探偵とタイムトラベラーのジレンマ 後編
[五塔垂のジレンマ]
水無瀬さんの邸宅に入ったのち、俺は使用人室で着替えさせられた。
「ほぅほーっ。中々絵になってますな」
そう言う秋水さんも、謎のアロハシャツからいわゆる執事服に着替えており、正真正銘の紳士になっていた。
「初めて着たんですけど、合ってますか?」
「初めて着たの で す が」
一瞬、えっ。と思ったが、言葉遣いのことだろう。
「えっと…初めて着たのですが、合ってますか?」
「合ってますよ」
どちらがか分からなくなってしまった。
「では早速、お嬢様に会いに行きましょう」
「大丈夫かな…」
学校ではそんなに話したことはないというのは本当のハナシで、そんな俺を使用人として雇ってくれるのだろうか?
「……んっ!」
━━未来が見えた。
流石に同級生の男の子を使用人には出来ないと断られる。
「ちょっと待って下さい、秋水さん!」
「急に頭を抱えてどうしたのですか!」
何故だ…和村はみの件で未来は変わって…今は未来が見えるハズが無いのに…
…いや…未来は変わってないのか…?
未来が変わって見えなくなったのは和村はみの回りだけだ。
つまり、今この時にも和村はみが必要だったんだ!
「秋水さん! 和村はみは…」
「お帰りになられました」
追いかけなくては。
「お待ち下さい」
駆け出そうとしていた俺の肩を秋水さんがガシリと掴む。
「和村様、並びに家達様からお言付けが御座います」
曰く、
「"未来を変えるのは、未来を知る者にしか出来ない"だそうです」
つまり…俺がなんとかしろってことか…?
「どうやって…」
今まで大きな未来を変えられたことは無い。
和村はみの件だってアイツに教えられた通りにしたら変わっただけだ。
しかもその答えが"カルメ焼き"だぞ?
無理だ、そんな発想には一生至らない。
「五塔様。使用人たるものあまり自身を卑下してはなりません」
秋水さんは俺の動揺を見透かしたように掌に力を込める。
「でも、使用人ってへりくだるものじゃないんですか…?」
この返しが的外れなのは分かってる。
「だからこそです。言葉では自身を卑下しても、心では絶対の自信を携えてなくてはならないのです」
「そんなもの…」
あまりの眼力に目を逸らすと、"ある物"が目に入った。
「……秋水さんは何処まで知ってるんですか?」
「お嬢様が自ら命を絶たれること。そして五塔様が未来を見ておられること。その2つです」
「荒唐無稽なハナシだと思わなかったんですか?」
「いいえ。私はある情報から、逆に信憑性のあるハナシだと思っております」
「ある情報って…?」
「それを話すには、まず五塔様がお嬢様にお近づきになられなくてはならないのです」
……駄目だ…未来でその情報とやらは分かっていない。つまり俺はその情報を得ること無く終わっているんだ。
「……ああもうっ!」
頭を掻き毟った。
「やってやるさ! やればいいんだ!」
未来を変えてやるさ!
▽
「お嬢様。新しい使用人を連れて参りました」
これで駄目ならもうオシマイだ。水無瀬さんも、俺も。
「どうぞ」
開いたドアの陰に隠れていると、水無瀬さんの声がした。
本当に水無瀬さんの家だったんだと、今更ながら実感する。
「ほぅら、お嬢様がお呼びですよ」
足が引きつる。当然だ。俺の人生が懸かっている。
「はい…」
蚊の泣くような声を出した。
「申し訳ございません。なにぶん人見知りなようで」
「ふふ、可愛い声ね。姿を見せて頂戴?」
心を落ち着け、一歩前に出た。
メイド服を着て、秋水さんにメイクしてもらい、カチューシャまで着けた俺が、である。
「…………」
水無瀬さんはベッドの上に腰掛け、黙っている。部屋着姿に見蕩れている余裕なんてあったもんじゃない。
「………っ」
あの秋水さんだって、この状況の顛末を固唾を呑んで見守っている。
「……あっ! ごめんなさい。余りに可愛い娘だったから見蕩れちゃったわ」
…んん……
「そうでございましょう! いやぁ私も最初見た時はビックリいたしましたぞ」
セーフ…なのか?
「いいわ、採用よ。秋水。しっかり面倒見てあげて」
「かしこまりましたお嬢様。ではさっそく参りましょう」
そそくさと俺の肩を掴んでその場を去ろうとする秋水さん。
俺もその案に賛成だ。
「いえ、ちょっと待って」
あ…マズイ…
「まだ名前を聞いてなかったわ」
「あー…そうでございましたね」
運良く流れで扉の陰まで避難できた俺は、流石にハッキリと喋ることは出来ないとジェスチャーで秋水さんに伝える。
「た…タレル後藤…でしたかな?」
何だよそれ! プロレスラーかよ!
「あら、ハーフの娘でしたか。どうりで綺麗なのね」
水無瀬さんは水無瀬さんで判断がザルいな!
「では失礼致します…」
「何を急いでいるの秋水。もう一度タレルちゃんの顔を見たいわ」
秋水は諦めたような顔で俺の肩を引っ張る。
「………」
俯いたまま何も喋れない。
「秋水。ちょっと出て行ってくれる?」
「いえ、新人の使用人が粗相をしてしまっては…」
「あら、秋水は粗相をするような娘を連れてきたの?」
マズイ…強キャラ感を出していた秋水さんが追い詰められている…
「決してそんなことは無いのですが…失礼、一言だけタレルに注意を入れます」
そのまま俺と秋水さんは扉の前から捌ける。
「五塔様。私が出来るアドバイスは1つだけでございます」
「そ…それは…?」
「お嬢様は"百合"でございます」
ユリ目ユリ科ユリ属の多年草。花言葉は"純粋"と"無垢"。
…と、現実逃避をしていたらポイと水無瀬さんの部屋に放り込まれた。
「御武運を…」
扉を閉められた。
「さて、タレルちゃん。こっちに来て。ゆっくりと、見せつけるように」
マズイ…脚が震えて立てない…
「怖いの? 大丈夫よ、じきに馴れるから」
水無瀬さんが席を立って近付いて来る。
「ひっ…」
「また、可愛い声で啼いちゃって」
俺の肩に手を伸ばして来た。
「怖いのは最初だけ。あとは私に任せて」
「んっ…」
思わず目を瞑った。
「ぷ…」
ぷ?
「ぷぷぷ…ふふっ。あはははっ!」
目の前で水無瀬さんが爆笑している。
「何してるのよ五塔くん。思わずからかっちゃったじゃん」
ワケが分からず目が泳ぐ。
「ウソ…気付いて…」
「五塔垂…タレル後藤…ぷぷ。秋水も結構ヌケたとこあるのよね」
青ざめていたハズの顔に血液が大集結する。
「い…いつから…気付いてたんだ…?」
きっと耳まで真っ赤になっているだろう。
「初めっから。新しい使用人に女装した五塔くんが来てビックリしたよ。ふふっ」
「あ"あ"あああ」
死んだ。死んだよ。五塔は死んだ。かぷかぷと死んだ。
「マンガやアニメじゃないんだからさ。テキトウにメイクしただけで男の子が女の子になれるハズないじゃん」
「…いっそのことコロシテ…」
「そうしょげないで。採用は本当なんだから」
その言葉に耳を疑う。
「ちょっと待ってくれ。採用…なのか?」
「最近ね、新しい使用人を雇わずドンドン断ってたの。秋水には負担掛けて悪いと思ってるんだけど、男の人ばっかり連れて来るんだもん。私だって年頃の女の子なのに」
「俺だって男なんだが…」
「人の話は最後まで聞くの。…そこで秋水には"私は女の子が好きだ"と嘘を吐いたの。そうすれば女の人を連れて来てくれるかなと思って」
嘘だったのか…なんだか安心した…
「そしたら男の娘を連れて来るなんてね。もうその必死さに根負けしたってワケ」
「じゃあ…「だけど条件があるわ」…条件?」
「私の前では女装しておくこと。秋水には騙せてるって伝えといて」
「なんでそんなこと…!」
「そうしないとまた男の人連れて来るじゃない」
それは…まぁ…たしかに…
「あとはぁーそうだね。五塔くんのことを教えて欲しいかな?」
「俺のこと…って言ったって…」
自分で言うのもなんだが、ロクな背景はない……いや待てよ…
「どうしたの?」
水無瀬さんは"笑っていない"。
何も面白いことが無ければ笑わないのが普通だが。水無瀬さんに限ってはそうではない。
彼女が笑っていない時は真剣に何かを値踏みしている時なのだ。
「面接はまだ終わって無いってことか…」
「さぁてね」
ここは正直に言うしかなさそうだ。
「両親に抱かれていた記憶はあるが、公的には孤児だ。森の奥にある孤児院で育った」
水無瀬さんは一転して申し訳なさそうな顔をするが、俺は続けた。
「中学まではその孤児院で暮らしていたが、高校に上がってからはバイトをしつつ、同じ孤児院の卒業生が経営しているアパートをタダ同然の価格で借りて暮らしている。だから住み込みで働けるならアパートの部屋が1つ空いて、そこに他の孤児が入れるだろうし、まぁ、助かるな」
急拵えの嘘に聞こえるだろうが、真実である。
「……ごめんなさい」
その言葉に青ざめる。
「…いや、気にしないでくれ、面接に落ちるのは慣れている」
「ああ! そういうことじゃなくて、変なこと訊いちゃってごめんなさいってこと」
「ん…つまり」
「3度目の正直。今度こそ本当に採用」
「ぁぁ…よかった…」
「これからよろしく。…あっ、でも学校では普通にしててね。周りにバレたら変な目で見られるでしょ?」
「かしこまりました、お嬢様」
「もう」
▽
「どうでしたか!?」
「女装もバレてないですし、採用だそうです…」
使用人室に戻って来て安心したのか、どっと疲れが押し寄せる。
「ふむ。学業のこともありますからな。指導は明日の授業が終わってからにしましょう」
「…助かります」
普通の汗もイヤな汗もかいた。ベトついて気持ちが悪い。
「それではお部屋までご案内致します」
「部屋ってここじゃないんですか?」
「ここは使用人の、いわばリビングみたいなものでございます」
使用人室を出る秋水さんに同行。
「五塔様の私物に関しましては、まぁ翌朝までには届くでしょう」
「何から何までスミマセン」
「いえ、これもお嬢様のお命を救う為でございます」
そうだ…まだ水無瀬さんが自殺する未来を変えた訳ではないんだ。
「そうですね…」
いつもそうだ。俺は結果しか憶えてない。原因も、過程も分からない…小さな未来を変えたにしても、それが好転なのか悪化なのか、結果を見るまで分からないんだ…
「こちらが五塔様のお部屋でございます」
広い。テレビで観た高級ホテルの一室さながらだ。
「お気に召されたようでなによりです」
そして、と秋水さんは続ける。
「これは和村様に"最後の最後に教えてやって"と言われていたことなのですが、お嬢様のお命に関わることですので先に言わせていただきます」
秋水さんは聴かれないようにか、ドアを閉めた。
「実は、お嬢様は高等学校を卒業するまでに"将来の相手"を見付けなければ、お父様の選んだ方と結婚しなくてはならないのです」
ガンと衝撃を受けたように、目の前がチカチカする。
「それってつまり…」
「悪い言い方をすれば"政略結婚"ということになるでしょうな」
いろんな事に合点がいった。
秋水さんが男の使用人ばかり紹介していたことや、車で水無瀬さんへの思いを訊いてきたこと。
「そして、それがお嬢様が自殺してしまう原因ではないかと睨んでおります」
「それなら、俺が水無瀬さんの心を射止めることが出来れば、自殺を回避できるってことですか?」
「正直なところ、分かりません。ですが、それが原因である可能性が高いと思われます」
「…もしかしたら、俺に言い寄られることを苦にして自殺してしまう可能性だってあるワケじゃないですか」
「五塔様。私は、私が認めた方しかお嬢様に紹介しておりません。この意味が分かりますかな?」
期待されてるってこと…だよな?
「五塔様の秘めたる能力は、必ずやお嬢様の光になると信じているのです」
このプレッシャーに、胃が重くなるのを感じる。
しかし、
「分かりました。…いや、"分かってました"。何がなんでも水無瀬さんを救ってみせます!」
最初から決めていたことじゃないか。
1度限りの電話を使ってまで、俺は水無瀬さんを救いたかったんだ。
もうこれ以上、他人任せには出来ない。
「よくぞ…よくぞ言ってくれました…っ!」
感涙する秋水さんは、パンパンと2拍手を打った。
「失礼致します」
それを合図にか、ノックも無しにドアを開けて入ってきたのは1人の女の子だ。両手いっぱいに色んな機器を抱えている。
俺と同じメイド服を着ているところを見ると、彼女も使用人なのだろう。
「……キモッ」
は?
「こら雛菊! 将来の旦那様になんて口の聞き方だ!」
雛菊と呼ばれた女の子は悪びれる様子もなく、手にした機器をソファーの上へと乱雑に放って出て行ってしまった。
「申し訳ございません…雛菊は私の娘なのですが、どうにも素行が良くなくて…」
「いや、まぁ…メイド服着てる男を見たら大抵はそんな対応になるかと思いますが…」
しかも、もしかしたら今着ているのは雛菊さんのものじゃないのか?
だとしたら殴られなかっただけでもマシだと言えるだろう。
「ところで、これは?」
「ゲームですが、見たことはありませんか?」
見ると幾つかの箱の表面には、カラフルな頭髪に派手な制服を着た女の子達が描かれている。
「失礼ながら、五塔様は恋愛偏差値が低いように感じられたので、このゲームで己を高めるのです」
裏を見たら、一様に"お嬢様学校に転入した俺は"から説明文が始まっていた。
「結構です」
「そんな! ゲームはお嫌いなのですか?」
「いえ、こういったモノに偏見があるわけではないんです。だけど、例えゲームだったとしても浮気のようなことはしたくないです」
「…どうやら本当に余計なお世話だったようですな」
少し悲しそうにゲームを集める秋水さん。もしかして私物だったのだろうか。
「なんか…ごめんなさい」
「いえ、五塔様の誠実さに感服致しました」
━━未来が見えた。
「秋水さん! それをベッドの下に隠して!」
「はい?」
面食らった顔の秋水さんからゲーム機とゲームを引ったくってベッドの下のスキマに押し込む。
「どうされましたか!」
隠したことを隠すようにベッドの上に座った。
同時にガチャリと雛菊さんが入ってきた。
……大きなハンマー引き摺りながら。
「……どこ?」
「ヒエッ」
「さぁて、なんのことかな?」
ぐるりと俺と秋水さんの周りを回って、クローゼットを開ける。
「ない」
「幻覚だったのかもな。キミは少し休んだ方がいい」
「変態は黙って」
厳しい。
秋水さんは余計なことを言わぬように天井を見ている。
「隠すと身のためにならない」
なおも俺と秋水さんの周りを回遊する。
「このまま俺が寝るまで見守ってくれるのかな? 随分と優しい」
「……ケッ」
ケッて。
「寿命が延びただけ」
雛菊さんはハンマーを引き摺りながら出て行った。
慌てて秋水さんが扉を閉める。
「はぁー…なんですかアレ! 素行の良し悪しの問題じゃないでしょう!」
肺に詰まっていた息を吐いた。
「申し訳ございません! そしてありがとうございます!」
秋水さんは俺の手をとってブンブンと振る。
「元々ゲーム嫌いだったとはいえ、急にあんな強行手段に出るなんて…」
俺はゲームを引っ張り出した。
「しばらくは隠しておいた方が良さそうですね」
「そのようです…」
ゲームを持つと秋水さんはそそくさと部屋を後にした。
閉まる扉を見届けて、ベッドへ大の字に転がる。
「はぁ」
今日はいろいろありすぎた。
昼まで自宅で寝てたと思ったら、夜には水無瀬さんの家でメイド服を着て寝てる。
こんな激動の1日は中々ないだろう。
急激な睡魔に襲われると、その睡魔は俺の意識をそっと包んでいった。
━━━━━━
「五塔も大変だったようね。ざまぁみろだわ」
「酷い言い種だな。結局、未来がいい方向に転がっているのかも分からなかったし、散々だ」
『人は誰でもジレンマを抱えているものだ。場合によっては一生解決出来ない』
私はいちご牛乳をもう1パック開ける。
「それにしても秋水さんめ、すぐ言っちゃったなんて、話が違うじゃない」
「それって政略結婚のハナシだよな」
「そうよ」
「あんな重要な情報をわざわざ隠す必要があったのか?」
「結果的には無かったと言えるわ。でもそれは結果論よ」
「理由が知りたい」
ストローを挿し込み一口飲んだ。
「…五塔の行動の根源を逆転させない為よ」
「ん?」
『知ることを話すのは簡単だが、説明するには"知る"の3倍理解していないといけないそうだ』
それは煽りかしら。
「五塔は水無瀬さんのことが好きだから救おうと思ったんでしょう?」
「まぁ…そうだが」
「でも結婚の話を聞いてしまったら、五塔は"救う為に好きになろう"って思ってしまう可能性があった。それだけよ」
「好きという気持ちに使命感が付いてしまうってことか?」
「その解釈でも構わないわ」
『感情に不純物が混じると、途端にその価値を落とす』
私がよく言う"嘘は3回まで許す"ってのもそうである。
助けたい助かりたいという感情に不純物が混じると、誰も得しない結果になってしまうのだ。
「意外だ。和村は理詰めで考えるから、人の感情とかに疎いと思ってたんだが」
「人間の行動の全てが理論に収まったら、私はとっくに人工知能とバトンタッチしてるわ。時に理論から外れた行動を取るからこその人間で、それを推理するからこその探偵なの」
「…深いな」
本当に理解してるのかしら。
「それで、この1週間で水無瀬さんとの仲はどこまで進展したの?」
「待てまて。次はそっちの番だろう?」
「ターン制だったなんて聞いてないけど」
「結局、銀行強盗は起きたのか?」
「結果を急いで知りたがるのは良くないわ。タイムトラベラーの悪い癖ね」
間を置いて、
「さて、どこから話したものかしら━━
━━━━━━
[時代遅れの銀行強盗]
警察に一報が入ったと知ったのは金曜日だった。
「詳しく教えて」
「ああ。なんでも、近くから火薬の臭いがしていると」
「猫目さんは?」
「後進の指導だ」
警察署からパトカーに乗り込み、現場へ急ぐ。
「通報があったのはこの辺りだが…」
幻冬さんは肩を落とす。
「"西角花火店"…ね」
「火薬の臭いがしない花火工場があるなら教えて欲しいな」
「いいえ、これは通報者に感謝しないといけないかも知れません」
「どういうことだ?」
「木を隠すなら森の近くってヤツです」
『それを言うなら…「言わなくていい」…やれやれ』
幻冬さんと私は、警備員に事情を話して中に通して貰った。
「作業中申し訳ありません。月尺署の幻冬です」
「なんでしょうか」
恐らく主任であろう、一番顔に皺が畳まれた男性が対応。
「付近から"火薬の臭いがする"との通報を受けまして」
「それでしたら、近隣の方には理解を得ている筈ですが」
どうしたものかと目配せされる。
「花火の季節は当然夏ですよね」
「そうだが、お嬢ちゃんは?」
「お気になさらず。…こう言ってはなんですが、花火というのは夏以外の季節にあまり需要が無い」
「まぁ…そうだ」
「ということは、繁忙期以外、あまり火薬の臭いは漏れない筈じゃないですか」
「ん~、まぁそうなるな」
「今はまだ繁忙期には早い、それなのに火薬の臭いがする。恐らく通報した方はその違和感に気付いたんじゃないでしょうか」
「つまり臭いの出所はここじゃないってことか!」
「そうです。…お話ありがとうございました」
「お、おう?」
警戒されないようにパトカーは花火店に置いといてもらい、歩いて捜索することになった。
「和村さんが居なれば、この通報も相手にされなかったかもしれないな」
「今日はヤケにおだてますね」
「そうか?」
猫目さんから"はみちゃんが弱ってる"とでも聞いたのだろうか。
「捜査に踏み込める証拠が見つかるといいんだが」
「火薬所持ではダメなんですか?」
「うーん…たしか無加工の火薬所持でも200グラム以下だと合法だった気がするんだが」
「逆に、それ以上持ってればしょっぴけるってことですね」
「あとは爆発物を造っていれば即アウトだ」
住宅街に入る。
「和村さんが居て助かるな。警戒されにくい」
たしかに今の状況、周りからしたら親子で歩いてるようにしか見えないだろう。
「ん…少し臭いました」
待機するよう手で制される。
私は大人しく従った。暴力沙汰にならないとも限らないからである。
『足手まといは自惚れから始まる』
珍しく意見が合うじゃない。
離れて見ていると、幻冬さんはインターフォンを押した。
「月尺署の幻冬と申します。少しお話よろしいでしょうか」
ややあって男が出てくる。
「なんでしょうか」
「いや、この付近で火薬の臭いがするとの通報がありましてね、聞いて回ってるところなんですよ」
「花火工場のじゃないんですか?」
「それが違ったみたいで、この辺りを調べて回ってたら、このお家から微かに火薬の臭いがしたものですからね」
「タバコの臭いじゃないか?」
家達。問答してる場合じゃないのは分かるわよね。
『ああ』
お願い。
『単純明快1つの真実━━"彼は犯人だ"』
やはりね。
『こればっかりは、魚が空を泳ごうとも、鳥が海を羽ばたこうとも、揺るがない』
「ちょっとお家の中を見ても良いですか?」
「駄目だよ。俺にだってプライバシーがある」
「ほんの少し覗くだけなんですが、駄目ですか?」
「令状はあんのか? なけりゃ入ってこれない筈だ」
王道のやり取り。
ここで逃しても、幻冬さんならいずれ捕まえてくれるだろう。
━━しかし、そのいずれの間に傷付く人が出るかもしれない。
いろいろな考えが頭の中を駆け巡る。
「それはそうと、ここは空き家だったハズなんですが、最近入居されたんですか?」
「そうだ。なぁもう帰ってくれ。こっちにも用事ってものがあんだよ」
正直令状を取ってる時間は無いだろう。
彼らは強行であっても銀行強盗をする。
『覚悟を決めろ。犯罪を見逃してはいけない』
ギリギリセーフ、グレーゾーンいっぱい。間違ってはいない筈だ。
「じゃあ、また来ます。必ず」
「キャーーーッ! 助けて!!!」
私は叫びながら男へと突撃した。
「おい!」
「変な男に追われてるんです!」
そのまま男の脇をすり抜けて、襖を開けて部屋に入る。
「テメェ! このガキ!」
やはり、だ。
大量の火薬。200グラムなんてケチなことは言わない。
キロ単位で有る。
それとニトログリセリンか、爆弾の材料になりそうな物と、明らかに違法な長さのナイフが整然と並んでいた。
「待ちなさい! 住居侵入の現行犯だ!」
流石は幻冬さん。気付いてくれた。
「やってくれたな…このガキィッ!」
男はバタフライナイフを取り出すとこちらに向かって走ってくる。
『さて。正念場で土壇場だ』
少しはマシなアドバイスが欲しいわ。
『初撃だけは何としても避けろ』
だから! そうするためのアドバイスが欲しいって!
『右手の袈裟斬り。角度は適当だ』
どうも!
私は倒れるように左へ"倒れた"。
ナイフが髪を撫でる。
「このォッ!」
男はナイフを振り上げる。
そうだ、2撃目が来る。
倒れているため避けることは出来ないが、問題はない。
「そこまでだ!」
男の腕を幻冬さんがガッシリと掴む。
「痛てぇ!」
そのまま捻り上げ、男はナイフを落とした。
「銃刀法違反、暴行、火薬類取締。余罪は幾つあるかな? とにかく現行犯だ」
幻冬さんは流れるように手錠を掛ける。
これにて銀行強盗事件は幕開けの前に幕を下ろした。
━━━━━━
「こっぴどく叱られたことは言うまでもないでしょうね」
「よく無事だったな…」
銀行強盗たちは芋づる式に捕まった。
今回の件は、銀行からの融資を受けられず倒産した会社の社長ならびに社員による復讐劇…ということだったらしい。
"時代遅れの会社"と言われたそうだ。
なるほど、時代遅れの会社らしい"時代遅れの復讐劇"だ。
「それから和村はどうなったんだ? 不法侵入だったんだろ?」
「正確には住居侵入罪ね。なんとか緊急避難が適応されて、不起訴だって」
何者かに追われていてたまたま逃げ込んだというシナリオだ。
「違法捜査にも当たらなかったそうよ」
まぁ、そこまでちゃんと計算ずくだったのだけれどね。
「でも結局、五塔がどうして銀行強盗のことを知ったのかは分からなかったわ」
「そうか…」
他人事のように言うな。
「やはり俺はタイムトラベラーだったんだな」
「私の1勝3敗。原因があったと証明できたのは自損事故のみ。最近負け続きでイヤになるわ」
五塔はカフェオレを飲み干した。
「じゃあ順番通り、次は五塔と水無瀬さんの進展について聞かせて貰おうかしら」
ここで図ったかのように五塔のスマホが震えた。
「すまない、呼ばれてるから戻らなくちゃ。悪いけど話はまた今度だ」
私は興味無さげに手を振った。
「ホントに感謝してる。事件を未然に防いでくれたことも、水無瀬さんのことを真剣に考えてくれたことも…」
「速く行きなさい」
「ああ。また今度な」
五塔の背を見送る。
『上手く逃げられたな』
「まぁ、彼の顛末を知る機会はいつか来るでしょう」
玄関の扉が閉まる音を聞き、私は力なく床に転がった。
━━この1週間、事件は何も起きていない。
私は誰から報酬を受け取ることもなく、称賛されることもなく、ジレンマを抱えたまま1週間を終える。
そう。
すべては机上の話なのだ。
「まったく、これじゃ商売上がったりね」
起き上がり、玄関の鍵を閉めるついでにポストを確認する。
もしかしたら事件のバーゲンチラシが入ってるかもしれないじゃない?
『逃避も過ぎれば喜劇だな』
「あっ、何かしら…」
ポストに見慣れぬ封筒が入っていた。
開けて中を確認する。
お金と手紙が入っていた。
「"俺と秋水さんの1週間分の給料だ。少ないかもしれないが依頼料として受け取ってくれ。感謝してる。感謝致します。"…だって」
別に、直接渡せばいいのに。
『併せて5件の依頼料にしては少ないな』
「…まぁ友達価格として許してあげましょう」
『驚いたな。キミから友達という言葉が出るなんて』
「少し気分が晴れたから、その所為かもね」
意外と、私の中のジレンマが解消される日も近そうだ。
第2話[探偵とタイムトラベラーのジレンマ]
終
実は全体の真ん中辺りに入れるはずの話でした