天文部星埜キラリ
§ § §
百年、十八回――、
それが最初に帰還者が現れてから、この星が滅びかけた回数。
日本で最初の帰還者が現れたのは今から100年も昔ことです。
それは世界大戦、大日本帝国に戦火の煙が見え始めた大正初期。
それは神隠しとして始まった事件。
逼迫する国庫に憂う日本政府……とはなんの関係もない、ただの農村にある学びの園で始まった、最初の神隠し。
人さらいか貧困による口減らし、子供が消える理由を上げればきりのない時代においての、小さな村だけで起こり始めた限定的神隠しは、ただの小さなゴシップ、怪談好きの好塚を喜ばせる程度の取り扱いでした。
然し、後に否応なく世間に広まることとなったのは、その人数にありました。
僅か一週間で消えた生徒数――、21人。
それも、一つの学びの園に席を学生に限定された連続誘拐事件。
日本帝国は敵国による連続誘拐事件を視野に地元警察との連携、半年にわたり捜査を続けるも解決とならず、その間にも増え続ける行方不明者に頭を抱えていた、大正六年、夏。
その日、ふらりと町へとやってきた異国の風体をした青年が地元警察に確保されました。
確保された青年は、告げました。
自分が、この学園の生徒であったこと、こことは違う世界へと気がつけば飛ばされ、そこで10年以上の年月を過ごし帰ってきた事、そして自分の名前は――、
青年が告げた名前は半年前に消えた消えた当時9歳の少年のものだった。
どう見ても二十歳前後の青年の告白はたちの悪い狂言虚言、だがそれで片付け投げ捨てるにはあまりにも事実を的確に言い当てました。
両親との思い出、学友の名前、幼少時にうけた手術の痕跡、姉弟でしか知り得なかった秘め事、その記憶を語るにつれて彼が当時消えてしまった少年なのだと確信に至り、日本を大いに騒がせました。
だが、本当の混乱は始まったばかりだったのです。
元少年曰く、自分は神の国へと送られ、そこで戦士として神の力を与えられ育てられたと言う。
これを気狂いの眉唾と罵られる前に、青年はその異能を村民の前で見せたのです。
超常たる力、人智を超越した力、それは確かに顕現させました
手をかざしただけで木々が燃え、鉄が溶け、池の水を蒸発させる。
多くの人間の前で披露した青年の噂は瞬く間に広がりました。
『これは神の力だ』
その神力なる噂を聞きつけた日本政府はすぐさまに青年と接触を試みました。
そして神に与えられし神通力の片鱗を知るやいなや、日本陸軍預かりの元、その力は日本政府のために与えられた力だと両親に紙切れを押し付けて、彼を連れ去りました。
そして、月日が過ぎたある日、ついに世界大戦の開戦間近となったその日……。
とある国が地球上から消えました。
異世界より異能の力、神の力を宿した青年は日本への熱き愛国心を胸に、宿敵国にその身一つで突貫、僅か一日にして世界地図より一つの国を焼き、消し去りました。
文字通り、焼き尽くし、消し去ったのです。
焦土化した国に立ち、そして青年は宣言しました
『我、神の子、太陽の子、日輪の使い、我が祖国に仇なす者共よ、疾く失せよ』
兵士が燃え、子供が燃え、老人が燃え、男が燃え、女が燃え、建物が燃え、文化も、信仰も、何もかもを一瞬で焼き尽くした青年、日の丸を背負いし神の子、コードネーム『天照大神』
さらに二つの国が消えた頃、世界が日本へ和平の手を差し出しました。
想像を絶する力に恐れをなした各国は、日本帝国を同盟国に引き入れようと画策するのは当然の流れでした。
現存するあらゆる兵器を凌ぐ異能、神の使い、超常の者。
開戦を回避し勝利した大日本帝国は、その神力に酔いしれました。
これから訪れる大日本帝国を中心とした世界に思いを馳せ、歓喜しました。
然し、戦勝ムードに湧く日本政府が看過できない問題は既に始まっていました。
敵国よりも問題は、異能者そのもの、それを生み出す学園そのものにあったのです。
国をも滅ぼす神の力を宿した少年少女が、数年に一度、必ず現れてしまう。
風を操り、病魔を作り出し、人を癒やし、大海を割わるような少年少女の出現が日本政府の軍事他、諸々のお偉い方の頭を悩ます問題になったのは、9人目の帰還者が現れた時でした。
帰還した少女が一人、他国へと連れ去られる事件が起きたのです。
その歳の夏、日本の長崎にて誘拐された12歳の少女が発見された時、周辺60キロの人間が溶けて消えました。
溶解して液状となった60万人のヘドロの上で踊り狂う少女に対して、日本政府は陸軍所属の能力者達を派遣。
三日三晩の戦闘の後、能力者8名の命と引き換えにこの一件を解決、そして大きな問題に気付くのでした。
誰もが彼ら、彼女らを欲する、それ故に、彼ら、彼女らを護らねばならないと。
ならば誰が? 答えはすぐに出ました。
曰く『異能者に抗い、かつ互いを律し合えるのは、同じく異能者のみ』
政府は学園を中心に機密組織を発足、また還ってきた人間、帰還者達による組織を編成、以降100年に渡り、能力者達の捕獲、保護、管理を行う秘密組織、政府直轄、学園内機密組織、通称『御影学園生徒会執行部』を発足。
生徒会に属する委員会に『風紀』『清掃』『保健』『図書』を起き、
さらに委員会をサポートする『八部』を設立、徹底的な情報統制、隠蔽工作を続けながら、暗躍を余儀なくされました。
全ては、この星、『現実世界を護る』ために。
§ § §
「と、私達生徒会預かり直轄部隊図書委員なんかが誕生したって……ねぇヒロ、この話するの多分三回目だよ」
友人の若年性健忘症を心配しつつも、メクルは廊下の角を一つ曲がります。
「んな、そうだっけか? いやいや所々は覚えてんよ、まぁあれだつまり異世界に消えた一人より、現実世界に現れた一人の方が危ねぇって話だろ? ……あぁそういや俺の時もすんげぇ速攻で来たわ、生徒会の奴」
その後ろをジャージのポケットに手を突っ込んだまま歩くヒロがどこか感慨深そうに頷きました。
「ヒロ、頭、容量、少量、日々最適化」
そんな二人を追いかけるように小走りするピーシーへと振り返ったヒロが器用に後ろ歩きしながら、
「俺の記憶力は楽しいこと限定なんだよ、これぞ健康の秘訣って奴だ」
ふふんと小さく鼻を鳴らして自慢気に胸を張ります。
両手をポケットに入れたまま、器用に後ろ向きに走るヒロですが、そのまま転べば後頭部へのダメージは不可避です。だというのに、そのまま後ろ歩きで階段まで下り始めました。
「ん? てかよ、俺の時みたいに速攻でこれるなら別に大した問題じゃなくね?」
「大体の転送者候補を占い部が予知して、天文部が場所と時間を割り出して予め人員を近くに置く……はずなんだけど、今回はそれができなかった……つまりイレギュラーで飛んで、そして一瞬で帰還した可能性が高い、それについてはヒロの時と似てるかな」
急ぐメクルは先程盗み見た資料の中身を説明しながら、リズム良く階段を下り始めました。
目指すべき天文部は御影学園の第一部室棟。
「現実、消えた時間、たぶん、5秒以内」
最後尾でピーシーが額に汗を浮かべながら二人を追いかけ階段を降ります。
「うへー、5秒か、俺のいた異世界と良い勝負かもなぁ」
ヒロは後ろ歩きのまま階段の踊り場まで下ると、今度は前を向いたまま階段を降りていきます。
「今のところヒロが行ってきたラプアップが一番現実との時間差があるよ、こっちの一秒が向こうで二年だし」
「んだなぁ、マンションのベランダから落下中に向こうへ転送されて……向こうで4年、ほんとこっちでも能力が使えてセーフだったぜ、じゃなきゃ普通にあん時地面にビタンで死んでたっての」
「占い部も天文部も嘆いてたよ、あんな予兆も無ければ、一瞬で帰ってくる奴を察知するなんて無理だって」
「おうともよ、おかげでしっかりと4年分はデカくなって帰ってきたからよ、そりゃもう両親も兄貴も困惑するはで大変だったよなぁ」
ニシシと笑うヒロはなぜか得意げです。
「あの時はおかげで関係者全員の記憶を書き換えたから演劇部のお歴々も過労死寸前だったよ、ヒロみたいな一般大衆にも知られた著名人が消えるのが一番ストーリーを擦り寄せするのが大変なんだから」
「おうおう言われた言われた、いっそのこと日本全域から痕跡を消した方が早いってよ」
「そっち、オススメ、気楽、今からでも、遅くない」
「ピーシーみたいにか? やだよ、俺は家族も兄貴も好きなんだよ、大体よ今日本中から記憶を消されたら俺の“能力値が下がる”じゃん、また下積みからやれってのかよ」
「大丈夫、即復帰、ヒロ、オッパイ、ポロリ、ガッポリ」
「あー無理無理、それ速攻でBAN対象だから、今はセンシティブな内容に対して結構規制が厳しいんだぜー」
「……残念、代案、メクル、ヒロ、水着、プロレス」
「ピーシー、発想がおじさんさん臭いしセクハラだよっとっと、……はい、到着、二人共お行儀よくね?」
ピーシーのオヤジ化が興に乗り始めたところで、三人は目的地に到着しました。
第一部室棟、一階、もう生徒達の気配もなく、廊下には静けさだけが伸びています。
並ぶ教室とその看板に、小さくこう書かれています。
御影学園『天文部』
もちろんただの天文部ではありません。
御影学園異世界問題担当部署において、最重要部なのが占い部に並ぶ天文部です。
時間と時空を超越し、次元と時候とを調律し、そしてこの世界を観測し続ける天文部。
未来予知を専門とする占い部と併せて現実世界の未来を守る御影学園の要でした。
そんな星々の要である部室の扉をメクルがノックします。
「お疲れ様です、図書委員実行部隊の綴喜芽繰です」
「右同じ、実行部隊、ピーシー」
「右に同じー、実行部隊、皇ノ火色」
少しして、横開きのドアが自動でスライドしました。
カーテンをかけた教室の中は真っ暗で、一見なんの変哲も無い教室です。
机があり、椅子があり、教壇があり、黒板がある。
生徒は一人も居ない、ただの無人の教室です。
「失礼します」
と、メクルは誰もいないはずの教室へ一礼し、勝手に開いたドアをくぐります。
すると、暗闇から目映い光が放たれました。
三人がもう慣れた事だと物怖じせず光の中へと進むと後ろ手にドアが勝手に閉まり出しました。
ドアが最後まで閉まると同時に、部屋に満ちていた光が収縮を始めました。
そして景色が一変します。
暗い教室だったはずの一室が、巨大な空間へと書き換えられていきます。
教室だったはずの空間の気圧が高まり、気温が上がります。
突如、南国の風が三人の髪を撫でました。
濃紺の青空、白い雲、そこは既に学内ではありません。
真夏を思わせる太陽光が降り注ぐそこは、植物園でした。
透明なクリスタルで覆われた巨大ドーム。
石畳の道にそって作られた水路を流れる清流に植物が育成され、色とりどりの花々が蜜の香りを漂わせ、ヤシの木が並び、南国原産木々が蔦をはり、垂れ下がった蔦の上には日本ではまずお目にかかれない蝶や鳥が羽を休めていました。
夏をテーマにした絵の具パレットのように鮮やかな七色鳥達の鳴き声が響き、さらに奥からは猿か何かの鳴き声まで聞こえてきます。
ここは南国、植物園。オマケに大きな25mプールまであります。
そんな巨大な植物園の中心に、これもまた巨大な骨組みだけの球体が鎮座しているが見えます。
「……暑い、死ぬ」
「いやだから脱げって、そのコート」
廊下までの気温が初夏の暑さだったのが、この植物園の中に至っては常夏。
汗がじりじりと肌を這い出す気温でした。
「やだ……ピーシー、脱衣、利益皆無」
「あのなぁ熱中症で人って死ぬぞー、本当に死ぬぞー、お前が死ぬと俺は悲しむぞー」
「……ヒロ、幾ら払う?」
それはつまり、脱いでほしかったらお金が欲しいという、なんともヒロの瞼を引くつかせる返答です。
「よぉし、そのまま蒸し焼きになってしまえ」
「はいはい、本当に体調崩すから脱ごうね、私が今度なにか奢るから」
額に汗を浮かべながらメクルがピーシーのコートに両手をかけました。
その時です、
「おおおおっと! ピーシーちゅわんのヌードになら私がマネーを出すぞー!」
どこからともなく声がしました。
少女の声ですが、言っていることはセクハラ以外のなにものでもありません。
「……あぁ、出たよ、だからあんま来たくないんだよなぁ、ここ」
見当たらない声の主に覚えがあるヒロは、悪い予感と共に眉を寄せてそっとメクルの後ろに隠れました。
すると、どこからともなく、
「あぁぁ~~~~ああっ~~~~~!!」
と、ゴリラに育てられた青年を模したような雌叫びで、ドームの天井付近から人影が飛び降りてきました。
天井までの高さはゆうに50メートル、そこから伸びた蔦をロープ代わりにして、スイングを開始。
某アメコミ主人公のクモ男を思わせるスイングで速度を上げながら蔦から伝えへと飛び移り、最後はメクル達の目の前をかすめるようにしてピンク色の物体が三人の頭上に向かって飛翔。
そして空中で見事な三回転捻りを決めてから、着地しました。
「決めのポーズっでV! 可愛さも合わせて100点満点!」
メクル達の目の前で、見事にポーズを決める桃色髪の少女は自慢げに胸を張ります。しかもなぜか水着です。白い競泳水着です。
ボリュミーな桃色の髪をサイドテールにまとめ、カラフルな髪留めが至る所に装着されている姿、流行のメイクにヘーゼルナッツ色の瞳、白い水着姿もあいまって巨大なフルーツパフェのような少女でした。
そして競泳水着パフェ少女は胸を張ります。
「星埜キラリ選手! 本日も見事な満点です! いやー素晴らしいスイングでしたね」
と、自分で自分を褒める少女、星埜キラリは鼻息を荒くしながらピーシーを見ました。
「やぁやぁピーシーちゅわん! おっす! めっす! な君と! 今からキィィィッス!」
そして飛びかかりました。野獣のごとくピーシーへとピンクパフェ少女が飛びます。
「きょ、拒否!」
と、声を引きつらせたピーシーの顔がマフラーからコートの下へ、甲羅へと潜る亀のごとく緊急収納されます。
そしてそのままメクルがコートを押さえてくれていたので、両手も引っ込めてしゃがむようにしての脱衣による緊急脱出です。
「もがっ!?」
ピンクの野獣の魔の手から早業脱衣術にて難を逃れ、キラリはピーシーの頭上を飛び越えコートへと頭から突撃しました。
そのままではコートを持っている自分も危ないと、メクルはコートを闘牛士のマントのようにしてサイドステップ、コートを手放し、これまた難を逃れました。
しかし、メクルの後ろにいたヒロには災難が訪れました。
「んぼふぅ!?」
「ふぉんごおお!! 私のピーシーちゅわん! いつのまにこんなボボボボインボインになったんだ! ふんふんふんごぉ! くんかすんかふおおおおお乙女の汗の良い匂ひがすりゅううう!」
すでに空となったコートの上から頭突きを放ち、貪りつくようにピンクの水着野獣がヒロへと覆い被さり、襲い出しました。さながら生肉に食いつくピラニア、兎を見つけた狼、子鹿にかぶりつくワニです。
「んだらぁッ! はなせ! どけ! 揉むな! つまむな! 金とるぞっ!」
コートで覆い隠されたヒロの胸に顔を埋めながら両手でモミモミを始める野獣はさらに鼻息を荒くします。
「ええんやで、ええんやで、お姉さん伊達に学校で一番稼いでないんやで、いくらや、いくらで今夜わしのもんになるんやピーシーちゅわん!」
「億積まれてもお前とは寝ねぇよ! てか人違いだっ!」
「なん、だと……言われてみれば私のピーシーちゅわんがこんなに急成長するわけない」
「そうだよ! だから放せ! このロリコン野郎!」
「……はっ、このGカップは……ヒロちゅわん?」
「どこで判断してんだてめぇ! そして掴むな! 回すな!」
「ああああこのバチクソエッッ……チィ! おっぱいも好きだああああああ!」
「ぎょあああああ!?」
ピンクの野獣はどこまで行っても野獣でした。
というか女の子ならなんでもいい野獣でした。
なすがままに揉みしだかれるヒロを見て、コルセットスカートの制服姿になったピーシーが、もしあのままコートを脱がなかったらと想像してゾッとしていました。
「ねぇキラリ、話があって来たんだけど」
さすがに一秒を争う中で話がこうも進まないのは不味いと、メクルは野獣を止めにかかります。
「もうちょい! もうひと揉み!」
「駄目、急いでるから、お願い」
「もう少し! もうひと舐め!」
「キラリ……奥付君が、消えたの」
ピタリ――、と野獣の動きが止まりました。
そのまま暑さと猛獣の猛攻でぐったりとしているヒロから離れるように静かに立ち上がると、ピンクの野獣、星埜キラリはくるりとメクルの方を向きました。
「……知ってるよ、最初に察知したの、私だからね……帰還者のことも」
先ほどまでの昂ぶりを一瞬で捨て去り、キラリは静かにメクルを見つめると、唐突に頭を深く下げました。
「ごめん! メクル!」
そして、大きな声で謝りました。
「私が帰還者の事を先に生徒会に報告したから、そのせいで奥付君の捜索が後回しにされたの、本当にごめん!」
深く、そして心の底からの謝罪でした。




