和村はみの十戒 後編
後編です。かたくならずに後編です。
食堂に集まった7人。
火急の議題は新井のことである。
「じゃあ、どういうことか説明して貰おうか」
槍玉にあげられたのは残った捜索チームだ。
「私が…とても迂闊だったわ」
「…化粧を直してもいい?」
「ダメに決まってるだろ! TPOを弁えろ!」
健は声を荒げる。
「…………新井くん…」
「まともに話せるのは和村くらいだな…これは」
小牧は腕を組んで俯いた。
「ええ…見たこと、起きたことを順序だてて話すわ━━
━━━━━━
【捜索チームに起きたこと】
まず、私の部屋に筆記用具を取りに行ったわ。
そして田中さんが水分補給をした。
そしたら蕗さんが自室である3号室に1人で入って、シャワーを浴びたいって言い出したの。
当然1人での行動は危険だからヤメるように諭したわ。
でも押し切られてしまった…
その時に、田中さんが…お花を摘みたいって言い出したの。
知ってると思うけれど、田中さんは新井くんの背中の上だったわ。
慌てて近かった私の部屋に行って、トイレに入れた。
新井くんと私が田中さんを待っていると、廊下から蕗さんの叫び声が聴こえたわ。
飛び出して3号室のドアを叩いた。
しかし、叫び声の主は蕗さんじゃなかった。
ボイスレコーダーだったのよ。
ボイスレコーダーの持ち主に思い至って血の気が引いたわ。
そう、持ち主は新井くんであり、新井くんは廊下に出て来て無かったんだもの。
開け放った筈の1号室には内側から鍵がかけられていた。
自分の鍵で開けたら…あとは知っての通りよ…
━━━━━━
「私の判断が甘かった…言い訳は無い。それが全てよ」
「2人とも、今の証言に訂正する箇所はあるかい?」
シタナガの質問に、2人は首を横に振った。
「田中さん、トイレから何か聴こえたりしなかった?」
「…………分からない…」
「分からないってことは無いだろう…」
「それに関しては、私もそのトイレを使ったから分かるわ」
「ん、話して貰おうか」
「トイレ用擬音装置が付いているのよ。音楽を流して排泄音を消すアレがね。扉1枚向こうに意中の異性が居るというのに使わない乙女はいないでしょう」
「まぁ、それはそうだな…」
「私が言うのもなんだけれど、ここに居ても疑問は晴れないわ」
「和村の言う通り、現場を検証するべきだな」
問題は誰が行くかということである。
「私に行かせて頂戴。このままでは終われないわ」
挙手する。
「私も行こう。気になったことがある」
小牧が続き、
「マジシャンの知識が必要でしょう」
シタナガも挙手した。
「俺も行く」
「いや、健はここで2人を見張ってくれ。捜索チームは全員容疑者なんだ。抑止力は必要だろう」
全員ってことは当然私も、か…
「…仕方ないな」
健は椅子にドスンと腰掛けた。
1号室。私の部屋である。
「さて。まず気になるのが、この血痕らしきシミだが…」
小牧は顔を近付けてにおいを嗅ぐ。
「…間違いなくミネストローネだ」
バレるのは想定内…というかむしろバレてくれないと困る。
「窓の鍵は閉まってますね」
「廊下に落ちていたボイスレコーダーも確認したが、一定時間後に女性の叫び声が上がる音声が記録されていた。新井の持ち物であったことは間違いない」
クリスさんが3階に呼び出された時に、新井が渡そうとしたことは皆が確認している。
「そして内側から鍵がかけられた部屋…ここまでは新井くんの犯行に間違いない筈よね」
私の犯行なんだけどね。
「しかし、消えたのはその新井くんなんですよね…」
「可能性は幾つかある。1つは、田中が新井を殺した可能性。1つは、和村が新井を殺した可能性。そして最後に、新井が自分の死を偽装した可能性だ」
「蕗さんが犯人の可能性はどうだい?」
「その可能性は低いだろうな。蕗が居たのが隣の部屋ならば、どうにかしてベランダからベランダに渡っての犯行も可能だろう。しかし、蕗の居た3号室は廊下を挟んで向こう側だ。俺たちが駆けつけた時に和村が廊下に居たことから、蕗に犯行は不可能だ。…今のところは」
今回の探偵役は小牧に譲るべきか。
「そして先程挙げた3つの可能性だが、どれにも少しづつ無理がある」
「無理?」
「順を追って考えよう。まずは田中か和村が新井を殺した可能性だ━━
━━━━━━
【殺害方法とその処理】
事件は料理。現場はキッチンみたいなものだ。
料理を見て、キッチンの状態を確認すれば、料理人がどう動き、どう調理してその料理を作ったのかが分かる。
まず気になるのは調理方法だ。
今回可能だったのは、切る、叩く、絞める、落とす。このくらいだ。
切るは不採用。現場に血痕も、拭き取った跡も無い。
次に、叩くと絞めるだが、これはそれぞれ田中と和村が取った可能性が高い方法だ。
まず、田中は男を絞め殺すには体格が小さすぎる。
目方だが、150センチ40キロ程度。筋力も少ない。
簡単に振りほどけるだろう。
だから鈍器などの凶器で撲殺した可能性が高いんだ。
逆に和村が鈍器などの凶器で撲殺したとなると、叩く音や新井が倒れる音を田中に聴かれてしまう。流石に擬音装置では隠しきれないだろう。
だから声が漏れにくい絞殺の可能性が高いんだ。155センチ50キロの和村なら道具を使えば可能だろう。釣糸とかな。
…ここまで言ってなんだが、このどちらであっても問題が残る。
それは遺体の処理だ。
現場に遺体が無いということは、海に投げ棄てられたと見て間違いないだろう。
しかし新井は165センチ、少し筋肉質で60キロくらいだ。
そしてベランダの柵は転落防止のためか、少し高めで140センチ。
短い時間の中で、意識の無い新井を田中や和村が140センチ以上持ち上げて落とすことが出来たとは考え辛い。
同時に、ベランダまで新井を誘って突き落とした可能性も薄くなる。
━━━━━━
「異論は?」
「私は40キロ後半よ」
『嘘を吐いたな。キミは少しイチゴ牛乳を飲みすぎだ』
うるさい。
「まぁ、とにかく田中と和村に犯行は難しいってことだ。特殊な装置でも無い限りは、な」
「では、結論は新井くんが自身の死を偽装したってことでいいのかな?」
「そうすると問題は、この部屋が密室になるってことだ」
「ですよね…和村さんには失礼かと思いましたが、事件発生時にこの部屋の隠れられそうな場所は全て調べました。しかし新井くんの姿は無かった…」
隠し通路には気付いているのだろうか?
「窓も扉も鍵がかかっていた…」
「隠し部屋でもあれば話は変わるんだがね」
2人は丹念に部屋を調べ始める。
「和村は調べないのか?」
「そうしたいところだけれど、変に触って証拠隠滅を疑われたくはないからね。捜査は2人に任せるわ」
「成程」
私は開け放たれたトイレを覗いた。
…便器の蓋が閉まっていて少しホッとする。
『考え過ぎだ』
いや、田中ってスレンダーだし、万に1つの可能性があるじゃない?
「お2人さん。これをご覧下さい」
そう言うと、シタナガはライターに火を着けた。
「火遊びしてると寝小便するわよ」
「いや、遊びというわけでもなさそうだ」
そのままシタナガはゆっくりとクローゼットに近付ける。
次の瞬間、火が吸い込まれるようにフッと消えた。
「ご覧になりましたでしょうか? やはり、このクローゼットに風が流れ込んでいるのです」
シタナガはライターをしまい、クローゼットに入って、奥の扉を叩く。
「間違いなく、隠し扉です」
押したり引こうとしたり、最後にスライドさせた。
「まさか…」
「梯子…だな」
「どうします?」
「降りてみるしかないだろう」
そうと決まれば問題は順番である。
「ここはレディファーストですかね」
「それは浴衣を着てるから? だったら問題ないわ、ちゃんと下に肌着を着てるもの」
捲って見せる。
「ちょっ! はしたないですよ!」
「そう?」
「もう、分かりましたよ! 私が先に行きます!」
何故か怒りながらシタナガは梯子に足を掛ける。
「次は私が行こう」
…待てよ、これはチャンスなのでは?
目の前に小牧の無防備な背中がある。
考えるタイムリミットはシタナガの後頭部が穴に飲まれる瞬間までだ。
そうだ考えろ…今は無茶?
しかし絶好のチャンスであることは間違いない。
問題は整合性が取れるかどうかだ。
シタナガの推理は"共犯者は新井"という方向に傾いている。
時間が凄く限られているリスクと、ここで小牧を退場させられるメリット…
仕掛人が上から降りてきて被害者を回収するという方法ならば、下まで行かなくとも、ベランダで事足りる。
━━星形消ゴムを朱肉に押し付け、シタナガの後頭部が見えなくなった。
「むっ」
背中にヒット。シタナガはカツカツと梯子を降りている。
「…しーっ、ちょっと来て」
窓を開けて小牧とベランダに出る。
ここで腕時計をバツになぞる。
"2人目は小牧くんか。意外だったね"
「その声…傘か…?」
「悪いけどすごい時間が無いわ」
"そうか、すぐ向かうよ。和村は引き続いて"
「…あぁ…やっぱりな。馬鹿馬鹿しい、考え過ぎだ…やられたよ」
察したようで、小牧は手すりにもたれ掛かった。
「遺体の処理を第3者がやったとなれば犯行は容易じゃないか…どうして単独犯に拘った…」
「そういうこと。悪いわね、じゃあ後は頼むわ」
クローゼットに戻った。
「次は私が行くわ」
「早くしてくれ、大変なことだ」
何とか間に合ったようだ。
階段を降りてシタナガと合流。
「降りたわ!」
誰も居ない上の部屋に声を掛ける。
「ここは…部屋?」
「そのようだね。恐らく食堂の前の部屋だ。鍵がかかってて開かなかった」
シタナガは机の引き出しを開けていた。
「鍵が2つある。1つは1号室の鍵の様だが…和村さんは持っているよね?」
袖から鍵を出して見せた。
「つまり、ここには上の部屋のスペアキーがあるということになる」
「もう1つの鍵は?」
「恐らくこの部屋自体の鍵だろう」
私は扉を確認する。
「鍵はしまっているわ」
「そして鍵もここにあるということは…新井くんはその扉から出ては居ないということかな」
私は鍵を開けて外を覗く。
「間違いなく食堂の前の部屋よ。ここから出たら食堂に居るクリスさんに目撃される可能性があるわ」
「つまり、新井くんはここに隠れはしたが、脱出したのは上の部屋から…ということになるね」
「…というか…小牧遅くない…?」
シタナガの顔が一気に青くなる。
「小牧くんッ!」
急いで梯子を上がるシタナガを追いかけた。
「居ない…隠れるような冗談をする人でもない…開いた窓…」
「……やられた」
「嘘…だ…」
犠牲者2人目。
▼
「落ち着いて聞いて欲しい…小牧くんがやられた…」
「何だってッ!?」
「この部屋から出た人間は?!」
私は語気を荒げて質問する。
「いない! 全員この食堂から1歩も外に出てはいないぞ!」
健が答える。
「間違いない…共犯者が判明した」
シタナガは推理を語りだす━━
━━━━━━
【共犯者の正体】
共犯者の正体は間違いなく新井くんだ。
1号室に、隠し扉を…隠し部屋を見つけたんだ。
最初の事件の時、恐らく新井くんはそこに隠れていた。
そして、我々が出ていったタイミングを見計らって、1号室の扉からのうのうと外に出たんだ。
食堂にいた人たちは外に出ていないし、私は和村さんと居た。
隠し部屋に降りる少しの隙を突かれて、小牧くんは…
我々のことをよく知っていたのも、今になってみれば怪しい。
推理小説家というのも嘘なのだろう。
━━━━━━
「共犯者は新井だッ! 聞こえているのかクソ野郎ォッ! もう終わりのハズだッ!」
健は叫ぶが、そんなシステムではない。それにハズレである。
「まだだよ…捕まえるまでは…終わらない」
「…………新井くん…」
「もう…どうなっちゃうのよ…」
「とりあえず…自分の鍵を回収するべきじゃない?」
「自分の鍵…? それなら持っているわ」
「違います、隠し部屋にスペアキーがあったんです」
私は2本の鍵、それから隠し部屋の鍵を見せた。
「そんな物が…」
「シタナガの話を補強するならば、隠し部屋は食堂の前の扉の中よ。新井はそこに隠れて、皆が食堂に集まるのを待っていたのよ。あの部屋なら足音でそれが分かるわ」
「もっと早く隠し部屋の存在に気付けていれば…小牧くんは…」
「シタナガの所為じゃないわ」
私の仕業だもの。
「ああ! 全てはあのクソ野郎と新井が悪いんだッ!」
新井、なんかごめんね。
「…………私…信じない…」
突然田中が立ち上がる。
「新井くんは。共犯者なんかじゃない」
「田中さん。いまさら個人的感情で意見を割る気?」
「違う。私だって。探偵。置物じゃない」
たどたどしく、でもハッキリと言い放つ。
━━━━━━
【田中の推理?】
私は。他人の感情が分かる。
今は。犯人の望みと違う。
犯人は。私たちが疑心暗鬼になって。いがみ合うのを見たいはず。でも。そうはならない。それは私たちが。探偵だから。
そうする為には。共犯者を。生存者の中に。混ぜないといけない。
共犯者が。消えた次点で。私たちは。いがみ合わない。
ただ。備えるだけ。
それは。犯人の望み。だから。共犯者は。この中にいる。
だけど。犯人も。共犯者も。暴走している。ただ。自分が。安全に。目的を。遂行。出来れば。良いと思ってる。
ふー…。ふー…。ふー…。
新井くんを。犯人にして。自分は。安全に。殺そうとしてる。
共犯者を。犯人を。
このまま。だと。また。誰か。死ぬ。
ふー…
━━━━━━
田中はバタンと倒れた。
「田中様!」
それをクリスさんがすかさず介抱する。
『過呼吸だ。分かっているだろうが、演技ではない』
分かってるわよ…
「何なの…オカルト?」
「いえ…何なのか…さっぱり…」
クリスさんと、目が合う。
もしかしたら田中はドクターストップで退場になるかもしれない。今にでもネタバラシして謝りたい気分だ。
…どうして十傘は彼女を連れて来た?
田中の心が弱いとは言いたくない。心なんて千差万別だからだ。決して強弱で測れるものではない。
しかし、こうなるとも予測出来ていた筈だ。それが分かっているなら彼女をこの舞台に近付けるのは間違っている。例え、探偵としての素質を確かめる為でも…
思えば集められたメンバーは凸凹だ。
旧くからの付き合いの人間もいれば、久しぶりに連絡が来たと言う健がいたり、私なんて面識も無いのに急にだ。
まるで数合わせに呼ばれたような。
「どうした和村。黙りこくって」
「いえ…」
犯人の望み…十傘は何故私を呼んだ…?
私に何を求めた…?
彼らが探偵としての素質を求められているならば、私は犯人としての素質を求められている…?
十傘は何を知っている…?
「和村はみ! どうした!」
とある雨の日がフラッシュバックする。
「分かったわ…」
間違いない。十傘は私の"過去"を知っている。
これは試験って訳ね…
「田中さんが言いたかったこと…しかと受け取ったわ」
やっぱり私は…まだ未熟だ。
「どういうことですか?」
「まずは鍵を回収しましょう」
▽
田中さんをクリスさんに任せ、私たちは今いる全員分の鍵を回収して食堂に戻った。
「で、和村。何が分かったんだ?」
「…ノックスの十戒って知ってるかしら」
「まぁ…聞いたことくらいなら」
蕗さんは目を閉じる。
「新井や田中さんなら明確に説明してくれるのでしょうが、簡単に言えば"推理小説において、やってはならないこと"をまとめた10のルールみたいなものよ」
「それと何の関係が?」
「クローズドサークル…集められた探偵…殺人事件…こんなフィクションに囲まれて、私までフィクションになるところだった」
「ちょっと! 話が見えないわ!」
「焦らないで、今から話すから━━
━━━━━━
【和村はみの十戒】
1つ、犯人は物語の始めに登場しているとは限らないと思え。
1つ、探偵方法に超自然能力を用いてでも犯人を見付け出せ。
1つ、犯行現場に秘密の抜け穴や通路が2つ以上あっても見逃せば探偵の過失である。
1つ、未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に使われた場合は専門家に相談しろ。
1つ、並外れた身体能力を持つ怪人は、頭脳で屈服させろ。
1つ、探偵たるもの偶然でも第六感でも何でも使って事件を解決しろ。
1つ、探偵自身が犯人になってはならない。
1つ、探偵は、手がかりを他人に提示する必要はない。
1つ、双子や変装による一人二役も見破れ。
1つ、“探偵助手”は最良の結果を目指して判断を下さなくてはならない。
━━━━━━
それが、私が自分に科した筈の十戒。
家達の言った"金払いが良ければ何でもするのが探偵だ"というのは、この十戒に違反していないことを前提としての発言だったのだ。
「つまり、オカルトでもズルでもチートでも。犯人を捕まえる為なら全力を尽くさなくてはならないのよ」
田中さん決死の推理で目が醒めた。
「行くわよ、家達」
『私の役目も、そろそろ終わりかな?』
「そんな寂しいこといわないで。見ての通り、まだまだ私は"探偵助手"なんだから」
私はパチンッと指を鳴らした。
終
穴先生の次回作にご期待ください。
…みたいな打ち切りエンド風ですが、次話に続きます。