっ」
「そうかい。なら良かった」
ミリアムは最初部屋に入っていくことを躊躇っていた。ロゼットには会いたいが、許可なく入るというのがしっくりこなかったのだ。だが、目の前のパンがあまりに躊躇わず入っていったものだから、ミリアムは「勝手に入っても問題ないのだろう」と思えるようになった。
室内へ入り、進むこと数歩。
ベッドに横になっているロゼットの姿がミリアムの目に映る。




