40.調査
パンから仮設テントへ連絡が来てから三十分ほど経過した頃、道の向こうから一つの人影が現れた。それに一番に気づいたのはロゼット。というのも、ロゼットがテントから出て見張りをしてくれていたのだ。
「人影が見えました」
連絡を受けて間もない頃には顔色を悪くしていたロゼットだったが、今はもういつもの冷静さを取り戻していた。新月の夜の誰もいない湖畔のような静かな目をしている。
「マッジか!」
ロゼットの報告に一番早く反応したのはパン。
勢いよく立ち上がったのは良かったが、簡易椅子を倒してしまい、慌てて元に戻していた。
「男の人? 女の人?」
続けて、素早く尋ねるのはミリアム。
「女性です。恐らく、セシリア・シャーロンかと」
ロゼットの答えははっきりしている。
まだ個人を特定できる距離にはないだろうと考えていただけに、ミリアムは衝撃を受けた。
セシリアとは以前会ったことがある。けれどもそれは、ミリアムにとって嬉しい記憶ではない。否、嬉しいどころか、ほろ苦い思い出だ。そのためミリアムは、セシリアに対して苦手意識を抱いてしまっている。心理的に負けてはならないと思ってはいても、一度芽を出した苦手意識というものはそう易々とは消えないものだ。
「……前に会った女性ね」
「その通りです」
「ロゼットにとっても因縁の相手でしょう? 彼女は」
ミリアムの言葉に、ロゼットは一瞬だけ表情を曇らせる。
けれども彼は弱くなかった。
すぐに面を持ち上げて「今は敵です」とだけ述べる。目つきは鋭く、声は低め。彼の心の奥に燃える炎を暗に表現しているかのようだ。
「顔を合わせたくないなら下がっていて良いのよ?」
ロゼットにとって、セシリアは特別な存在である。それを知っているからこそ、ミリアムはロゼットに対して無茶なことは言えない。無理してでも前に出ろと言うわけにはいかないのである。
「いえ。そういうわけには」
「……正直顔を合わせたくないんじゃない?」
「関係ありません。気にしないで下さい」
「分かったわ。じゃあ気にしないでおくわね」
「よろしくお願いします」
ミリアムは変に気を遣ってしまっていたが、ロゼットにはもはや迷いはなかったようだ。彼は静かな表情のまま、淡々と述べている。
◆
「久しいな。こうして向き合うのはいつ以来か……」
「できればもう会いたくなかったですけど」
セシリアとミリアムは再び向き合うこととなった。
しかも、またしても敵として。
ただ、前回とは状況が少し違っている。というのも、今回はロゼットが完全にミリアム側についているのだ。そのため数字的にはミリアムが優位となっている。
「今度こそ調査に入らせてもらう」
「お断りします」
ミリアムは即座にそう答えた。
何をしでかすか分からない者は、一歩たりとも入れはしない。
「これから百人ほどの調査員がここへやって来る。そうすれば、こんなくだらぬバリケードなど一瞬で崩されるぞ。なに、ただ調査するだけだ。無駄な抵抗をするな」
セシリアは余裕の笑みを浮かべながらそう述べる。けれどもミリアムは、その場から動かない。セシリアが何を言おうが、調査員がこれまで迷惑なことをやらかしてきたことは事実であり、それは絶対に消えないのだ。だから、そう易々と通すわけにはいかない。バリケードも破らせない。
「おいおい待てよ嬢ちゃん。無茶言わないでくれ」
その時、ミリアムの背後からパンが歩いてきた。
「アンタは銀の国の調査員がこれまで犯してきた罪を知らないのか?」
「そちらには定期的な調査を受け入れる義務がある」
「待てよ! まずは問いに答えろ。銀の国の調査員がこれまで犯してきた罪を知らないのか、と聞いてるんだ」
パンが語気を荒げてもセシリアの表情に揺らぎはなかった。それどころか、彼女は憐れむような目をする。その目つきは、明らかにパンを見下しているものだった。セシリアは、この男は自分より下と決めつけているような雰囲気の顔をしている。
「いくら乱暴に見せかけようとしても無駄だぞ。非能力者は所詮力なき者だ」
「くっ……舐めやがって……!」
「日頃は非能力者たちで暮らせているのだ、調査くらい良いではないか」
「その調査員が余計なことばっかするんだよ……!」
苛立ちが最高潮にまで達し今にも殴りかかりそうなパンを、ミリアムは「落ち着いて」と止める。
「なぜそこまでして調査をする必要があるのですか。それも定期的に」
ミリアムは苛立っているパンを後ろに下げつつセシリアに向けて問いを放つ。
「元はといえば力を持たぬ者が存在したことが問題だ。そもそも、非能力者がいなければ、こんな問題は起こっていない。無駄な争いもなかった」
ミリアムは心の中で「適当なことを」と呟く。
非能力者がいなければこんな問題は起こっていない。それは真っ当な主張にも思える。が、実際は正しい主張ではないだろう。非能力者がいなければ、攻撃性が低い能力者が標的にされ虐められたに違いない。現に、ロゼットはその攻撃性の低さゆえに酷い扱いを受けてきたのではないか。
結局、何が存在しようがしなかろうが、人の上に立ちたがる人間は生まれてしまう。
そして、その裏側に、酷い扱いをされる者が存在してしまう。
「それはおかしな話です。非能力者だけが差別され見下されるのだとすれば、ロゼットはなぜ酷い扱いを受けてきたのでしょう?」
セシリアはまだ一人だ。周囲にセシリア側の人間の姿はない。仲間たちはまだ来ていないようだ。
こうも女性一人だけでやって来られると、段々、エトランジェは舐められているのかと気になってくる。
「分からんな、何を言っているのか」
冷たい風に水色の髪を揺らされながらも、セシリアは嘲笑うような顔を続ける。
「能力なき者がいようがいまいが、どうせ誰かを見下し虐めるのですよね? と言っているんです」
「それがどうした。どうでもいいことだろう、それは」
「そうでしょうね、そんなだから……いつも偉そうにできるんですよね」
ミリアムとセシリアの間に漂い始める不穏な空気。それは、女性同士の対立のテンプレートとも言えるような恐ろしさをはらんだ空気に近いものがあった。小さな棘を無数に突き刺し合うような空気。それが今、二人の間に漂っている。
「とにかく、でしゃばるな。箱入り娘が出てくる場面ではない」
「帰って下さい」
「それはできない。調査は銀の国より受けた仕事だ」
「では『帰れと言われた』と言っても良いので帰って下さい」
「それはできない。一度決まった調査は確実に行わねばならないのだ」




