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4.素人尾行

 ロゼットは優しかった。基本的にはすべての者に対して、ではあるが、ミリアムに対しては特に優しくて。彼はどんな時も、ミリアムに静かに微笑みかけた。ミリアムが何か言えば穏やかに言葉を返したし、いつも感謝の気持ちを口にしていた。


 ただ、彼には、一つだけ絶対に譲らないものがあった。


 夕方の用事である。


 彼はいつも夕方が近づくとミリアムのもとから去っていく。彼が言うには、用事があるらしい。そのことを不思議に思ったミリアムは、幾度か、思いきって「ここにいてほしい」と言ってみた。だが彼は頷かず、去っていってしまって。ミリアム自身、彼を信じて良いのか、段々不安になってきていた。



 そんなある日の休憩室。

 ミリアムはテーブルに突っ伏しながら心を発する。


「ロゼットが分からない……」

「どうしたんですか? ミリアムさん」


 独り言を聞かれていたミリアムは、僅かに頬を赤らめる。


「サラダじゃない。……もしかして聞いていた?」

「はい。聞くつもりはなかったんですけど。……その、こんなこと聞いたら失礼かもしれないですけど……もしかして、ロゼットさんと上手くいっていないんですか?」


 サラダはミリアムの顔色を窺いつつ恐る恐る尋ねた。

 ミリアムは顔だけをゆっくりと持ち上げる。


「よく分からないのよ」


 サラダはミリアムの向かいの席に腰を下ろす。それから、合わせた両手を膝の上に置いて、首を傾げつつ「そうなんですか?」と発する。


「夕方になるといつもどこかに行ってしまうの。用事があるって言って」

「えー! そうなんですか? それは怪し過ぎです!」

「何か隠してるんじゃないかって、少し気になっているのよね……」


 難しい顔をするミリアムに、サラダは提案する。


「じゃあじゃあ! 尾行してみるっていうのはどうでしょう?」


 提案を聞いたミリアムは、ハッとして、大きく目を開く。

 彼女の中にはその考えはなかったようだ。


「な、なるほど。それは賢いわね」

「もし一人じゃイヤなら、わたしも一緒に行きましょうか?」

「……それは駄目よ。危険だわ」

「えー! どうしてですか! あ、もしかして、一人の方が良かったですか?」


 ミリアムは音を立てながら椅子から立ち上がる。


「ありがとう、サラダ。そのアイデア、良かったわ」


 直前までとは違う快晴の空のような目つきでミリアムは部屋から出ていく。

 その背中を、サラダはじっと見つめていた。



 ◆



「では今日はこれで。色々教えていただいたこと、感謝しています」


 その日もロゼットは自ら別れを切り出してきた。

 別れる時だけ妙に積極的なのはいつものことである。


「今日もこれから用事?」


 ミリアムはさりげなく尋ねてみた。

 するとロゼットは静かに微笑んで答える。


「はい。そうですが……それがどうかしましたか」

「いえ、何でもないの。ロゼットはいつも忙しいのね」


 ミリアムは自身の思惑を隠すことに一生懸命だ。というのも、彼女は元来他人を騙すことが得意な質ではないのである。にもかかわらず、今は思惑を察されてはならないという状況。そのため、ミリアムはかなり神経質になっている。


 考えていることを読み取られないように。

 細心の注意を払って。


「じゃあね、ロゼット。気をつけて」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 赤く染まり始めた空の下、ミリアムとロゼットはいつものように別れる。

 ここまではこれまで通りだ。


 ミリアムは元々ただの令嬢だ。殺し屋でも諜報員でもない。それゆえ、尾行などという行為は経験したことがない。どうすれば良いのかなんて分かりはしないし、成功させることができる保証もほぼゼロ。


 それでも、彼女は心を決めていた。


 ロゼットがだいぶ離れたことを確認した後、ミリアムはコートを羽織って歩き出す。


 目的はただ一つ。

 ロゼットの用事が何なのかを探るということ。



 ◆



 ロゼットを尾行していたミリアムは、いつの間にか人目につかない路地へと足を踏み入れてしまっていた。というのも、彼が進んでいった場所が薄暗い路地だったのである。

 人通りのない場所でついていくことを継続するのはリスクが大きい。素人の尾行ゆえ、ロゼットに気づかれてしまう可能性が高い。

 そのためミリアムは、途中で引き返すということを考えた。


 今日はこのくらいにしようかと思い、立ち去ろうとした瞬間——路地に一人の女性が現れる。


 路地裏にやって来るような女性が一般人なわけがない。本能的にそう感じ、ミリアムは物陰に隠れる。道の半分ほどを塞いでいる木箱の後ろに身を潜めつつ、様子を確認する。


「どうだ? 調査は。順調か」


 ロゼットにそう質問するのは女性だ。フード付きの雨がっぱを着ているので顔までは見えない。だが、ミリアムは、声や足取りで女性だと確信できた。黒いフードの隙間からは、水色の髪がほんの少しだけ覗いている。


「……そうですね」

「何だ、それは。曖昧だな。まさか順調でないのか」


 その時になってミリアムは気づく。ロゼットがやたらとこちらを見ていることに。彼は女性と話しているのだが、その視線は女性の方には向いていない。彼の瞳が捉えているのは木箱。そう、ミリアムが隠れているところだ。


「……いえ。所属者のことも多少知れました」

「ほう。なるほど、それは参考になりそうだな。情報を流してもらえるか?」


 ミリアムはこっそり覗き見しようと考えていた。だが、ロゼットがやたら木箱を気にしているので、覗き見さえできない状態になってしまった。こういった行為に慣れていないミリアムは、どう逃れるべきかすら分からない。もはや、ただ木箱に隠れ続けるしかなくなってしまっている。


「流すほどの情報かは……分かりませんが」

「それはどういうことだ? まさか、情報など初めから存在していないのではあるまいな」


 胸の鼓動が速まる。そのうち気絶してしまいそうなくらい、心臓が激しく脈打つ。箱の影で気を失ったらどうしよう、と、ミリアムは一瞬不安になったりした。


「情報はこれです」

「……紙? ここに書かれているということか?」

「はい」

「よし、受け取ろう」


 ロゼットは女性に紙を手渡す。そして女性と別れた。どうやら用事はそれで終わりらしい、次の相手が現れる様子はない。女性は顔を見せぬまま流れるような足取りで路地から去っていく。


 ミリアムはなぜか安堵していた。


 愛し合う男女関係というわけではなかったようだから、である。


 ただ、だからといって、安堵しているだけというわけにはいかない。これから正式に仲間になろうという者が怪しい者と会っていたのだから。それは大問題だ。

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