34.通行人
「じゃあミリアムさん、俺はここで!」
ミリアムがロゼットと視線を重ねて良い雰囲気になっていると、パンが唐突にそんなことを言った。
二人があまりに心を通わせ合っている様子だから、いづらかったのだろう。
ミリアムがそれを察して「ごめんなさい、二人で話し込んでしまって」と述べると、パンは口角を持ち上げて「いいんだ」とでも言いたげに首を横に振る。
それからパンは、軽く片手を挙げて挨拶をして、来た方向に戻っていった。
ミリアムは内心「申し訳ないことをしてしまったかも……」と思いつつ、その背中を見送る。今さら引き留めることはできなかった。
そうして、ミリアムとロゼットは二人きりになる。
とはいえここは時折人が通るところだ。つまり、厳密には二人きりではないのである。現時点では周囲に人はおらず二人きりのような状態だが、いつ何時人が通過するか分からないので、油断はできない。
「ロゼット、今さらだけれど……怪我は大丈夫なの?」
先日、ロゼットは拘束されて非能力者に手を出されていた。聞いた話によれば蹴られたり殴られたり刃物を突き付けられたりしていたようなので、それによって負った傷が気になる。
「えぇ。たいした傷は負っていません」
「本当に? 隠していない?」
「はい。しませんよ、隠したりなんて」
広くない廊下の中では、自然と体の距離が近くなる。両者共に別段何かを意識したわけではないのだが、それでも、日頃よりかは近くなってしまっているのだ。
ミリアムはそのことを肌で感じていた。
ロゼットの方は特に意識していないようだが。
「ミリアムさんは少し元気になられたようですね」
付近に窓はない。上下左右、すべてが板。どうやっても外の風景は見えない場所だ。空気が悪いということはない。が、しばらく滞在していると、圧迫されているような気分にならざるを得ない。
「えぇ! 今日はおつかいに行ってきたのよ」
「おつかいに? ミリアムさんが?」
「そうなの! 慣れなかったけれど、色々回ることができて楽しかったわ」
パンがおつかいを頼んでくれたことは、ミリアムにとってありがたいことだった。
この息苦しい施設から抜け出せるから。
エトランジェの様々なところを歩き、自力で買い物を進めなくてはならない。そういう苦労もないわけではないが、それはたいして大きくないものだ。
「何を買われたのですか」
「パンに頼まれた物よ。色々」
「色々とは」
「随分興味があるのね。……もしかして、おつかい行きたかった?」
ミリアムは冗談交じりに尋ねる。
ロゼットが色々尋ねてくるから、おつかいに関心があるのだろうか、と疑問に思って。
「いえ、そういうわけでは……」
「それにしては色々聞いてくるわね」
「どちらかといえば、ミリアムさんの行動に興味があったのです」
「えっ」
ここにきてまたもや意外な発言。ロゼットの言動はミリアムの想像通りには進まない。そのためミリアムは、一度ロゼットと関わっている間にだけでも何度も驚かされてしまう。
ミリアムが戸惑いの目をロゼットに向けていた、その時。
先ほどミリアムが来た方向から女性二人組が近づいてくるのが見えた。
地味めな容姿の二人は、ミリアムとロゼットの存在にまだ気づいていない。書類を入れたような黒いファイルを胸の前に抱えながら、仲良さげに顔を見合わせて会話している。
「ねぇ聞いたー? あの人電撃浴びせられたらしいよー」
耳に入ってきた言葉に、ミリアムは頭を殴られたような衝撃を受ける。
また自分のことが話されている——それはもはや、半分以上恐怖だ。
「えっ。知らん。何それ」
「能力者の女の人いるでしょ? あの美人の! あの人がね、電撃浴びせたんだってー」
「え、こわ」
何か言いたいが、いきなり話に入っていくわけにもいかない。
ミリアムは唇を結ぶ。
「一応攻撃の意思があったわけじゃないみたいなんだけどさー。やっぱ、ちょっと怖いよね。能力者っていうのはさ。いつ何をしてくるか分からないしー」
女性たちが近づいてくる。ミリアムは後ろを向いて顔を晒さずにやり過ごすことにした。顔を合わせたら気まずいことになってしまいそうだったので、それを避けるために行動したのだ。そして、その行動が、壁の方を向いておくことだったのである。
「確かに。言っちゃ悪いかもだけど」
「ほどよい距離を保つのが一番っていうかー?」
「うんうん」
足音を聞きながら、女性二人組が通り過ぎるのを待つ。
「しかし電撃って。さすがに怖い」
「だよねー。聞いてびっくりした」
話せば分かってくれるはず。あの時の状況を説明すれば分かってくれるはず。そう思っていても、ミリアムは説明しに入っていく気にはなれない。それは、いちいち絡んでいくことで逆に悪印象になるのが恐ろしいからだ。
少し悪口を言ったら絡まれる、と思わせることも、悪口防止としては一つの対策かもしれない。
だがミリアムは、そんな独裁国家のようなことをしたくはなかった。
それでなくとも能力者に支配されている非能力者に、能力者であるミリアムがそんなことをしようものなら、非能力者たちは力ある者を余計に嫌うようになるだろう。それは、能力者と非能力者の間の溝を埋めるという意味では、完全に逆効果でしかない。
「まったく……。この街の人は噂好きですね」
女性二人組が通り過ぎたのを確認してから、ロゼットが呆れ顔で口を開く。
「そうね。できれば本人に謝りたい。でも無理矢理呼び出すわけにもいかない……」
「謝るのは急がずとも良いのでは?」
「何事も早い方が良いわ。特に、こういう人と人の縁に関わることは」
「では、取り敢えず、噂禁止令でも出しますか?」
「それは駄目!」
ミリアムは突然大きめの声を発してしまった。
発してから若干後悔する。
「……だめよ、そんな恐怖支配みたいなことをするのは」
ミリアムの言葉を聞き、ロゼットは急に黙った。何か問題な発言でもしてしまったかと焦るミリアム。しかし、ロゼットの表情からは、苛立ちや不快感というものは感じられない。ただ、寂しそうだった。言葉にならない寂しげな空気を、今のロゼットはまとっていた。
伏せた目の周囲の長い睫毛が、その寂しげな雰囲気をより一層強めている。




