44.止む
ビルの最上階にて、ロゼットは桜色のツインテールが似合う愛らしい少女と対峙する。
その時、ロゼットは既に、少女が『ただの少女』ではないことに気づいていた。なぜなら、能力者の気配をまとっていたからだ。しかも、彼女は既に短くも強烈な発言をした後である。
目の前の少女は敵。
ロゼットはそう判断した。
「以前一度お会いしましたよね」
少女は丁寧な口調で静かに述べる。
落ち着き払っていて、若い少女のメンタルとは思えない。
「……そうでしたか?」
ロゼットは少女のことを知らなかった。けれども少女はロゼットのことを知っている様子。認識にすれ違いがあるからこそ、ロゼットは警戒する。
「裏切りの罪はここで償っていただきます」
「殺すつもりでわざわざここへ?」
「そうです。それが任務ですから。でも……ロゼットさん、残念です」
言い終わるか否かのきわきわのタイミングで、少女は刃物を取り出す。ロゼットは直前まで気づいていなかったのだが、彼女は腰に刃物を収納するケースを装着していた。今彼女が手に持っている刃物はそのケースにしまわれていたものである。
数秒後、少女はロゼットに向かって駆け出す。
ロゼットは咄嗟に水の層を作り出した。体の前方に。しかし少女はそこに突っ込みはしなかった。ロゼットの行動を読んでいたようで、一歩分右側に移っていたのだ。
少女は刃物を振り下ろす。
切られぬようかわそうと動いたロゼットだったが、腕に攻撃を受けてしまった。上衣の袖が裂かれ、皮膚もほんの少しだけ切れる。
だが怯みはしない。
右足を一歩分後方へ動かして距離を確保。少女に向けて一気に水を放つ。
「無駄です!」
誰も傷つけはしない水も、量と使い方によっては凶器となるもの。だが少女は風を起こす能力を発動し、水の中に通り道を作り出した。一斉に向かってきた場合という水の恐ろしさを活かさぬ手で、少女は、確実に有利な状況を築いていっていた。
隙をみて一気に距離を詰め、少女はロゼットを傷つけにいく。
彼女の瞳に迷いはなかった。
ロゼットは肉弾戦を得意とはしていない。それどころか、訓練さえほとんど受けていないのだ。使えるのは非常に簡単な護身術のみ、それも素人に毛が生えた程度の。
そのため、少女が接近戦を挑んでくるというのは、ロゼットにとってあまり嬉しくない状況だ。
ツインテールの少女は、ロゼットが想像していた以上に高い戦闘能力の持ち主だった。
彼女の刃物を使った戦いには隙がない。肉体自体は華奢だが、だからこそのスピード感があって、反撃の暇を作らせないバトルスタイル。接近戦のプロならそれでも反撃するタイミングを見つけられたのかもしれないが、ロゼットには無理だった。
ロゼットは、刃物による攻撃から逃れることで精一杯。
反撃に転じることはできない。
「丸腰のわりにはなかなか粘りますね」
転がるようにして九十度右へ移動したロゼットを冷ややかに見つめ、少女は呟く。
「いい加減襲ってくるのは止めていただけませんか。迷惑です」
ロゼットは片手を床につけてしゃがみつつ言葉を返す。
すると少女はニヤリと片側の口角を持ち上げた。
「大人しく死ねば良いことです」
少女は右手に刃物を持ったまま、左手の手のひらを前方へかざす。すると、手のひらに集まるようにして風が発生した。その風はやがて、刃のようなものへと変化する。そして、数秒後。その刃のような姿となった風たちは一斉にロゼットに向かって飛んでいった。
ロゼットは転がるようにして右側に動く。
しかし、風の刃に左足首を傷つけられてしまった。
さらに、一度はかわしたはずの風の刃が、宙で弧を描き、再びロゼットに襲いかかる。
「っ……!?」
さすがに今度は動いて避けられないと察したらしく、ロゼットは体の前に水の層を作って防御することを試みる。が、すぐには水の層を作ることはできず。今度は風の刃に直撃されてしまった。
飛散する紅。
駆け抜ける痛みに、唾を飲み込む。
ロゼットは決して薄着ではなかった。きちんとした生地の服を身にまとい、肌はあまり露出していない。にもかかわらず、風の刃がつけた傷はその身にまで届いていた。少女が飛ばした風の刃は、ロゼットの滑らかな肌に、確かに見える傷を刻んだ。
「せめてもの情けです。速やかにとどめを刺して差し上げましょう」
ロゼットは、腕で体を支え、上半身を何とか持ち上げる。少女はそこを狙っていた。刃物を握り締めたまま、一気に距離を詰める。ロゼットはガラスの窓に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。少女に狙いを定められ、ロゼットは危機的な状況に陥っているかのように見えた。
しかし。
少女がとどめの一発を加えようとした瞬間、ロゼットはその場に伏せる。
「なっ……!」
ほんの一瞬だけ少女の顔面が硬直する。
けれど、ロゼットの行動に気づいた時には時既に遅し。全力疾走してきていた彼女は止まることはできなかった。そのままガラスを突き破り、ビルの真下へ垂直落下。姿は一秒もかからぬうちに消えた。
ロゼットはその様を見下ろしてから、はぁと溜め息をついて床に座る。
刺客の少女からは何とか逃れることができたけれど、ロゼットが負傷したことは事実。何とか退けたという安堵感が湧き上がるにつれ、ロゼットは疲労感を強く感じるようになる。
残っている窓ガラスにもたれつつ体を休ませていると、なぜか段々呼吸が荒れてくる。
じっとしているので、本来なら整ってくるはずなのに。
「……これは、一体」
一回の呼吸が浅くなり、呼吸数が増える。運動した後のように。
◆
「あれっ? 雨止んできましたね」
ミリアムと共に外の様子を眺めていたサラダが、ふとそんなことを発する。
その言葉に驚いてミリアムは外を見る。確かに雨が止んでいた。つい先ほどまでは普通に降り続けていたというのに、今は雨粒一つも落ちてこない。稀に落ちてくる雫は、軒から垂れてきたものだけだ。
「本当ね。止んできたわ」
「おかしいですねー。止ませる予定ではなかったと思うんですけど」
「そうなの?」
「はい。ロゼットさんとは今夜も降らせるという話になっていたんです」
サラダは不思議そうな顔をしていた。
夜の闇の中、ミリアムは不安を胸の内に抱える。
何もない。雨が止んだだけのこと。それなのにこうも胸騒ぎがするのはなぜだろう。雨が止むことに不自然さなんてないはずなのに、それなのに気になってしまうのは、一体……。
それがミリアムの心だった。




