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16.招待

「ごめんなさい……。巻き込んでしまったわね……」

「いえ」


 今、ミリアムとロゼットは、ビルから少し離れたバス停にいる。雨宿りするため、である。


 ビルの一階を出てすぐのところにある商店で雨具を購入すればいいと思っていたら、雨具は既に売り切れていて。傘も、かっぱも、何もないまま走らざるを得なくなってしまった。


 そのせいで、二人ともびしょ濡れ。


 ミリアムは胸元からスカートまで水浸しになってしまっている。ロゼットは、詰襟の上着を着ていたのでその中の服は湿る程度で済んでいた。ただし、二人の髪の先からは雨粒が滴り落ちている。


 現在は古びたバス停で一旦休んでいるところだ。


 運が良かったのは、屋根がついたバス停に出会えたこと。すべてのバス停に屋根があるわけではないので、この場所を見つけられたのは幸運だったとしか言い様がない。


「ミリアムさん、家はどちらですか?この天気ですから、よければ送りますよ」


 ベンチに座っているミリアムに、ロゼットはそんな言葉をかける。


「いいわよ、そんなの」

「しかし……」

「大丈夫! 私、帰るくらい一人で平気だわ。そんなに弱くないわよ」


 そこまで言って、ミリアムは不思議な感覚を覚えたような顔をする。何事かと目を開くロゼット。刹那、ミリアムが大きなくしゃみをした。


「寒かったですか!?」


 バス停内に設置された自動販売機で飲み物を買おうとしていたロゼットは、驚いてミリアムの方へ駆け寄っていく。コインは自動販売機に入れたままで。


「いえ。平気よ」

「そうでした。この上着を羽織れば……!」


 ロゼットは上着を脱ぎ始める。


「待って、ロゼット。その上着、濡れてるじゃない。余計冷えるわ」

「……あ。それは困りますね……」

「もう心配しなくていいわ。貴方は貴方がしたいことをして」

「あ、はい。分かりました」


 ロゼットは一旦自動販売機の前へ戻っていく。そして、そこについたいくつものボタンのうちの一つを押した。音もない押し方だったが、きちんと反応したらしく、すぐにガタンと落下音が鳴る。腰を下ろして缶を取り出し、ロゼットはそれをミリアムのところへ持ってきた。


「もし寒ければ、これをどうぞ」


 いきなり缶を差し出されたミリアムは、一瞬困惑したような顔をしてしまう。が、すぐに彼が何をしようとしているのかを察し、両手でそっと受け取った。


 その藤色の缶には『東の国の名物! オティルコ』との文字。

 ミリアムには『オティルコ』の正体はよく分からなかった。ただ、ホットのドリンクだったらしく缶がとても温かくなっていたので、そこは気に入った。雨の中を駆けているうちに冷えていた指先が、じんわりと温もっていく。


「ありがとう。温かいわね、この缶」


 二つの手の指で缶のあらゆるところを触りながら、ミリアムは礼を述べる。


「少しでも温まれたらと思いまして」

「ロゼット。貴方は本当に……いつも優しいのね」


 ミリアムはほんの少しだけ恥ずかしそうな面持ちで俯く。

 雨まだ止まない。躊躇いなどなく降り注ぎ続けながら、屋根を、地面を、叩いている。街全体の空気が湿り、白くなっている。


「それで、これからどうするのかしら。ロゼットは帰宅?」

「はい。宿へ」

「宿? 貴方はまだ宿で暮らしているの?」

「えぇ、そうです」


 驚いた顔をするミリアム。だが、数秒後に、何か思いついたような晴れやかな顔つきになった。だが、快晴の空のような顔つきになったのは数秒間だけ。すぐに再び俯く。


「……その、うちへ来るのはどう?」


 顔は俯いたまま、目玉だけを動かしロゼットを見る。


「何の話でしょうか」


 ロゼットは自分用にも飲み物を買っていた。それもまたオティルコであった。ミリアムに贈ったものと同じものを自分用にも購入していたようだ。


「良いシャワーがあるわよ? ……なんて」



 ◆



 なんだかんだで、ミリアムはロゼットを家に招き入れることになってしまった。

 ロゼットに罪はない。そもそもミリアムが誘ったのだし、彼は最初断ろうとしたのだから。


「ここが私の今の家なの。遠慮なく入って」

「お邪魔します」


 ロゼットが招き入れられたのはマンションの一室。

 そのマンションは、ミリアムが学びのためにこの街へ来た時から住んでいるところだ。それゆえ、安い賃貸物件ではない。もちろん、一つの部屋しかないような小さな部屋でもない。

 先に入ったミリアムは、玄関で靴を脱ぎ、一メートルほど進んだところで足を止めている。


「二階に住んでいらっしゃったのですね」

「そうよ」


 後から入ったロゼットは、自分の体が中に入るや否や、素早く鍵をかけた。


「マンションというものに初めて入りました」

「どういうこと?」

「マンションというものの存在は知っていましたが、そのマンションなる建物に実際に入ったことはなかったのです」


 ロゼットは言いながら靴を脱ぐ。

 その彼を見守りながら、ミリアムは少し恥ずかしそうな顔をしていた。


「靴はここで良いのですか?」

「えぇ。置いておいて」

「分かりました。ありがとうございます」


 ミリアムが誰かをこの家に招き入れたのは初めてだ。というのも、エトランジェへ行くことが決まった時、父親から言われていたのである。他人を家に入れるな、と。能力者側から離れた今も、その教えだけは守り続けていた。その結果、誰一人として家に招かないまま、時だけが過ぎていってしまったのだ。


 それゆえ、これはミリアムにとって非常に大きな出来事。

 革命のような出来事と言っても過言ではない。


「ミリアムさんはいつも一人で?」

「そうよ」


 二人並んで、リビングへと続く廊下を直進していく。

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