斬り棄てられた夢、斬り棄てた夢
剣道はやったことないです。バレなきゃ重畳。
「えーこちらは女子学生剣道大会県予選を見事1位で突破した矢倉 紫帆さんです。今回、長年のライバルであった安登愛梨さんを破っての優勝おめでとうございます!」
「……はい…ありがとうございます」
「決勝で彼女に当たること通算6回! 初めての優勝、今の気持ちはどうですか?」
「……言いたいことを言って良いですか?」
「はい! 思いの丈をこのマイクに向かって叫んで下さい!」
「………ふざけるな!! 安登愛梨!! こんなのが勝利なものか!! 私はこの勝ちを認めない!!!」
「えー…スタジオにお返しします! …あっ! マイクを返して!」
「いいか安登愛梨!! 次の大会までにその弛んだ精神を正してこい!! でなければ私はお前を一生軽蔑するぞ!!!」
「い、以上です! 現場からは以上です!」
第3話[斬り棄てられた夢、斬り棄てた夢]
「……ふ…ぁぁ~へ」
『最近弛んでるな』
「仕方ないでしょ。学校は辞めたし、依頼は減るし、幻冬さんからは1ヶ月は謹慎するように言われるし、遅起きにも磨きが掛かるってものよ」
いつまで経っても鳴らない電話を見つめる。
「しっかし、みんな耳が早すぎるわよね」
まぁ、探偵に何かを依頼するなんて一生に一度あるか無いかだし。耳敏くなるのも当然だけどね。
『弓は弦が張りつめているからこそ力を発揮する』
「なんか難解な事件でも起こればねぇ」
そうそう起こるものではないことは知ってる。
しかし、一縷の望みを掛けて朝刊を開く。
「んー」
目を皿にするが、政治がどうの株価がどうの、芸能人の不祥事がどうのと、つまらぬ話題ばかりである。
「はぁーあ…私も雇ってもらえないか、秋水さんのとこにでも行ってみようかしら」
と、ここでインターフォンが鳴った。
新聞の勧誘なら契約してしまいそうである。
ドアスコープから外を覗くと…
「は?」
思わずそう声が漏れてしまうような相手が腕を組み立っていた。
「やぁやぁやぁ、これはこれは眉目秀麗質実剛健羞月閉花の生徒会長さんではないですか。最終学歴中学校卒業の無職に何の御用でしょうか?」
そう、安登愛梨である。
▽
リビングへと招いてお茶を出したが、安登愛梨は一言も発さなかった。ずっと言葉を選んでいるともとれる。
『依頼があるのだろうが、彼女のプライドがそれを邪魔しているな』
「……い、依頼が、あるのだけれど」
遂に発した。
「いやぁ、頭脳明晰才色兼備の生徒会長様からの依頼なんて場末の探偵事務所には荷が重いと思いますが」
『キミは意地も頭も悪いな。彼女の実家は金持ちだぞ』
「でもまずは話を聞きましょう。いい? 今から故意や過失に関わらず、3回まで嘘を許す。でもそれ以上嘘を吐いたら協力しないから」
━━━━━
【安登愛梨の依頼】
先日行われた剣道大会の優勝者が襲われて重症を負うという事件が起こったの。
犯人は刀に甲冑、それから頬当と呼ばれる仮面のような物を身に付けていたため、顔は分からなかったそうよ。
逮捕されたのは私の友人である八千代 六徳。
断じて彼女はそんなことをする人間ではないわ。
依頼は彼女の無実の罪を晴らすことよ。
━━━━━
「…へぇ」
傷害事件とは結構大きな話だが、まだニュースにはなっていないのか。
「先に断っておくけど、その八千代さんが犯人だった場合、協力は出来ないわ」
「だから! 彼女は犯人じゃないって言ってるでしょう!」
「それを決めるのはアンタじゃない。分かってるでしょ?」
「くぅ…」
『相当大事な友人の様だ』
「それとこれとは別問題よ。さて、拘置所にでも行きましょうか」
「留置所よ!」
▽
留置所にて。
幻冬さんが居ないことを確認しながら、顔見知りと何となく挨拶を交わし、受付を済ませる。
「…手慣れてるわね」
「職業柄、何度も来たことがあるってだけよ」
今日は運良く空いていたらしく、すぐに面談となった。
「こんにちは、自己紹介は必要かしら?」
アクリルの壁を隔てた向こう。
髪の短い女の子が座っていた。
「お、お前は! 師匠!? なぜこの女が!」
『お前だの、この女だの、随分な言われようだな』
その内"このビッチ!"とか言われそうね。
「陸徳、良く聞いて。私の力だけでは陸徳を救うことが出来ない。だから和村はみに協力を依頼したの」
「そ…そんな…」
帰って良いのだろうか。
「師匠ぉ~! 私の、為に、恥を捨て、て、こんな極悪、非道と、手を組む、なんてぇ~!!」
よし帰ろう。
「待ちなさい」
肩を捕まれた。出るとこ出て暴行罪で訴えるぞ。
「そこでだけれど。彼女に、逮捕された経緯を教えてあげて」
「はい! 師匠の頼みとあらば!」
━━━━━
【八千代陸徳が逮捕された理由】
八千代陸徳です!
大地の"陸"に徳川の"徳"でリクです!
えっ、いいから説明しろ?
分かりましたよ…
えっと…朝起きたら、道場に…あっ、私の実家は剣道場でして"殺人剣"を教えてるんですよ。
そんな怖い顔しないでください。
詳しい話を省いて言えば、先手を打つのが殺人剣で、先手を取らせて先を取るのが活人剣って名前になってるだけです。
話を戻しますね。
道場に警察の方が来てたんですよ。父が呼んだみたいでした。
何事かと思って見たら、道場に飾られてある刀と甲冑に血がベットリと付いていたんです。
それで、警察の人に色々訊かれて答えていたらいつの間にかここにって感じです。
━━━━━
「はぁ。ちなみにその色々って?」
「昨日は何してたとか…矢倉さんとの関係とか訊かれてましたね」
「それで、何て答えたの?」
「その日の前の日は…夜中までランニングしててぇ…帰ってお風呂入って寝ました。矢倉さんとはライバル…ですかね。1度も勝ったことありませんけど」
なるほど。
「刀は扱えるの?」
「はい! 習ったからワリと何でも斬れます!」
「あ…そう…」
アリバイ無しで、試合でいつも負けているという動機はあり。
刀も扱える。
多分、もっと調べれば彼女が犯人である根拠が幾つか見付かるのだろう。
「ふーん」
それに、彼女は何かを隠している。
「それで?」
「それでと言うと?」
「真犯人を見付けるって依頼を受けてくれるのかしら?」
「うーん、そうね」
家達が出てこない。
いつまで経っても出てこない。
「保留」
「ほ、保留?」
「そう保留。まずは彼女のお家にでも行きましょうか」
「だそうだけれど、良いかしら?」
「もちろんです師匠! 御武運を!」
▽
「"八千代剣道場"とは分かり易くて助かるネーミングね」
「分かりにくくする意味も無いからね」
こういう時の作法は知っている。
「たのもーう!」
思いっきり門戸を叩いたら、頭を叩かれた。
「痛ッ! なにすんのよ!」
「愛娘が逮捕されてしまったのだから相当傷付いているはずよ。あまり巫山戯ないで」
『今回は彼女に理がある』
へぇへぇ。
「ごめん下さい」
ややあって髭面の男が出てきた。
「どちら様ですか。おや、愛梨ちゃんじゃないか」
「こんにちは。こちら、八千代 京兆さんよ。そしてこっちが…」
「探偵の和村はみです。陸徳さんが拘置された件でお話を伺いに参りました」
「ほぉ、こんなに小さいのに探偵さんか」
身長は関係ないだろ!
「付いて来なさい。お茶を淹れよう」
「おじゃまします」
道場の中は、い草のにおいで満ちていた。
「あの舞台みたいな所に刀と甲冑があったのね」
「正確には床の間よ。そうね、こうして見るとポッカリと穴が空いたようだわ」
画竜点睛を欠くというべきか、何処と無く物足りない雰囲気なのは気のせいではなかったようだ。
そのまま裏口から出て中庭を通り、普通の一軒家に入る。
「中庭って金持ちのバロメーターのイメージがあるわよね」
「残念ながら鯉なんかは飼ってないよ」
さいですか。
居間に通され、暫くしたらお茶が出てきた。
「うーん」
恐らく淹れ慣れてないのだろう。雑な味がする。
「用件はウチの娘のこと…だね」
「もっと言えば、逮捕された当日のことを聞かせて欲しいわね」
「逮捕の当日…か」
京兆さんは髭をなぞる。
「正直なところ、あまりのことに記憶が飛び飛びなんだが、大丈夫かね?」
私は静かに頷いた。
━━━━━━
【八千代陸徳の拘束に至るまで】
早朝、道場に入ってすぐに"イヤな臭い"が鼻についた。
血の臭いだ。
見ると、刀と甲冑にベットリと血が付いていたんだ。
すぐに警察へと連絡した。
到着した警察官から、矢倉紫帆ちゃんが何者かに斬られて病院に運ばれていたと知らされた。
道場のセキュリティや刀の取り扱いの話をしていると、陸徳が起きてきた。
幾つか話しをしていると、重要参考人ということで陸徳が連れていかれてしまったのだ。
━━━━━━
「なるほどね」
話の流れは八千代陸徳が言ったことと同じだ。
「ちなみに、セキュリティの話をしたって言ってたけど、内容は?」
「表の玄関はしっかりと施錠しているし、こじ開けられた形跡もなかった。しかし、中庭側はいつも鍵を開けている…いや、正確に言えば"鍵が壊れていて閉まらない"…そう言った」
「そりゃあまた、ズボラなことで」
「いつか直そうと思っていたんだが、なかなか切っ掛けが無くてね。そのままにしていたよ。自宅から中庭側の扉がよく見えるし、人感ライトも付けているから大丈夫だと思ってたんだ」
きっと、中庭も含めて自宅内という感覚だったのだろう。
「それで、刀と甲冑は警察が?」
「ああ。証拠品として持って行った」
なら簡単な話じゃないのだろうか。
「仮に犯人が甲冑を着て矢倉さんとやらを襲ったなら、甲冑の内部に犯人のDNAが付着してるんじゃない?」
現実の警察は相当に有能だ。すぐに犯人も判明するだろう。
「それが、そうもいかないのよ」
口を挟んできたのは安登愛梨。
「実はその甲冑は仰々しい物じゃなくて、ここの門下生なら誰でも着て良い物なの」
「なんて?」
「レクリエーションみたいなもので、甲冑を試着するイベントを定期的に開催しているんだ」
「つまり門下生一同、はては体験で見学に来た人まで、色んな人のDNAが詰まっている筈なのよ」
それは警察も手を焼くでしょうね…
「すまんな…少しでも剣道に興味を持って貰おうとしてやっていたことなんだ」
男ってそういうの好きだもんね。
『女だって好きな筈だ』
否定はしない。
「じゃあ刀も?」
「いやぁ、刀は流石に危ない。扱うとしたら、たまに私や陸徳が中庭で巻藁を斬ってみせるくらいだよ」
巻藁なんて初めて聞いたが、恐らくは刀のデモンストレーションでよく斬られてるアレだろう。
カカシの手がないようなやつ。
「小さい頃から侍に憧れてたのだけれども、ここに通えば、私にも刀の扱いを教えてくれるのかしら?」
「ははっ、無理だ。もう誰にも教える気はないよ。陸徳みたく見て盗むんだね」
見て盗めるなら私は今頃皆伝だろう。
「それで、何か分かったかね?」
「そうね…確かにこれでは八千代陸徳が犯人と疑われてもおかしくないわ」
「どういうことだね?」
「今はまだ何とも言えません。次は矢倉さんのとこにでもいきましょうか」
手早く礼を言い、道場を後にした。
▽
パトカーの涼しさに焦がれながら、安登愛梨と病院に向かう。
「京兆さんを安心させる一言くらい言えないのかしら?」
「そりゃあ犯人候補の1人だもの。易々と推理を披露することは出来ないわ」
「京兆さんがそんなことする筈が無いわ」
「朝からそればっかりね。ちなみに生徒会長様も犯人候補の1人よ」
「それはそれは光栄ね」
『キミは少し信用を知るべきだな』
信用し過ぎて、真犯人が分かった途端に後ろからバッサリは御免だわ。
『ところで気付いているだろうね』
家達が言うのは恐らく、八千代陸徳に続き、八千代京兆も何かを隠しているってことだろう。
「犯人候補が後ろに居るのに気付いたことを言える筈が無いじゃない?」
「なんですって?」
立ち止まり振り向くと、安登愛梨に怪訝な顔で睨まれる。
「まさか本気で言ってるのかしら?」
『女王と和解すれば便利なことも多いだろう』
「私はミニマリストの気があるのだけれど、推理に関してはマキシマリストよ。少しの可能性も捨てないわ」
「呆れたわね。あの時、私が勝ったことをまだ根に持ってるのかしら?」
「アレを勝利と言い張るのならどうぞご自由にお持ち帰り下さい」
「ああそう! 犯人を間違えた真の勝利者がここに居るわけね」
『…和解は遠そうだ』
「……ニシンは英語で?」
「は!?」
「スマホを使うんじゃあないわよ」
「ヘリング。いきなり英語テスト?」
「熊は?」
「バカにしてるのかしら?」
「あらご存知無いのかしら?」
「ベアー!」
「じゃあカッパは?」
「は?」
「分かるまで私に意見しないこと。いいわね?」
「日本原産の妖怪の英訳なんて知ってるワケないじゃない!」
しかし根が真面目なのか、ブツブツと唱えながら考えて始めた。
病院に到着。
「矢倉紫帆さんのお見舞いに来ました」
友人として署名し、身分証を提示したのち、病室の番号を教えられる。
「居ないわね」
しかし教えられた病室はもぬけの殻だった。
近くの看護士さんに訊くと、どうやら先客と共に面会室にいるらしい。
とんぼ返りで面会室に向かう。
「最近歩き回ってばっかりだわ…」
面会室にはスーツの女性と入院服を着た女性の2人しか居らず、特定は容易であった。
「お取り込み中のところ失礼」
スーツの女性は手にしていたメモ帳をスッとポケットにしまう。
左腕から左手にかけて包帯を巻いた入院服の女性は恐らく矢倉紫帆であろう。こちらを見て明らかにムッとした。
「ああ、愛梨ちゃんと…和村はみちゃんね」
こちらは知らないが向こうは知っているというのは何とも気持ち悪い。
「私は蟹村 刹那よ。"週刊剣道"で記者をやっているわ」
世の中には色んな雑誌があるものね。
「安登愛梨! 帰れ!」
矢倉さんは急にそう言い放つ。
「……そうね。分かったわ」
私の時とは違い、大人しく引き下がる安登愛梨。
面会室を出て行ってしまった。
「犬猿の仲ってヤツ? 高校生にもなってケンカはみっともないわよ」
『キミが言うか』
「失礼した。私はキミの事を知らない」
随分と直球で言う人だ。
「和村はみ。安登さんの依頼で事件について調べてるわ」
「警察にはもう話した」
「だから私にも同じ話を…ね?」
「断る」
「…理由は?」
「恥じるべき話だ。本当は警察にだって言いたくなかった」
ふぅん。
「あの、和村ちゃん。いま来たところで悪いんだけどね、私たちが来てからは30分経つわ。そろそろ休ませてあげましょう?」
「ご心配、痛み入ります」
そう言われてしまっては仕方がない。出直そう。
「それじゃあ、紫帆ちゃん。行きましょう」
「いえ、一人で戻れます」
そう言うと、矢倉さんは言葉通りキビキビと歩いて出て行ってしまった。
「あらら」
「蟹村さんは何の用事で?」
「剣道大会県予選の勝利者インタビューだったんだけどね。気付けば取り調べみたいになってたかも」
「聞かせて貰えますか?」
「うーん…プライバシーもあるし…」
「話せることだけで大丈夫ですので」
「…そうね、どうせ記事にするから。少しだけなら話せるわ」
━━━━━━
【矢倉紫帆のこと】
先の剣道大会県予選で優勝したということは周知として、彼女は勝ちにまったく納得してなかったみたい。
その理由は……ね。
ともかく、優勝した次の日、彼女に1通の手紙が届いたらしいの。
"優勝したと思えないなら来るといい"って。
指定の場所は、この近くの手走公園だったみたい。
夜中に竹刀を持って指定の場所に行くと、甲冑を着た人物が立っていて、腰の刀を抜いて襲いかかって来たそうよ。
そして左手を斬られた。
気が付いたら病院だったんだって。
神経を痛めたみたいで、手に痺れが残っちゃうみたい。
………選手生命は絶望的だそうよ。
━━━━━━
「…そう」
『冷めたフリはキミの得意技だな』
怒りに任せてたら分かるものも分からないわ。
「和村さん。今日はこのへんにしときましょう。インタビュー記事の載った週刊剣道は明後日に出るから良かったら読んで」
「分かりました」
少し脚を引き摺りながら退室する蟹村さんと入れ替わりに、安登愛梨が入ってくる。
「今日の捜査は終了よ」
「犯人が分かったの?」
「まだよ。もう一度、矢倉紫帆さんに会いに行くけど…」
「……また怒らせちゃうから、私は辞退するわ」
「でしょうね」
安登愛梨と別れ、一人で階段を上る。
「…キミか」
矢倉さんは、二重になった窓に映る夕暮れの街を見つめていた。
「犯人は必ず捕まえるわ」
「そうか。有難う」
「それだけ」
踵を返した私の背に声が掛かり、そのまま背中で聞く。
「甲冑の奴から、物凄い執念を感じた。刃を合わせたから分かることだ。どんな人間で、どんな声なのかは分からない。性別すら分からない。しかし、それだけは感じることが出来た」
「…そう。貴重な情報をありがとう」
「仇討ちを他人任せとは情けない話だ」
それが、証言を拒んだ理由だろうか。
「いいえ、これは仇討ちなんかじゃない」
風がカーテンを揺らす。
「ただの処罰よ」
その風に乗り、手走公園に向かった。
病院からは信号の1つも挟まずに行ける。
昼過ぎからは子どもたちで賑わっているが、夕方からは人が減り、夜や朝には無人になる。そんな公園だ。
今は立ち入り禁止テープが張り巡らされ、警察が常駐していた。
「こんにちは、猫目巡査長」
「こんにち……あ、マズいよ! はみちゃん!」
「幻冬さんは?」
「後ろだ」
振り向けば幻冬さん。
「あの程度で懲りる和村さんではなかったな…入れてやれ」
「いいんですか?」
「もう犯人は決定的なんだ。大丈夫だろ」
「へぇへぇ」
現場検証もほぼ終わっていたらしい。
「荒らされた形跡も、争った形跡も少ない」
「被害者は竹刀を持って行ったと聞いてるんですが」
「"真剣"対"竹刀"ではな…流石に真剣に分があるさ」
更に甲冑まで着てたら、その差は絶望的だろう。
「警察は八千代陸徳が犯人の線ですすんでるんですか?」
「ああ。犯人である条件は絞られている」
「道場に怪しまれずに侵入出来る。甲冑を使用しても個人を特定する痕跡が残らないと知っていた。真剣の扱いに慣れていて、県一番の矢倉紫帆から一本取れる。矢倉紫帆に、勝負事に関して恨みがある。そんな人物ですよね」
「流石は名探偵だ」
本当に八千代陸徳が犯人なのだろうか…
否定する材料は見付かっていない。
それに、八千代陸徳も、八千代京兆も、"何かを隠していた"。
それは一体何なのか…
「ちなみに刀と甲冑はどうされましたか?」
「証拠品として警察が預かってるよ」
じゃあ私が調べたところで今更だろう。
「和村さん。悪いことは言わない。今回は警察に任せなさい。個人で調べるには被疑者が多すぎる」
頭を抱える私を見かねてか、幻冬さんが言う。
「もう少し、勾留したまま待って貰えませんか?」
「そのつもりだが、あと4日が限度だよ。その辺りでマスコミが嗅ぎ付ける。そうしたら警察は八千代陸徳を犯人として押し切るだろう。どうにも"無実の高校生を勾留"という見出しは避けたいらしい」
「つまり八千代陸徳が勾留されているのは、ごくごく限られた関係者しか知らないんですね?」
「…警察とご両親、それから深い親交のあった安登愛梨さん。あとはキミくらいだ」
何か…引っ掛かりがあるのだ。
重要な可能性を見逃しているような…
『さてね』
訊いてもないのに家達は肩を竦める。
「分かりました。あと4日以内に、なんとしても真相を暴きます」
▽
翌日。
「どうするの? このままじゃ陸徳が犯人にされてしまうわ」
安登愛梨に朝から押し掛けられる。
「考え中」
「そんな悠長な!」
「…そうね。悠長な話かもしれないけれど、なぜ矢倉紫帆に嫌われてるか話して貰える?」
「な…何でそんな話を…」
「カッパは英語で?」
「…分かったわよ!」
『便利な方法を見付けたな』
調べればすぐ分かることだろうに、彼女の生真面目さが窺える。
━━━━━━
【安登愛梨と矢倉紫帆】
彼女は私を越えようと努力してきた。
公式では6回。非公式含めれば20回くらいの試合をしてきたけれど、その全てで私が勝ったわ。
直接"憧れだ"と言われたこともあった。
しかし、今回の大会では…色々と思い悩むこともあって、試合中も気が散って仕方がなかったの。
そして、矢倉さんに負けてしまった。
彼女は怒り狂っていたわ。
当然よね、己の総てを懸けて越えようとしている相手が上の空なんだもの。
それからずっと、昨日みたいな調子ってわけ。
━━━━━━
「上の空だった理由は私に負けたから?」
「……ええ、そうよ」
いやに素直だ。
『彼女自身、吐き出してしまいたいことでもあるのだろう』
「あの裁判だって、私が勝って、アンタと予求が謝罪し反省すれば退学なんてしなくてもナァナァで終わってた。そうするつもりだったのよ…」
意外なことに嘘ではないようだ。
「だけど現実は、私が負けたのに2人は自主的に退学して、止めようが無かった。陳腐な言い回しかもしれないけれど、"落ち続けるジェットコースター"に乗ってる感覚だったわ」
「ふぅん」
「自分の一挙手一投足が、ここまで他人の人生に影響を与えるのかと思ったら、怖くなってしまって。人との関わり方について悩むようになってしまったの」
『その悩みを解決するのは簡単だ。何よりも一番に他人を想うだけなのだから』
「悩むことは良いことだわ。分かったフリをするよりも何倍もね」
「…私の恥ずかしい自分語りはここまで! さっさと真犯人を見付けに行くわよ!」
と言われても、羅針盤が無い。
無策であちらこちらに行ったところで分かることでもないだろう。
「というか、"安登"。学校は?」
「…む。親友が捕まってるのに、そんな悠長なことをしてられないわ」
「私みたいにならない為にも行くべきよ。時間は大切にね」
安登は納得いかない顔をしていたが、しぶしぶ登校に了承した。
リビングに独り。
いや、2人か。
「家達ぅ~…犯人教えてよ~」
『可能だが、それで良いのか?』
知ってるんかい。
『キミは少し成長するべきだ。今回は自分で解くんだね』
「八千代陸徳の人生が懸かってるのよ」
『脅しのコツは、短く少なくだ』
「さいですか」
こういう時は基本に立ち戻るものだ。
捜査は足で稼ぐ。これしかない。
━━8時間後。
「足では稼げなかったよ…」
リビングのソファーに寝転がる。
『収穫が無かった訳ではないだろう?』
「何があったのよ」
『健康』
無視してテレビを点けた。
"今回のお宝は、屋根裏部屋から発見された日本刀"
「随分とタイムリーな話題ね」
"伊達政宗公が愛用したとされる太鼓鐘貞宗の試作品なのだそう。果たして本物なのか!?"
スタジオでは専門家の先生がなにやら解説している。
「高いもんなの?」
『値が付かないほど高価な場合もあるそうだ』
哲学ね。
"それでは参りましょう、オープンザプライス!"
「どうせ偽物でしょ?」
"一…十…百…千…万…十万…百万…一千万…"
はぁー。
"なんと五千万!!"
「やば」
『言葉使いが悪いぞ』
"こちら、太鼓鐘貞宗の試作品では無いのですが、彦四郎貞宗の作品であることは間違いありません。国宝級ですな"
彦四郎貞宗についての解説や刀の説明が流れる。
「…ああ……クソッ…」
『他人の幸は苦虫の味かな?』
「違うわ…いや、凄く不本意なのよコレは…」
行き詰まった探偵が、ふとしたことから真実に気付く。
「……何で気付かなかったのかしら…本当に悔しいわ…」
そんなベタなことを自分がするとは思わなかった。
『やっとか』
「ええ、犯人が分かったわ」
▽
朝から安登を呼び出した。
「竹刀を持って来いって…いきなり何かしら。言われた通り、これから学校に行くところなのだけど」
「親友が捕まってるのに、学校に行くなんて悠長なことを言うつもり?」
「はぁ、はいはい。ジョークね。お上手」
「真犯人が分かったわ」
安登は呆れ顔を一変させる。
「本当に!?」
「ええ、まだ疑惑の範疇なのだけれどね」
あからさまに肩を落とす。
「しかし、安登のカバンの中に確信に変わる証拠が入っているかも」
安登は躊躇なくカバンをひっくり返す。
「探して」
『この件に関して、彼女は誰よりも本気だ』
私も結構本気よ。
「………あった。"週刊剣道"。やっぱり毎回購読してるのね」
「好きだからね」
「突然告白されても照れるわ」
「………」
無視された。
「えー……とっとっと。あった。矢倉さんに関する記事よ」
━━━━━━
【現代のワルキューレ現る!?】
女子学生剣道大会注目の矢倉紫帆さんが何者かに襲われる事件が起きた。記者の取材によると、犯人は甲冑を着ており、出会い頭に刀を抜いて襲いかかって来たそうだ。犯人は未だに捕まっておらず、警察の捜査に期待が掛かる。
矢倉紫帆さんの命に別状は無かったが、利き手に痺れが残り、選手生命は絶望的との診断が下された。女子剣道界にとっては大きな損失だろう。
記者は、戦死者の魂を運ぶとされるワルキューレを思い出す。戦場で生きる者と死ぬ者を見定め、死ぬ者の魂をオーディンの許へと連れて行き、終末戦争に備えると云われている。
ワルキューレが矢倉紫帆さんを連れ去ろうとしたのか、単に狂人の犯行か、警察からの続報を待ちたい。(蟹村)
━━━━━━
「やはりね。私の中で確信に変わったわ」
「どういうこと?」
安登の疑問は置いといて。
「家達。答え合わせはいいかしら?」
『構わないよ』
「犯人の名前は?」
『単純明解1つの真実。━━犯人はキミが思っている人物だ』
やはりね。
『こればっかりは、土が天から降ろうとも、雨が地から昇ろうとも、揺るがない』
「間違いない。犯人は"蟹村刹那"よ」
「せ、刹那さんが…そんな…」
「カッパは英語で?」
「レインコート。分かってるわ…固定観念に囚われるなって言いたかったのね。刹那さんのところに行きましょう」
「…上出来よ」
私は電話を取った。
▽
出版社に連絡を取ると、案外簡単に蟹村刹那に会うことができた。
疑われてるとすら思ってないのだろう。
「愛梨ちゃんに、和村ちゃん。一昨日ぶりだけど、今日はどうしたの?」
「自首を勧めに来ました」
一気に表情が固まる。
「うーん。どういうことかな?」
トボけるのならキッチリと言ってやろう。
「矢倉紫帆傷害事件の犯人として自首することを勧めに来ました」
蟹村刹那はボールペンの頭で頭を掻く。
「えっと…お遊び…って訳でもなさそうね」
「そこまでよ」
安登が私と蟹村刹那の間に割って入る。
「刹那さんに犯行は不可能だと思うの」
……なるほどね。そういうことか。
「その根拠を教えて欲しいわね」
「分かったわ」
━━━━━━
【蟹村刹那について】
刹那さんも剣道経験者なのだけれど、矢倉紫帆さんに勝ったことが無いわ。
いいえ、それどころが、刹那さんは矢倉紫帆さんとの試合中に脚を怪我してしまった。それが切っ掛けで剣道を辞めてしまったし、今でも少し脚を引き摺っているわ。
だから、万全の矢倉紫帆さんに刹那さんが勝てる筈が無いって訳。
酷い言い様だけれど、競技者としての公平な見解よ。
更に、その脚では八千代剣道場に侵入するのも難しいでしょうね。
中庭側の鍵が壊れていたとはいえ、中庭に入るには塀を越えなくてはならないし、なにより人感センサーがある。バレないように侵入して、刀と甲冑を運び出すなんて土台無理よ。
━━━━━━
「まぁ…酷い言われ様だけど、真実ね」
「反論はある? 和村はみ」
安登も安登で、キッチリ負けたい思いがあるのだろう。
『勝っても、負けても、人は前に進める』
だから、ちゃんと勝たないといけないし、ちゃんと負けないといけないのだ。
「ふふ…じゃあ反論させて貰うわね。まずは決闘に勝てたかどうかについて」
━━━━━━
【蟹村刹那が矢倉紫帆に勝てた理由】
簡単に言えば、"剣道"対"犯罪"であり、犯人が矢倉紫帆を研究し尽くしたから勝てたってだけよ。
剣道は気剣体を揃えなくちゃ一本が取れないし、一本取ったところで審判の居ない所では、そんなもの何の役にも立たないわ。
一方、犯人は刀やら甲冑やらを持ち出して少しでも擦ればダメージを与えられる。有利不利どころの話じゃないわね。
付け加えて。
現場にはあまり争った跡は無かったそうよ。つまり、立ち会いで決着がついたってこと。
これは犯人にとってメリットが少ない選択よ。
かなりのアドバンテージがあるからじっくり攻めるべきなのに、勝負を急いだ。まるで持久戦にもつれ込ませたくない理由があるみたいに、ね。
長居すると目撃される恐れがあるから急いだって反論は無駄よ。
被害者を生かしている時点で、存在がバレることは確実なんだから。犯人もそこは前提として動いている。だから甲冑を着込んで、頬当まで着けたのね。
そして、その立ち会いを確実に制するには、膨大な研究が必要だったしょう。
何十何百と矢倉紫帆の立ち会いを見て、癖を見抜き、そこを一点に攻めなくてはいけない。
そう考えると、剣道の記者って都合の良い職業よね。
試合どころか稽古まで見れるし、怪しまれない。
━━━━━━
「さて、どうかしら?」
「刀…真剣は訓練が無くては扱えない。斬ることすらままならないだろう。それを素人の刹那さんが扱えたという根拠は?」
八千代陸徳、八千代京兆が隠していたことについて、安登は知っていただろう。しかし、これは私が信用せずに訊かなかっただけのことである。反省点だ。
「その説明は次に一緒にするわ」
私は蟹村刹那を見る。
「蟹村刹那。反論は?」
「私が紫帆ちゃんに勝つなんて無理だと思うけど、無理である証明なんて出来ないものね」
証明は簡単だ。事件発生時にアリバイがあれば良いのだから。
まぁ、アリバイなんてある筈が無いけれど。
「じゃあ次の推理を話すわ」
━━━━━━
【刀と甲冑】
犯人は…いいえ、まどろっこしい言い方はやめましょう。
蟹村刹那は道場の鍵を使って表から入った。そして刀と甲冑を持ち去ったってわけ。
と、言うは簡単だけど、鍵はどうしたとか、どうして刀の扱いを知ってたかとか、疑問は沢山浮かぶはず。
それらを一挙に解決する推理があるわ。
それは、"蟹村刹那は八千代家の娘だった"ってこと。
勘当でもされているのでしょうね。
理由は知らないけれど、八千代陸徳、八千代京兆が口に出さずに隠していたところを見ると、ケンカ別れでしょう。
"アイツはもう八千代の人間じゃないから話題に出すな"そんなセリフがありありと再生されるわ。
━━━━━━
「反論は?」
「刹那さんの略歴は私も知るところだけれど、八千代の人間というだけで刀が扱えるというのは暴論じゃない?」
「そうでも無いわ。思い出して。八千代陸徳は刀の扱いを"習った"と言ってたのに、八千代京兆は"見て盗んだ"と言っていたわ。少しの言い回し違いに感じられるかも知れないけれど、ここに"姉"という存在、そして八千代京兆の"もう誰にも教える気はない"という言葉が挟まれば、筋の通る違いになるじゃない」
八千代陸徳は、当時八千代刹那から内密に教わっていたのだろう。
妹とは姉の真似をしたがるものなのだ。
『違いない』
アンタはいい加減に姉なのか兄なのかくらい教えて。
「本当に、言葉の一欠片も見逃してないのね。完敗だわ」
「マキシマリストは伊達じゃないわ」
「…待って、口ぶりから察するに…陸徳が捕まってるの?」
やはり知らなかったのか。
「そうよ。アンタが自首しないと、冤罪人の出来上がりになるわ」
蟹村刹那は目を伏せた。
「いえ、犯罪を犯してないのに、自首は出来ないわ。証拠は無いんでしょう?」
動揺が見られる。
「そうね。でもアンタが犯人である根拠があるわ」
私は一冊の本を付き出した。
「週刊剣道…出たばかりの今週号ね」
矢倉紫帆特集のページを開いた。
「"現代のワルキューレ現る"この見出しに、凄い違和感を覚えたの」
「どうして?」
「県内最強の女子剣道家が斬られたとなれば、真っ先に浮かぶ犯人像は"男性"であるはずなのよ。悔しいかな基本的には体格も筋力も男性の方が優れているしね。…なのに、見出しでは女神の名前が出ている。きっと"私が矢倉紫帆に勝った"という自尊心が記事に滲み出てしまったのでしょうね」
「そ、それは紫帆ちゃんが、相手は女だったって言ってたから…」
「とうとう苦し紛れに嘘が出たわね。矢倉紫帆は言っていたわ、"どんな人間で、どんな声なのかは分からない。性別すら分からない"って」
「………」
蟹村刹那は項垂れた。
「…見出しに女神の名前を使ったからって…犯人になるわけじゃないわ…そんなもの証拠じゃないもの」
「証拠がまだ無い。それは確かです」
「愛梨ちゃん…」
「だから今なんですよ刹那さん! 今なら自首することが出来るんです!」
私はこの後、幻冬さんにこの事をタレ込むつもりだ。
犯人さえ分かれば、きっと証拠は見付かるだろう。
「犯人が不明な時点で名乗り出れば、それは自首となって、減刑の対象になる。しかし、犯人が判明してから名乗り出ても、それは出頭であり、減刑の対象になりづらい」
「……私じゃないわ」
「刹那さん!」
「はい、ここまで!」
私はパンッと手を叩いた。
「どういうこと?」
「犯人は明らかになったし、私の仕事はここまでってこと。別にどう裁かれようが知ったこっちゃないわ」
「和村…貴女ねぇ…」
「さて、じゃあ次のイベントに行きましょう。時間が少し押してるから早く付いて来て」
戸惑う2人を尻目に、私は約束の場所へと向かった。
▽
その場所とは、手走公園である。
「幻冬さん、矢倉さん。お待たせ」
「いきなり呼び出して、何の用かな?」
「和村はみ。話は本当だろうな」
「本当よ」
私は安登の背中を押す。
「…まさかとは思うんだけれど」
「そう。そのまさかよ。ここで再び決勝戦を行うわ」
「だから竹刀を持って来いって言ったのね…」
矢倉さんは専用の袋から竹刀を取り出す。
「幻冬さんは審判をお願いします。警察も剣道が必修なんでしたよね?」
「おいおい…正確なジャッジを期待しないでくれよ?」
幻冬さんは持ってきていた、剣道防具の面を2人に渡す。
「流石に一式は無理だった。危ないから面以外を狙うのは反則とする」
「御意」
「…本当にやるの?」
「安登愛梨。怪我のことなら心配無用だ。今度こそ全力で願おう」
2人が向き合い、礼をしたところで私は蟹村刹那とベンチに据わった。
「これから世紀の対決が見られるってのに浮かない顔ね」
「…試合になる筈が無いよ…手を怪我しててカップもまともに握れないって言ってたのに…」
3歩前へ。
「動機の説明がまだだったわね」
「…………」
蹲踞する。
「根源は試合で脚を奪われた恨みでしょう?」
「スポーツなんだから怪我なんて誰にでも起こり得るわ」
開始の合図で立ち上がった。
「…やはり端折るのは良くないわね。選手生命を奪われたアンタは、矢倉さんに自分を重ねたんじゃない?」
「…言葉の意味がよく分からない」
安登は容赦なく竹刀を打ち付ける、対して矢倉さんは横一文字に竹刀を押し付けて凌いだ。しかし、右手から竹刀が離れる。
「矢倉さんが勝ち進めば、自分のことの様に嬉しくなり、負ければ悔しがる。なんせ自分の夢を奪った人間なのだから、感情移入も仕方の無い話だわ。スポーツではありがちな、"トーナメントで自分を負かした相手を応援したくなる"心理よね」
「確かにそうかも…でもそれは動機にならないじゃない。逆に応援してるのよ?」
安登はここぞとばかりに距離を詰めるが、矢倉さんは竹刀をフェンシングのように持ち牽制する。
「安登を破っての初優勝。さぞ嬉しかったでしょうね。…しかし矢倉さんはそれを認めなかった。それが許せなかった。自分の夢を斬り棄てた矢倉さんに、勝手にその夢を乗せて、勝手に感情移入して、勝手に恨んだ。そうでしょう?」
「…和村さん。スポーツの経験はある?」
「無いわ」
距離を開けると、矢倉さんは竹刀を持ち直し、上段に構えた。
「今まで積み重ねてきたものが、一瞬で泡となって消える、そんな経験があるというの?」
「無いけど、その心情は理解できる」
「だったらそんな酷いことを言える筈が無いわ! 私は今でも夢に見る。あの夢を、目標を奪われた時の痛み、音、におい、紫帆の表情! ずっと魘されてきた!」
呼応するように安登も上段に構える。
「夢を奪われた…ね」
「そうよ! それなのに、紫帆は…結局、私の夢を背負ってくれてなかった…」
「…矢倉紫帆を見なさい」
盛大に打ち合うも、矢倉さんは竹刀を弾き飛ばされる。
面を受けぬように下がりながら即座に拾った。
「惨めなものだよね…面以外が反則じゃなかったら何本も取られてるでしょう」
「あら、剣道の記者なのに視点がずれてるのね」
「視点…?」
幻冬さんから"やめッ!"との声が掛かり、2人は構え直す。
そんな矢倉さんの顔には笑顔が張り付いていた。まるで今が人生で一番楽しい時間であるかのように。
「見ての通り、矢倉さんはまだ諦めてないわ。いま安登に勝つことも、夢もね」
「無理に決まってる…」
始めの合図で、安登が一気に距離を詰める。
「可能不可能は論じてないわ。誰だって夢を断たれることはある。環境、怪我、金銭、才能、年齢。いろいろな原因でね」
「…そうね」
安登は、矢倉さんの竹刀と自分の竹刀を交差させると、捲るように振り上げた。これにより矢倉さんの竹刀は再び飛んでいく。
受けて矢倉さんは距離を取るために後ろに跳んだ。
"やめッ! 反則2回で一本!"
幻冬さんは竹刀を拾い、矢倉さんに手渡すと、安登に小声で何かを告げる。
安登は顔を小さく横に振り、構え直した。
矢倉さんは既に構え直している。
"仕方ないな…始めッ!"
今回は両者共に距離を取る。
「…でもね、夢ってどんなに断たれようと、最後にか細い1本が残るのよ。"自分"っていうどうにも頼りなく解れた1本がね」
「…自分?」
牽制し合い、なかなか距離が詰められない。
「そう、文字通り"自分"。それを自ら斬らなきゃ、夢ってどこまでも続いてくものなの。今の矢倉さんみたいにね」
先に動いたのは矢倉さんだった。
深く踏み込んだ一撃を、安登は右に払う。
何とか竹刀を落とさぬように踏ん張った矢倉さんだったが、面ががら空きになってしまった。
"一本ッ!"
2人は最初の位置に戻ると、蹲踞し、竹刀を腰に納める。
立ち上がり、3歩下がり礼をした。
「ま、あくまで私個人の考えだけれどね。果たしてアンタの夢は斬り棄てられたのかしら、それとも斬り棄てたのかしら」
決着がついた。
私は立ち上がり、3人に近づく。
「ありがとう…和村はみ…それから"愛梨"…負けたよ」
「いえ…悪かったわね…ちょっと無礼な手を使って…」
どういうことか分からず、幻冬さんに解説を求める。
「最初の一本の時に"巻き技"と呼ばれる相手の竹刀を落とすための技を使ったんだよ。竹刀を落としたら反則で、2回で一本になる。矢倉さんの方が1回竹刀を落とした時点で視野に入れるべき歴とした戦法だが、余り褒められたものではないからね」
へぇへぇ、よく分からん。
「いいえ…そこまで本気だったってことです…私にはそれが何より嬉しかった…!」
「そうね…こっちとしても…ギリギリだったわ…」
ここで、蟹村刹那が重い腰を上げてこっちに来た。
「ごめんなさい…紫帆ちゃん…あの日…怪我をさせたの…私だったの…」
「……そうですか」
ちっとも意外そうではない矢倉さん。
「根拠はありませんが…分かってました。一瞬ではありましたが、剣を交えた瞬間から刹那さんなんじゃないかって。勿論、警察には言いませんでしたが」
「……ウソ…」
『熟練者の第六感、それもいずれ解明されるそうだ』
ふぅん。もしかしたらアンタもその類いなのかもね。
『さぁてね』
まったく…
「…話が少し見えてきたんだが、一応しっかり聞いておきたいね」
「はい…刑事さん…私が…犯人です」
蟹村刹那は泣き崩れた。
▽
「当然ながら陸徳の嫌疑は晴れて、解放されたわ」
「ふぅん」
私はお礼で貰ったイチゴ牛乳を飲む。
『いつも飲んでるな』
「そんなことより報酬の話にしましょうか。まさかイチゴ牛乳1本で済むと思ってないでしょうね」
安登は野暮だと言わんばかりに、私の言葉を手で制す。
「それより、よく分かったわね。刹那さんと陸徳が姉妹だって」
あー。
「実に下らない話だったわ…太郎次郎三郎みたいなもんじゃない」
テレビ番組の価格表示機で数字の単位を見るまで気付かなかった私も私だが。
父親の京兆。京、兆は大きな数字の単位である。
逆に少ない数字の単位にあるのが刹那。その下が陸徳。簡単な法則だ。
「刹那さんは自首が認められて、紫帆も許すつもりらしいから、重い刑罰にはならないそうよ」
さよか。
「安登といい、矢倉さんといい、蟹村刹那は随分慕われているのね」
「自分の練習よりも、下の子の指導を優先するような人だったわ。私や紫帆も小さい時に何度か習ったけど、憧れのお姉さんって感じだった」
「私から見れば極悪非道の犯罪者だったけれどね」
「とか言いつつ、ちゃんと自首するように説得してくれたのよね」
「勘違いしないで、追い詰めてたら勝手に自首したのよ」
「そういうことにしとくわ」
ニヤニヤしやがって、腹立つ。
「さて、報酬の話なんだけれど」
「相場が分からないから、お金は持ってこなかったわ」
「あ、そう。だったら丁度良かった。お金は要らないから」
「あら、タダより怖いものはないのだけれど」
「その代わりに"何か起きた時"協力して欲しいの」
安登は怪訝な顔になる。
「まさかとは思うけど、命を狙われてるの?」
「そんな大したことじゃないわ」
"師匠ぉ~!"という声が遠くから聞こえた。
玄関が蹴破るように開けられ、リビングの扉が開け放たれる。
「不法侵入じゃない」
「師匠! それに師匠!」
師匠のバーゲンセール。
「言ってなかったけれど、陸徳はこの通り元気よ」
「ありがとうございます! お姉ちゃんとお父さんが仲直りできました!」
「関連性が不明なのだけれど」
「笑っちゃう話よね。京兆さんは、刹那さんの旦那さんが気に入らなくて勘当してたみたいなの」
へぇへぇへぇ。興味ない。
「その旦那さんが面談に行って、離婚の話になったらしいんだけれども、旦那さんが断って改めてプロポーズしたらしいの。その現場に京兆さんが鉢合わせて、その漢気にいたく感動したそうよ」
やっぱり男って単純よね。
「だから和村さんは探偵の師匠です!」
「はぁ」
「私、将来は"剣客探偵"を目指します!」
なにそれ。
「ふふ、良かったじゃない。可愛い後輩が出来て」
「良いことなんて何もないわ」
「謎も人も、私に斬れぬものなし! 剣客探偵リク! ってのはどうですか!?」
「人斬ってどうすんのよ」
『嬉しそうだな』
まさか。「でも、そうね。不思議と嫌な気はしないわ」
2人は目を見合わせた。
「…え、まさか声に出てた…?」
『バッチリと出てたようだね』
「私、和村さんのことを勘違いしてたわ」
うるさい。
「真っ赤になってますけど! まさか風邪ですか!?」
うるさいうるさい。
『友人がいなければ、誰も生きることを選ばないだろう。たとえ、他のあらゆるものが手に入っても━━アリストテレス』
上手くまとめようとするな。
…でもまぁ、こんなまとめ方も悪くないか。
私はイチゴ牛乳を1口飲んだ。
終
こんにちは。
ハロー。
もしもし。
留守かな? 機械は苦手でね。
もし留守だったら折り返してくれ。
"人助け部"と言えば理解が早いかな?
五塔が世話になったね。
実は頼みがあって、1度会って話したいんだ。
折り返し頼むよ。
そうそう。名前は十 傘
数字の十に、雨の日に差す傘で十傘だ。
繰り返しだけど、折り返しを頼むよ。
推理ネタ切れにつき更新が遅れるかもしれませぬ