42.戦闘開始
ロゼットによる水の層を使った攻撃によって、セシリアの戦意は弱まった。百パーセント勝てる気でいたのが由来だからだろう、彼女の精神状態はそれ以前とは少しばかり違ったものになっていたのだ。
ただ、セシリアの戦意が多少削がれた程度では、戦いの運命は変わらない。
セシリアとややこしいことになっているうちに、遅れて来る予定だった大勢の調査員が到着してしまい、ついに暴力沙汰へと突き進んでいってしまう。
始まりは、ミリアムが示した調査拒否に腹を立てた調査員のうちの一人がミリアムにつかかっていったこと。
感情的になった一人の男性調査員がミリアムの腕を乱暴に掴んだ。パンがその男性を止めようと割って入るが、その行為が男性を余計に怒らせてしまった。その結果、感情的になっていた男性調査員にパンが顔面を一発殴られるという事件が発生。
そこからは、あっという間に揉み合いが始まった。
ミリアムは能力の打ち合いをイメージしていたのだが、始まった戦いはそういうものではなかった。というのも、始まったのはかなり物理的な戦いだったのだ。殴る蹴るのような。
揉み合いは暴力的な方向に発展し、能力者対非能力者の衝突が現実のものとなる。
エトランジェを満たす、戦いの空気。
その果てにあるものはまだ誰にも分からない。
◆
最初の衝突から二日。
エトランジェは今日も荒れている。天気は雨。
ミリアムは今も前線に近い場所にいる。調査員たちをエトランジェに流れ込ませないための戦いはまだ終わりそうにない。
ちなみに、雨が降っているのはロゼットの能力だ。
今回用意された調査員たちは、主に炎系能力者で構成されていた。その本領を発揮させないための雨。
ただ、良いことばかりではなかった。
なんせ濡れる濡れる。
ミリアムは一応傘をさしている。レインコートも羽織っている。が、服は既に濡れて重くなってきてしまっている。雨具を身につけていても、長時間雨降りの中にいれば不快感は高まってしまうもの——仕方ないことなのだが、ミリアムは複雑な気分だった。
「ミリアムさん! ここにいらっしゃったんですね!」
揉み合いからは少し離れた場所にいたミリアムに話しかけてきたのはサラダ。分厚い生地のレインコートを着て、フードも被り、プラスチック製の箱を両手で持っている。
「えぇ。サラダ、その箱は?」
「これですか? エトランジェ最凶の目潰しアイテムですよ!」
「最凶……」
「簡単に言うと、唐辛子の粉が入った球ですねっ」
サラダはプラスチック製の箱から球を一つだけ取り出す。
手のひらに収まるサイズの半透明の球。中には黒ずんだ粉が入っているのが見える。
「ここじゃ投げられないですけど、今からこれでやります!」
「それは……凄いわね……」
「ロゼットさんにも話はつけてありますので!」
「……ロゼットと唐辛子?」
サラダが地面に箱を置き、仲間たちの背中に向けて「来ましたよーっ!」と叫ぶ。すると、調査員たちと揉み合いをしていた人たちのうちの三分の一くらいが、箱のところへ一気に集まってきた。皆は次から次へと球を握る。
非能力者側の人々が急に下がったので、調査員たちは戸惑った顔をする。
今から何が起こるのかと戸惑いつつ様子を見ていたミリアムは、ふと、降り注ぐ雨粒の数が減っていることに気づく。
「三列で行きます!」
サラダが鋭く言い放った時、周囲の人々は既に三列を作って並んでいた。
「開始ーっ!!」
号令を受け、皆は一斉に半透明な球を投げ始める。
飛んでいった球体は宙で二つに分かれ、その中から赤黒い粉末が散る。
「な、何じゃこら——って、ゲホ! ゲホホホ!」
「なんかチリジリするぅ!?」
調査員たちはそれなりに良い服を着ている。長袖長ズボンを着用し、手には手袋もはめて、極力肌の露出がないようにしていた。が、顔面だけは完全に露出している。目や鼻や口を覆うものは何一つとしてない。
それゆえ、唐辛子ボール攻撃は効果的だった。
刺激的な唐辛子の粉末が宙を舞い、それに巻き込まれた調査員たちは落ち着きを失う。
三列に並び、一列ずつ順に球を投げつけていくことで、隙を作ることなく唐辛子攻撃を行うことができている。その光景を目にして、ミリアムは密かに非能力者たちのことを尊敬した。
その唐辛子攻撃中に、調査員は数名逃げ出していった。
ここに居続けては危険だと判断したのかもしれない、と、ミリアムは感じる。
そんな時だ、エトランジェの奥から二人がやって来たのは。
「きったぞー!」
「これも使ってやー!」
男女二人組のうち、男性が持っているのは白い液体が入ったバケツ、女性が持っている箱に入っているのは子どもが遊ぶような水鉄砲。
「それは何?」
ミリアムは気になって二人組に話しかけてしまう。
「修正液をちょっと水で薄めたやつと水鉄砲なんよ」
「へぇ……」
「どっちも文房具屋から貰ってきたんよ」
「そうだったの……」
その数秒後、唐辛子粉末入りボールを投げつけていた人たちのうちの数名が二人組の方へとやって来る。そして、女性からおもちゃの水鉄砲を受け取った。青、緑、黄、と、色は三種類くらいある。が、今は色を選んでいる暇はない。おもちゃの水鉄砲を受け取った数名は、その中をバケツに入った白い液体で満たしていく。
「唐辛子攻撃に続いて水鉄砲攻撃……興味深いわね」
「ミリアムさんもやる?」
「あ、でも……数が足りなくなるんじゃない?私は能力があるし、武器なしでも平気よ?」
ミリアムは遠慮する。が、女性に水鉄砲を押し付けられてしまった。
プラスチックでできたおもちゃの水鉄砲に触れた時、ミリアムはふと思い出す——かつてこういうもので遊んだことがあることを。
「懐かしいわ。おもちゃの水鉄砲」
「銀の国にもあるん?」
「えぇ。庭で親と遊んだりしたわ。……まぁ、もう済んだことだけれど」




